!! ATTENTION !!

このシリーズは政宗様が16歳の女子高生になっています。
「……痛いよソレ」とか思っちゃった人は読まないでくださいませ〜。


















Hitmen'n Lolita #31










 暗い。そして、痛い。

 車の中で後頭部を銃床で殴られて昏倒し、意識を取り戻した政宗が最初に感じたのはその二つの感覚であった。

 暗いのは、目隠しをされているから。痛いのは、両手を紐のようなもので縛られて上から吊られているから。

 両足の先が辛うじて着くかというくらいの位置で縛り上げられ、思うように力が入らない。

 暖房でも入っているのか、寒くは無かった。

(あの人達は、伊達組の人間じゃないんだ……!)

 先日、成実から聞かされた『他の組との抗争が始まりそうだ』という話が脳裏をよぎる。

 まさか、自分はその敵対する暴力団に拉致されたのでは!?

 未だにぼうっとする頭で思考をめぐらせるうち、真っ先に思い至るのは始末屋たちのこと。

 自分が抗争を有利に導くための人質に利用されたのだとしたら、最も苦しい立場に置かれるのはあの三人ではないか。

 足手まといにならぬよう、と輝宗の下へ行くはずだったのに。

 ――悔しい。

 不安や恐怖よりも先にまんまと敵に捕まってしまったことを口惜しく思うほどには、覇気を失っていない彼女であった。

(……くっ、しっかり結んであって抜けられない……)

 なんとか自力で逃げなければ、自分の所為で伊達組が抗争に敗れてしまうかもしれない。

 やくざの世界のことなど何も知らないけれど、それだけは解る。

 幸い、周りに誰かが居るような気配は無い。今のうちに……。



「おや、お目覚めですかお姫様?」



「……!」

 その男の声は、突如政宗の背後から至近距離で聞こえた。

 一瞬前まで物音ひとつしなかったのに!

