はじまりのうた
















 望むと望まざるとに関わらず、季節は巡るのだ。

 ひとつ、またひとつ。

 嘱望された、おとなへと。



 太陽の灼熱は余韻だけを残してその軌道を北寄りへ。

 耳につく蝉の声は、葉陰にすだく虫の音へ。

 短くも苛烈であった夏が、終わる。

「なあ小十郎、知ってるか」

 近づきつつある野分(台風)のために流れの激しい雲が月を隠しては離れて行く。ざわ、と音を立てて庭木を弄る風を開け放った障子から長く

伸ばした髪に受けて、政宗は背後に控える男に背を向けたまま問うた。

「南蛮や紅毛の人間は、正月ではなく生まれた日をもって歳を取るそうだ」

 穏やかな声音が言葉を継ぎ、高いところで結った髪が作る尾を揺らして振り返る。

 仄かに明滅する月光を受ける白皙の美貌に微かな憂いが翳りを落とし、紅い唇がうっすらと笑みを形作った。

「――今日、だな」

「十九におなりですね。……立派に成長なされた。お慶び申し上げます」

 先ほどから口を閉ざしたまま端座する男――小十郎は、政宗の言葉の意味を解して淡く微笑むと、丁寧な所作で一礼する。

「この伊達家の誇りであると、何処へ出しても恥じることのない『嫡男』だと御屋形様も仰っておりました」

 第二の親とも兄とも言える傅役である彼もまた、言葉どおり誇らしげだ。

 だが、それを聞くや政宗の表情はどこか淋しげなものへと変っていった。

「父上が」

 身体ごと向き直り、濃紺の単に包まれた胸元を押さえて。

「明日、家督を俺に譲ると」

 整った指先がほんの僅か、布地を握る。掌に触れるのは適度な弾力を持った柔らかさ。

「弟ではなく、この俺に」



 そのために、そのように育てられたのだ。

 伊達家の現当主である輝宗には長らく子供ができなかった。

 だが、神仏に祈り湯殿山の修験者に祈祷をさせてようやっと生まれたのは、皮肉にも家督を継げぬ女児。

 この先、於東の方に男が生まれるものとは限らない。

 悩みぬいた末に輝宗はお産に関わった者に徹底した緘口令を敷き、生まれた女児を『嫡男』として育てることにしたのであった。

 それが、今の政宗その人なのだ。

 数年後に弟である竺丸が誕生しているが、今更『実は姫君である』などと言えようはずもない。

 かくして、決して人に知られてはいけない秘密を抱えたままこの歳まできてしまった。

 現在、『彼』の正体を知る者はごく近い血縁者と乳母である喜多、そして小十郎だけだ。



 家を継ぐ者として。そのためだけに、常軌を逸したこの壮大な嘘をつき通して来た。いわば『共犯者』である小十郎は解っていたこととはいえ痛

ましさに精悍な顔を曇らせる。

「Hey、お前がそんな顔するなよ」

 意識して低めに保っている声のトーンが少しだけ上がる。言葉の割には小十郎を責める色合いを含まない声音に滲むのは、自嘲じみた笑み。

「今更誰も怨んじゃいねえさ。……むしろ、感謝したいくらいだ。好きなように生きられるんだからな」

 この時代、大名の姫君は道具同然だ。そのような生を送らずに済んだと。

 今の生き方に不満などないのだと。

 ――ただ、ひとつだけ嘆くことがあるとしたら。

 言葉を切り、一つきりの瞳で真っ直ぐに見つめる先。

 同様に見つめ返してくる。ひどく抑えた熱を裡に秘めて。

「政宗様」

 低い声が名を呼ばわれば、それだけで。

(……苦しい)

 いつの頃からか始まった関係は密やかに続けられるが故に、互いの立場をも忘れて耽溺してしまった。

 肌を重ねる度に、どうしようもなく己の女たるを自覚させられてしまう。最も忌避すべきことであったのに。

 その罪の意識すら、甘い痛みに変わってゆく。

(酷い男だ)

 この期に及んでも、無言のうちに望まぬ方向へ誘惑するのか。

 本当は解っている。彼もまた、どうすることもできない想いに苦しんでいることを。

 元々身分違いの道ならぬ関係。情を通じたことが明るみに出れば、間違いなく小十郎は切腹させられ、政宗は廃嫡されるだろう。

 それも、彼女が『男』であったならば違う結末であったろうに。

 彼女が『伊達藤次郎政宗』であるために、あってはならないことなのだ。

 選び取ってしまいたい。想いに狂って、死ぬなら諸共。



「どうしたい?」



 お前は。

 口に出さずとも何を指しているのかなど解ってしまうほどに深く、心を触れ合わせてきた二人だった。

 正直に望みを告げられるわけもなく、だからといって本心を糊塗して小賢しく忠臣めいた言葉をかけることもできない小十郎は言葉に詰まる。

(でも、できない)

