!! ATTENTION !!

このシリーズは政宗様が16歳の女子高生になっています。
「……痛いよソレ」とか思っちゃった人は読まないでくださいませ〜。


















Hitmen'n Lolita #30










「そろそろ着いた頃でしょうかね」

 ノートパソコンのキーを忙しく叩きながら、長々続いた沈黙を破ったのは綱元だった。

 その傍らで黙然とトレーニングを続けていた小十郎は聞こえていないかのように返事をしなかったので独り言じみていたが。

「これで、政宗の身の安全は保障されます。……必要なことだったとはいえ、彼女には」

「その話は止めろ」

 左腕一本で腕立て伏せをしつつ返ってきたのはごく短いいらえ。

「貴方には申し訳ないことをしたと思っているんですよ。今回のことは私にも責任の一端がある」

 その話題を続けたくないと言っているのに、と眉を顰める小十郎へさらに言葉を続ける。

「終わったことを嘆いても無意味だと解っていますが……」

「お前には関わりの無いことだ」

 床から身を起こし、手を休めた綱元を真っ直ぐ見据えた。

「彼女と俺、二人の問題でしかない。……あれが最善の方法だった」

 苦しそうに表情を歪めて、

「他にどうやってあの子を俺から離れさせるやり方があったというんだ」

言葉尻に混じる溜息は苦々しい。

 しかし、と言い終ってから心の中で一人ごちる。

 もし昨夜のことがなかったら? こうなることが分かっていて彼女を抱いたのは自分ではないか……。

「……俺は最低の男だ。成実の言う通り」

「そんな」

「言い訳はいらねえんだよ」

 それだけ言うと黙ってトレーニングに戻ってしまった小十郎を綱元は痛々しげに眺めやるしかなかった。

 再び沈黙が二人の間に落ちて暫く。

「総てが終わったら一度、政宗に会いに行ってはどうですか。ちゃんと話して……今朝のような別れ方ではとても納得できたものではない

でしょう」

 ノートパソコンを閉じ、コーヒーを入れるために立ち上がった綱元を見上げる視線に微笑み返して。

「……ここで本当に終わらせてしまうのか、本心を告げて続けるのか。どちらにしろ」

 中途半端な幕引きは互いにとって不幸でしかない、と。

「いい加減、意地を張るのは止めなさい。……愛しているのでしょう?」

(「好きならさ、相応しくないとかそういうのって関係ないじゃん。有無を言わさず攫えばいいのに。おれなら絶対、そうする」)

 いつだったか、成実に突きつけられた言葉が胸を刺す。彼のように振舞うことが出来たなら、どれほど楽であったことか。

 けれど、己という男はこんな形でしか。

「出来ないことを嘆くより、何が出来るのかを考えるべきではありませんか」



God grant me the serenity

to accept the things I cannot change;

courage to change the things I can;

and wisdom to know the difference.



 それは、かつて政宗に説いた言葉。

 変えられぬことを受け入れる冷静さと、変えられることを変えてゆく勇気を。

「……政宗と総長は貴方のことを待っているのですよ」

 痛みとは何たるかを知る者の言葉は、どうしても外すことの出来ないシルバーリングを見つめる小十郎の心に打ち込まれた一本の楔と

なって重く響いた。



 冷房が効き始めて徐々に温度が下がってゆく中、HMDではなく従来のデスクトップの画面でメールを開く。

 捨てアドレスではない成実のメールアドレスを知る人間はごく僅かだ。今の状況で連絡を寄越してくる者があるとすれば。

「トムじゃないか。何の用だ……」



  Subject:速攻で読め


  こないだの蘭丸のことだが、個人的な興味もあったんでちょっと調べてみた。

  結論から言う。悪いこた言わねえからコイツには関わるな。

  ガキだと思って甘く見ると本当にヤバい目に遭うぞ。

  蘭丸のやつ、最近話題のドラッグ密売に関係しているっぽい。

  とにかく、添付してあるログを読んでみろ。



「ログ?」

 トムからのメールに添付してあった書類を開くと、例の巨大掲示板サイトの過去ログらしきものだ。

 これといって何の変哲も無い雑談が続く中、気になる一節を見つけた成実は目を凝らして読み進める。



 483:名無し

   ところでさ、最近ニュースとかでやってる『ブルー・ヘブン』って皆何処で手に入れてるんだ? あれって非合法になったんだっけ

 484:−−

 485:名無し

   うあ、晒しやがったぞこいつ

 486:名無し

   販売元ってそこなわけ?