「テメェ……こんなことしやがってタダで済むと思うなよ」

 動揺を抑えるのに必死になり、思わず陳腐な言葉を投げつけてしまう。今の状況でそんなことを言っても意味はないのに。

「フフフ……元気のいい方ですね。だが、あまり頭はよろしくないようだ」

 声の主は両手を拘束する紐を解こうと身じろぐ政宗を背中から抱くように腕を回し、耳朶に唇をつけて囁いた。

「さ、触るな!」

 嫌悪感のあまりに肌が粟立ち、吐き気すら感じる。今度は紐ではなく男を振り払おうと身をよじる政宗に男は陰に篭った笑声をあげた。

「あぁ、安心してください。貴女をそういう意味でどうにかしようとは思っていませんから。……暫くの間、黙って捕まっていてくれれば良いのです」

 笑みの成分を含んだ言葉は、まるで見えない蛇が絡み付いてくるようだ。

 しゅるり。

 視界を遮っていた布が解かれた。

 突然開けた視界に瞬きを繰り返しながら周りを見回すと、そこはどこかの地下室らしく窓は無く打ちっ放しのコンクリート壁に囲まれている。

 そして、背後を振り返ると。

「そういえばまだ自己紹介をしていませんでしたね。……私は、明智光秀と申します」

「……伊達組と抗争しているって組織の人間か?」

「ご存知でしたか。そう、私は信長公の……織田組に所属している者です」

 なおも抵抗を続ける政宗から手を離し、大人しくしていれば危害を加えたりはしませんよ、と付け加えた。

「明智とか言ったか? 残念だったな、父様は俺の顔さえ知らないんだ。そんな娘が人質になると思っていたら余程のバカだぜ」

 いくら実の娘とはいえ、長く離れていたのだ。肉親の情は薄いだろう。まして、伊達組という大きな組織と天秤に掛けるには自分の存在

はあまりに軽い。

 そうあらねばならないはずだ。下部組織を含めれば大きなグループ企業にも匹敵するであろうやくざの筆頭を務める者は。

「それは一般論でしょう。しかし貴女は輝宗とはどういう男か知らない。……彼は、娘のためなら命すら惜しまない人間ですよ」

 日本を二分する暴力団のひとつを統べるには情に脆すぎる、と。

「まぁ、狙いは他にもありますし……ね」

 光秀は言葉を切ると、きつい目つきで睨みあげている政宗のブラウスの胸元を掴んだ。

「!? Hey! 何しやがる……やっ」

 ぶち、と音を立ててボタンが弾け飛ぶ。突然素肌が外気に触れ、気味悪さも手伝って肌が粟立った。

「ほぅ、昨日もお楽しみでしたか。お二人は随分と良い仲のようですね」

 舐めるような視線が露になった胸元を這う。昨夜小十郎に付けられた紅い痕と、細いチェーンで首から提げたシルバーリングに。

 言われ、一瞬頬を染めた政宗だったが最前の『狙いは他にある』という言葉を思い出してすぐさま血の気が引いた。

「まさか……小十郎の動きを牽制するために……?」

「察しの良い子は嫌いではありませんね」

「っ! テメェ、卑怯……あ」

 言いかけて、止める。

 それすら、もはや意味はないのだ。小十郎に捨てられた自分には牽制の道具としての価値さえも。

 だから政宗は笑って見せた。胸裏の痛痒を押し隠して。

「やってみればいいさ。だが、あまり彼らを侮らない方がいいぜ? それに」

 僅かに撓めた背筋に体重の総てを乗せる。

「俺のこともな!」

「!」

 ひゅ、と鋭く空を切ってスピードの乗った蹴りが光秀の即頭部に叩き込まれた。

 軸足が地面についていない分、威力は劣るものの不意をつかれて僅かに避けそこなって残った髪が幾筋か切れ飛ぶ。

「Shit!」

 ヒットするとは思っていなかったが、あまりにあっさりと避けられてしまったことに舌打ち。

「ふむ、良い動きです。空手か何かを習っておいでですね? だが」

 お転婆が過ぎるといけませんねぇ。

 蹴りを外してバランスを崩した政宗の腰に腕を回し、ぐいと引き寄せた光秀は嫌がって暴れるのを強い力で押さえつける。

「これ以上ばたばたされても面倒です。……これを、飲んでいただきましょうか」

 と言うと、胸ポケットから取り出したピルケースを見せた。