 己が両の肩に担うもの。課せられた運命だけじゃない、叶えたい望み。夢と野望。

 もとよりただ一人の男とそれらを天秤にかけることなど、できはしないのだ。

 既に迷う余地もなく決まりきっていることを問う愚かしさに笑いがこみ上げてきた。

「……」

 くくく、と喉の奥で押し殺した笑声に不穏なものを感じ取ったのだろう、眉を顰めて何事かを口にしようとする。

 が、言葉が滑り出る前にその口を――紅い唇が塞いだ。

「っ! なりませぬ!」

 猫を思わせるしなやかな動きで動きを封じてくる細腕は見た目に反して強靭だ。姿勢を崩して床に倒れた小十郎の上に乗り上げて、制止する声

さえも奪うように激しく口付ける。

 政宗の髪を留めていた紐が解け、茶色がかった独特の色が肩口を滑った。微かに鼻腔を掠める香が、甘い。

「――んッ」

 熱に潤みだす瞳を閉ざし、艶を帯びた吐息を漏らしてなお深く。

 手荒に振りほどくことも出来ず、徐々に抵抗が弱まって行く小十郎の身体で欲がその存在を主張し始めたのを感じて唇を離した政宗は馬乗りに

なった姿勢のまま、自ら帯を解き着物を肩から落とした。

「……もう、お止め下さい。これ以上は」

 月明かりを背に淡く輝いて見える裸身から目を逸らして、揺れを底に沈めた声音が諌めてくる。

 その表情を苦しげにゆがめて。

「それが、お前の答えか」

 きっと彼女自身も同じような顔をしているに違いない。

(あぁ、酷い男だ)

 今までの事を白紙に戻して、知らぬげな顔で家を継げというのだ。最後に一夜、などという愚行に走ればすべてが台無しになるかもしれないことを

知っている。

 互いの気持ちは厭になるほど解っていた。でも、いやだからこそ、声高に罵声をぶつけたくなる衝動を政宗は必死に抑えねばならなかった。

 決して戯れに始めたことではなかったと確信できるから。

 この関係が遊びでしかなかったなら、まだ多少は救われたものを。

「そうか」

 小十郎の着物をきつく掴んでいた手が力を失い、外れる。ぽつりと零れた声はひどく硬質な響きで何の感情も篭らぬものだった。

 失望した? いいえ。 哀しい? いいえ。 腹立たしい? いいえ。

「All are correct and it is wrong.(全てが正しく、そして間違っている) お前は賢い男だ、小十郎」

 ゆっくりと立ち上がり、そのきわに一糸纏わぬ姿のまま彼の帯に手挟んであった小刀を引き抜いた。

「!?」

 突如現われた鋼の輝きに色めき立った小十郎が慌てて身を起こす。

 一体それで何をするつもりなのだ?

 背後の気配に振り返ることもせず、開けられたままの障子から廊下へ出ると一際激しく吹き込んだ風が長い髪をふわりと広げた。

 月光に身体の輪郭を淡く縁取らせて。

「――これが、俺の答えだ」



 白い左手が、首の後ろへと回された。

 右手に握る小刀が冴え冴えとした光を弾いた。

 刹那、躊躇うように止まる、息遣い。

 風に吹き乱される髪を一まとめにして。



 ぶつっ。



 篭った音が響き、途端にざんばらに切られた髪が繋ぎとめるものを失って軽やかに風に舞う。

 手の中に残った髪の房を投げ捨てて背後へ振り向いた顔は――

「Thanks.」

 ぞっとするほど美しく、なにもかもを洗い流した後の清々しささえも漂わせて微笑んでいた。



 貴方の子を胎に宿すことはもう叶わない。

 扉は閉じて、今、少女の頃は終焉のときを迎える。

 けれど私は貴方を愛する事を諦めはしない。

 肌を重ねる代わりに背を預けあい、二人で夢という名の子を成そう。

 これは、はじまりのうた。

 貴方と奏で始める、修羅の響き。はじまりのうた。




















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筆頭のお誕生日に合わせてアップしようと思っていたのですが、遅れに遅れてこの始末……。
しかも何だろうこの根暗さ具合は; すみませんすみませんm(_ _)m