「……?」

 何やら不穏な雰囲気。金属製のケースから出されたそれは小さなカプセルで、中には綺麗な青色をした粉末が詰まっている。

 得体の知れないカプセルに柳眉を顰める政宗。対する光秀は嗜虐的な笑みを薄い唇に刻んで彼女の顎に手をかけた。

 そして、カプセルを自分の口に含み。

「――!!!」

 逃れる間もなく強引に口付けられる。縛られた両手がきつく握り締められ、唯一自由になる足が光秀の足を蹴った。

「んんーっ!」

 無理やりこじ開けられた口内へカプセルが押し込まれ、そのまま口と鼻を手で塞がれてしまう。

「むぅーっ! むむーっ!!」

「早く飲み下さないと窒息してしまいますよ?」

 細身で女性的な印象さえ受ける外見をしている光秀だがそこはやはり男性で、やや骨ばった細い指を持つ手はしっかりと呼吸を阻む。

 飲まないと息が出来ないとはいえ、このカプセルの中身がもし毒であったら、と思うと素直に飲み下すわけには行かない。

「あぁ、ちなみにそのカプセルは非常に薄い素材で出来ていますから。意地を張るのも結構ですが、そのうち……」

 ククク、と漏れる声を立てない笑み。悔しさに顔を歪めた政宗の口の中でパキ、と小さな音がした。

「……!?」

 直後、舌を刺すような苦味が広がる。

 必死に頭を振って光秀の手を振り払い、吐き出そうとしたがカプセルの中身は信じられないような速さで溶けてしまった。

「てめ……一体、何を飲ませた!」

 今にも噛み付きそうな勢いで吼える政宗から一歩身を引き、粘着質な冷笑を浮かべる。

「おや、ご存知ありませんでしたか。まぁ品行方正なお嬢様には縁の無いものでしょうね。……すぐに何か判りますよ。すぐにね……」



 一瞬、何を言われたのか全く理解が出来なかった。

 中途半端に口を開けた顔はこの上なく間抜けに見えたことだろう。

「……悪い、おれ耳がおかしくなったみたいだ。もう一度言ってくんない?」

 政宗がさらわれた? いやいやいや、聴き間違いだろう。確かに彼女は伊達組の車に乗ってここから出て行ったのだ。

 もし、似たような車で別人が来ようとしていたとしても、綱元がナンバーを確かめている。

 それに、国内最高レベルのセキュリティ体制をとっている伊達組の本部から彼女を連れ出せる者は居ない筈。

 悪い冗談はよせと笑いたいのか、それとも怒りたいのか判別の付かない成実の表情。

 戸惑いを見せる彼の態度に漸く落ち着きが戻ってきたのか、綱元はまず「着替えなさい」と成実の仕事着を指差した。

「リビングで待っています。話はそれから」

 相変わらず険しい顔を保ったまま、普段は立てない足音も高く部屋から出て行った。



 とるものもとりあえず、ベッドの上に投げ出されていたジーンズとシャツを着てリビングへ入ってきた成実を迎えた視線は暗く沈んだものだった。

 疑うべくも無かった事実だが。

 信じたくない。

「そこへ座って」

「ンな悠長なこと言ってる場合かよ。早く助けに」

「いいから」

 綱元の言葉尻が険を帯びる。その向かいに座った小十郎は黙ったままだ。

 憮然として小十郎の隣に腰を下ろした。

 自らを落ち着かせようとするかのごとく、マグカップになみなみと注いだコーヒーを一口すすって。

「政宗が、織田組に連れ去られました」

「いやそれ聞いたから」

「……。先ほど、伊達組に脅迫状が届いたそうです。厚生局の捜査を受け入れて、『ブルー・ヘブン』密売の容疑を認めろと。でなければ、

政宗はどうなるかわからない」

「そんな無茶な」

 実際やっていない上に、厚生局もバカではない。疑わしきは罰せずで織田組の思うような結果にはならないだろうに。

「あなたが持っている顧客リスト、それを証拠として提出するようにとのことです」

 テーブルの上に置かれた、メモリーカード。

 そこには、ほぼ総ての顧客に関する情報が詰まっている。本来、これをネタにして織田組にドラッグ密売を辞めさせるためのものだ。

 それを自らの首を絞めるのに使えなどと。

(だから蘭丸は『無駄だ』って言ったのか。クソッ)

「……で、伯父貴は何て」

「織田組と一戦交えることを覚悟しておられる」

「梵は!?」

 身を乗り出し、綱元に詰め寄った成実にゆるく首を振って彼女についての言及はなされなかったと無言のいらえ。

「見捨てるっていうのか」

「伊達組がどれだけの組織か、貴方も理解しているはずです」

 小娘一人と、巨大企業並みのヤクザ一家。どちらが重要かなど論を待たない。

 それがたとえ、総長の実子であったとしても。

 輝宗が情に厚い人間だからこそ。

 組員達をこそ見捨てることが出来ないのだ。

 自分の娘ひとりの犠牲で済むならと。

「現在、伊達組では抗争の準備を進めています。いずれ、私達にも加勢するよう連絡が来るでしょう」

「そ……んな、こと……」

 解るのだ。輝宗の苦悩は痛いほどに。成実とて、次期総長候補として幼い頃から率いる者の何たるかを叩き込まれてきたのだから。

 でも……だからといって。

「……梵がどこに捕まっているかは判ってる?」

「知ってどうします」

「決まってるだろ」

 伊達組が組織として政宗の奪還に動かないならば、彼女を助けるのは自分たちしか居ない。

 綱元の問いに短く答えると、部屋から持ってきていた皮製のシザーケースを取り出した。

 中には成実が愛用している投げナイフが収められている。

 暫くの沈黙の後、綱元は重い口を開いた。

「……奪われた車に搭載してあったGPSシステムで車の場所は判っています。しかし、そこに政宗がいるとは限りません」

「行ってみなきゃ判らねえよ。おれは梵を助けに行く」

「止めても無駄……ですね」

 結果として身を引いた形にはなったものの、未だ彼女に対する気持ちは無くしていない成実だ。

 シザーケースを身につけて勢いよく立ち上がった彼を綱元はもはや引きとめようとはしなかった。

「そこの黙ってるオッサンはどうするつもりだよ」

 先ほどから一言も口をきかず煙草をふかしている小十郎へ振り向き、冷たい視線を向ける。

 やむを得ず振ったのなら、あれが本心ではなかったと言うのなら、政宗を助けに行くと言うはずだ。

 いや、どうかそうであって欲しい。彼女が心から愛した男ならば。

 刺々しさでコーティングした目線は、切なさと嘆願と苛立ちを内包していた。

「…………」

「おい、どうするんだって訊いてるんだよ。シカトこいてんじゃねーぞコラ」

 目を合わせようとすらせず、俯いたきりの小十郎。声を荒らげる成実の言葉が耳に入っているのかどうかさえ怪しいところだ。

「ヘタレ野郎、いつまで黙ってやがる! 行くのか行かねえのかハッキリしろ! 何か言えっつってんだよ」

 それでも反応しない小十郎に業を煮やした成実は大柄な体躯に見合った膂力で小十郎の襟元を掴み、引っ張り上げた。

 生気の無い顔。怪我をしていた時のほうがマシなのではと思えるほどの。

「俺は……ない……」

「あァ!? 聞こえねえよ」

 やっとのことで発した言葉は呟くかのような小さな声で。

「行けない……行く資格が無い……あの子を追いやったのは俺だ、どうしてのこのこと」

 力なく、幽鬼のごとき表情でそれだけを繰り返した。

 それを耳にするや、成実の形相が修羅のそれとなり。

「ざけんな!!」

 思いっきり、ソファへ突き落とした。

「資格が無い? 追いやったのは自分だ? 何甘ったれたことぬかしてやがる。梵はテメェを待ってるんだろうが!」

 なぜ解らない!? どうしてそんな思考になってしまうんだ! こんな小十郎は見たくも無い、ありえない。

 激しく怒鳴りつける成実は更に語調を激しくしながら言い募る。

「テメェが行かねえっていうならおれが行く。……解ってるのか? おれが行くって言ってるんだぜ。いいんだな? 本当にいいんだな!?」

「…………」

 ソファに突き落とされた姿勢のまま、何も喋ろうとしない小十郎。チッとちいさく舌打ちして最後の一言を言い放った。



「だったら、もういい。おれ一人で助けに行く。だが憶えとけよ、おれが奴らから助けたら、梵はおれのだからな!!」



 叫ぶような捨て台詞。殴る気さえ失せる、とばかりに軽蔑のまなざしを向けて成実は部屋を出て行ってしまった。

 バタン! と大きな音をさせて閉まる鉄扉。



「行ってしまいましたか……無茶をしますね。こうなっては私も見過ごせないではありませんか」

 呆れたような言葉の割には成実に賛同している口調で、ショルダーホルスターの銃を確かめた綱元はいそいそとコートを羽織った。

「……小十郎。行きますよ」

 背後でソファに崩れ落ちたままの小十郎へ首だけめぐらせて立つように促す。

「貴方が助けなかったら、政宗はどうしたらいいのですか。もう二度と、貴方のもとへは帰ってはこないでしょう」

「だが、俺は」

「資格が無い? 何のです? 愛する人を救うのに許可が要るなんて初めて訊きましたね」

「…………」

 よかれと思ってしたことが、すべて裏目に出て。

 ただただ、政宗を傷つけるだけの結果に終わってしまったことに責任を感じているのは理解できる。

 しかし、なればこそ今、立ち上がる必要があるのではないか。

 それをウジウジと後悔してばかりいる小十郎の女々しさに腹が立つ。

「……仕方ない人ですね」

 ソファへ歩み寄り、そっと膝をついた。にこ、といつもの穏やかな笑顔を浮かべて。

 成実に掴まれて乱れた襟元を左手で直し。

 そして。



「貴様はそれでも男か!」



 ガツッ!!

 渾身の力を込めた右ストレートが小十郎の頬桁に叩き込まれた。

「……!?」

「立て! いつまでそうやって座り込んでいるつもりだ。考える前に動け、悔やむなら取り戻せ!

このままタマ無し野郎に成り下がるのか!?」

 拳を振り切り、突如大音声で咆哮した綱元の顔と口調が豹変していた。

 かつて軍属であった頃と同じ言葉遣い。長らく共に暮らしている小十郎も初めて見る、綱元の本当の表情だった。

 殴られた痛みも忘れ、ただただ唖然とする。

 赤く腫れ始めた頬もそのままに。

 何も言えずにいる小十郎へそれ以上言葉をかけることも無く、眼鏡のブリッジを押し上げて身を起こした綱元はさっさと玄関へ向かってし

まった。

「後は、あなた自身で判断しなさい」

 振り向きもせず、そう言い残して。



 綱元も出て行って、一人取り残された小十郎は暫くの間動けずにいた。

 殴られた頬がじくりと熱を持って痛む。

「綱元のやつ……手加減ナシに殴りやがって」

 胸ポケットから取り出した煙草も曲がってしまっているが、構わず火をつける。

 何かが染み出す感触に指先を当ててみれば、唇の端が切れていた。

「それでも男か、か」

 綱元に投げつけられた罵倒を思い出すと、ふいに可笑しさがこみあげてきてくっくっく、と小さく笑い出した。

 それは次第に大きくなってゆき、静かな部屋に哄笑が響いた。

 気でも触れたかのように。俯けた顔を左手で覆いながら。

 そうだ。自分は負け犬だ。たった一人の小娘に夢中になって、挙句どちらの心もずたずたにして。あまつさえ愛する人の命を危険にさらして。

「情けねえな」

 火をつけたまま喫われることもなく短くなった煙草から灰が零れ落ちる。

「まったく、鬼片倉ともあろう者がこのザマだ」

 ……毒喰らわば皿までも、か。とことんまで情けない男を貫こうではないか。

 恥も外聞も無く貪欲に、欲しいものに手を伸ばしてやろう。

 どのように笑われても構わない。

 恋など所詮、格好のつかないものなのだ。

 火の落ちかかったそれをテーブルの上の灰皿に押し付け、ゆっくりと立ち上がった。

 懐にある冷たい感触を確かめながら。



(悪いな、成実。誰にも譲る気はねえんだよ)



 不気味な含み笑いと共に光秀が立ち去って暫く。

 物音一つしない地下室で政宗は自分の身体に起きた変化に怯えていた。

(……頭がぼぅっとする……だけじゃない!?)

 全身の力が抜ける。思考が止まり、どうでもよくなってきた。

(なんか……きもちいい……)

 頭がふわふわする。こんな状況でありえないと自覚するものの、異様なほどの多幸感。

「うっ」

 それと、熱さにも似たあの快感。

 何かをされているわけでもないのに、じわじわと軽い絶頂が続く感覚に知らず甘い吐息が漏れる。

 僅かに頬へ朱を上らせた政宗は緩慢な動きで拘束を逃れようと身を捻った。

「……ひぁっ!」

 その瞬間、今までより強いそれを身体の奥に感じて小さな悲鳴と共に全身がこわばり、ビクンと仰け反った。

 彼女は気付くすべも無かったがそれこそが。

「効いて来たようですね? いかがですか、『ブルー・ヘブン』の味は。まさに天国でしょう、特に……」

 地下室にひとつだけついたドアから中へ入ってきた光秀が身を震わせている政宗の腰を抱き寄せた。

 耳朶へ唇をつけて続きを囁く。

「肉体の悦びを知っている身体には」

「『ブルー・ヘブン』……?」

 名前は知っていた。ニュースや新聞でもしばしば記事になっていた、新型の麻薬だ。

 自分が先だって飲まされたカプセルがそれであったことを知り、愕然とする。

「可愛いですね、こんなに震えて……さあもっと素敵な悲鳴を聞かせてください」

 政宗の抵抗を封じるだけなら何も、薬物を投与する必要など無い。彼女の足技が届かない所まで離れればいいだけだ。

 それを、わざわざ高価な麻薬を使うというところに光秀の残虐性が覗いている。

「ここもそろそろいい感じなのではないですか?」

「! や、やめろ! この変態野郎っ」

 おもむろにスカートの中へ滑り込んだ指先がショーツの上から秘裂を撫で上げた。

「欲しいと仰るならば、考えて差し上げないこともない」

「Lay off!! さっさとその汚ねえ手をどけやがれ!」

 身を任せてしまいたくなる衝動を意志の力で抑え付けて、精一杯の罵倒を吐き散らす。

 が、しかしそれも普段より遥かに精彩を欠いたものでしかない。

「素直ではありませんね。まぁその方が楽しみがあるというものです。――おっと、お客さんが来たようだ」

 政宗をいたぶる手を止めた光秀が振り向くのと、地下室のドアが激しく蹴り開けられるのはほぼ同時であった。



「梵!!」

 開け放たれた入口に立ち、幾つもの傷を全身に負った成実は血のりが着いたナイフ――これは投擲用ではない――をひっさげて地下室

へ駆け込んできた。

「しげ……なんで……」

「梵! ……チッ、ひでえことしやがる。今すぐ助けてあげるから。ちょっと待ってて」

 天井から頑丈な紐で縛り上げられ、制服のブラウスを下着が見えるほど開かれているのを目にして歯軋りする。

「誰かと思えば、伊達組次期総長候補ではありませんか。蘭丸の件ではどうも、お世話になったそうで。それで、ここへ来たということは総

長殿は正面からぶつかるお覚悟を?」

「明智。テメェのそのやり方、反吐が出るぜ」

 言葉遣いは丁寧だが、嘲弄を隠そうともしない光秀の言い様に不快を露にした成実は実に厭そうに吐き捨てる。

「それは失礼を。……ですが招かれざる客にはお帰りいただきたい」

 政宗から離れ、入口の方へ歩み寄った。

 室内へ踏み込んだ成実は大振りのコンバットナイフを手の中で鮮やかな手つきで回しながら攻撃する隙を窺っている。

「招かれざる客とは随分だな。車にGPSがついていることを知っててわざと居場所を知らせるようなことをしたくせに」

 純粋に伊達組を脅したいのなら、当然バレないようにするはずだ。だが実際には挑発するかのごとく情報を筒抜けにした。

「来て欲しかったんじゃねえのか」

 詰問してくる成実に光秀は薄笑いを貼り付けたまま。

「何が狙いだ? ……いや、答えなくて良い。大体判った。だが残念だったな、おれで」

「『あの二人』は長らく私たちの障害でした。ここで消してしまえれば楽だったのですがね」

 折角最大級の苦しみを与えられるカードもあるというのに、実に遺憾です。

 そう続けた光秀。チラリと政宗のほうを見遣って。

「抜けよ。あいつらが居なくてもおれ一人で十分だ」

 挑発じみた仕草でナイフの切っ先を揺らして見せた。

 そんな成実を哀れな者を見る目つきで睥睨して。

「……簡単にはやられませんよ」

 ぞろり、と取り出したのは銃身の長いショットガン。

 光秀の背後で朦朧とする頭を振って意識を繋ぎとめながら二人を不安そうに見守っていた政宗の独つ目が大きく見開かれた。



「上等!」

 叫ぶのが先だったか、それともシザーケースから取り出された投げナイフが閃くのが。

 天井の照明を反射して銀色の軌跡を描いたナイフが光秀の直ぐ脇を目にも留まらぬ速さで飛びぬけた。

「避ける以前に掠りもしないとは、やれやれ……ん?」

 ぶつっ。

 何処を狙っているのかと苦笑した光秀の背後で何かが切れる音がした。

「あっ」

 小さく聞こえる悲鳴。

 成実の投げたナイフは、光秀ではなく政宗を拘束する紐へ向けられたものだった。

 両手を釣り上げられた格好から脱した政宗は姿勢を直そうとしたが、膝に力が入らずその場に倒れこんでしまう。

 光秀の注意が政宗に向けられた、その刹那。

 俊足を活かし、一気に距離を詰めた成実は無言のままコンバットナイフを一閃。



 殺してやろうとまでは考えていない。

 ただ、自分にとって何より大切な人を傷つけ貶めた報いは受けてもらう。

 だから成実は最初の一撃で光秀を刺すようなことはしなかった。

 それが甘かったのだと後悔するのは、ほんの少し先のこと。

 真横に振るわれた鋭利な刃先が光秀の頬に鮮やかな赤い線を刻んだ。

「っ!」

 浅い。見る間に血を滲ませる傷口、これは牽制。

「痛い……痛いですね……くっくっく」

 避け損ない、スーツの上に滴り落ちた血潮を見下ろしてそれでもなお薄笑いを崩さない光秀の今度はショットガンを持つ右手を狙う。

 政宗に貰った、あのスニーカーを履いた足が大きく踏み込み。

「……ふッ!」

 血曇りで鈍く光るナイフが手首の腱を切ろうと襲い掛かった。

 だが。

「いい腕です。その辺のチンピラ相手くらいなら勝負にならないでしょう」

 神速で振り下ろされた刃をショットガンの銃身で受けた光秀はそれまでダラリと下げられていた左手をおもむろにスーツの内側へと滑らせた。

「だが、甘い!」

 ナイフとショットガンの銃身が鍔競り合いの如く不快な金属音を上げる中、まるでビジネスマンが名刺を取り出すときのようなさり気なさで

小型の拳銃を構えた。

「両利きかよ!?」

 やべ、と短く声を上げて至近距離に迫る銃口を避けるべくナイフを退く。

 腕を上げて身体をカバーしつつバックステップで離れるのと、

「……成実っ!」

 床に倒れた政宗が震える声を振り絞って叫ぶのと、

「!」

 光秀が拳銃の引き金を引くのは同時であった……。



 パン、という軽い音。銃の発射音を初めて聞く政宗にとっては驚くほどの。

 利き手ではない左手で撃たれた弾丸は、怖ろしいほど正確に成実の心臓を狙っていた。

「ぐっ」

 床に倒れこみながら身体を捻って胸への直撃を避けた成実の右肩に着弾。

 辛うじて悲鳴を上げるのは堪えたが、食いしばった歯の間からくぐもった苦鳴がもれる。

「よく避けましたね。そうでなくては」

 見る間にシャツの袖を赤く染めていく肩を押さえて呻く成実はまだ起き上がれない。

 愉悦の笑みで口許を歪めた光秀の足がゆっくりと彼に近づき――再び、銃口を向けた。

「成実っ、逃げろ! 俺のことは構うな、殺されるぞ!」

「っ、ざけんな……敵に後を見せてたまるかよ」

 痛みで朦朧とする意識を必死で繋ぎとめ、なんとか起き上がろうともがく。

「次は何処がいいですかね。足ですか? 左手? それとも耳でも吹き飛ばしましょうか?

……あぁ、足の甲は撃たれると非常に痛いそうですよ」

「てめ……弄ってんじゃねぇよ……!」

 サディスティックな、というより陶然とした口調。

「弄ってなんかいませんよ。『弄る』というのは……こういうことを、言うのです」

 続けざまに四発、銃声が響いた。

「NO!!」

「うがぁっ!!」

 頬、右肩、左脇を銃弾が掠め、最後に足の甲を打ち抜かれた成実はついに絶叫する。

 正視に忍びず、顔を背ける政宗。

 が、直ぐに光秀に向き直り身体を引きずってにじり寄った。

「もう止めてくれ……成実は関係ないだろ!? 伊達組の次期総長は俺だ、やるなら俺をやれ!」

「勘違いしてもらっては困ります。貴女は大切な人質……使いどころは他にあるのですよ」

 床で苦悶する成実から視線を外し、政宗の側にかがみこむと彼女の髪を掴んで上向かせた。

「おい! テメェの相手はおれだろうが。梵に触るな!」

 苦痛に掠れる声をそれでも根性で張って吼える成実。逃げられないように政宗の身体を抱きこんで血まみれの成実を見遣った光秀は楽

しげに目を細める。

「互いに庇いあうとは美しいことだ……このお嬢さんが余程大切のようですね?」

 もはや光秀の腕を振り解く力も無い政宗の頬をこれ見よがしに撫で回して。

「どうして差し上げましょうか? 彼の目の前で輪姦まわすというのは面白そうですが些か品が無い」

 まるで『何をして遊ぼうか?』と言っているような光秀の態度。

 剣呑な空気を纏った言葉に成実は焦る。このままでは、政宗が危ない。彼女の様子がおかしいのはもしかして既に……!?

「明智ィィ!!」

「……そうだ。これは本来、貴女の恋人である片倉に見せてやりたかったのですが彼が来ないのであれば仕方ない」

 鬼の形相で叫ぶ成実をゆっくりと振り返り、ポケットから小さなアンプルと注射器を取り出して見せた。

「これ、何だか分かりますよね?」

 アンプルの中身は、目の覚めるような美しい青色の液体。

「!! やめろっ」

 それを注意深く注射器に移し。

「大丈夫、死にはしません。致死量にはほんの少し足りない」

 必死に身をよじる政宗の腕を掴み、袖を捲り上げた。

「やめろっつてんだろうがこのド腐れ外道!!!」



 やばい、やばい、やばい。

 助けるなんて豪語しておきながら、この体たらくはどうだ?

 なんとかしろ。まだ動けるはずだ。

 政宗にあの薬を打たれてはならない!

 痛みと出血で震える指先が、シザーケースをまさぐる。



「や……やだ……それは、いや……!」

 青い液体を満たした注射器と光秀を忙しく見比べて、怯えた視線を向ける。

「そう、その表情だ……さぁ、美しい声を聞かせてくださいよ」

 この場には不釣合いなほどの笑みを浮かべて。



 ぷつ。と薄い皮膚を破って、政宗の腕に注射針が突き立てられた。



「いやあああああああああああああ!!」

 窓一つないコンクリートの密室に、少女の悲鳴が響く。










To be continued...









――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

一話分伸びてしまった……明智マジックorz
小十郎を罵倒した成実の台詞は、この話で最も書きたかった台詞の一つ。