 487:名無し

   他にもいろいろあるけど、ここがメイン。あ、ヤバいとか言ってる奴は来なくていいよ。臆病者の相手はつまんないから

 488:名無し

   >>483 買うつもりかよ。止めておけ、あれは本物のドラッグだぞ

 489:名無し

   >>484 そういうことはヲチスレでやれよ。つーかまずいんじゃないのか? ドラッグ密売サイトなんか晒して。買う奴いたらどう
   するんだよ!?

 490:名無し

   お前ら、クリックするんじゃねえぞ。消せ消せ!



「……なんだ、この消えたレスは」

 ログの中にぽっかり空いた穴を見つめ、眉を顰めた。

 前後の会話から推測できるのは、それがどこかのURLを――しかも『ブルー・ヘブン』を販売しているサイトのそれを貼り付けていただろ

うということだけだ。

「直接トムに訊いたほうが早いな」

 そう呟くと、改良を重ねて見た目まで変わっているHMDを被り現実世界からネットの海へと飛び込んだ。



 応えて来るかは分からなかったが、とりあえずトムを呼び出してみる。

 電話をかけるように彼のメッセンジャーツールにコール。

 暫く待っていると、ニット帽を目深に被った『覗き魔』が現れた。

『よう。そろそろ連絡が来る頃だと思ってたぜ。メール、読んだんだな』

『読んだよ。あのログもな。……ちょっと話を聞きたいんだ、場所を変えよう』

 先日、トムとの会話を蘭丸に『聞かれた』ことを考えると、迂闊にオープンな場所では話せない。

 慎重に自分の動きをマークしている人間が居ないことを確かめた成実はトムを促し、仮想空間に突如現れたドアを開けた。

『……なんだ? ここは』

 オフィス用ビルの一部屋を改装したような無愛想な室内に、壁一面を占めるPC群と簡素なベッド。

 ライティングデスクにはあまり使われていなさそうなテキスト類、壁に取り付けられたフックにはくたびれた制服がかかり、その横には

グラビアアイドルのポスターが貼ってある。

『おれの部屋』

 正確には、成実が自宅に構築したサーバー内である。

 先ほどまでいた、出入りがフリーである掲示板サイトと違い厳重なセキュリティを施されたここは他人に盗み聞きされる心配が無い。

 細かいところまでリアルの自室を再現した空間に、トムは口笛を吹いた。

『お前、意外と凝り性だな。……やっぱり高校生か』

 壁にかかった制服を眺めてにやりと口許を歪めてみせる。

『今はそんなのどうでもいいだろ』

『そりゃそうだ』

『メールに添付されていたログのことだけど、一部削除された書き込みがあったな? あれは何だったんだ』

 急き込んで訊ねてくる成実にトムは『まあ落ち着けや』と言って自らPC前のリクライニングチェアを回して腰を下ろした。

『まず、あのログの説明からする。あれはつい数日前、よく蘭丸が現れる板の雑談スレッドから取ったものだ。名無しになってるし、IPも抜

けなかったから蘭丸本人とは断定できんが、今までの奴の発言の特徴を考えると、487の書き込みは奴と見て間違いない』

『ってことは、URLを晒したのは蘭丸本人?』

『そこまではちょっと。俺もその場に居たわけじゃないし……たまたま残っていたログを持ってきただけだからよ。誰かが消される前のを保

存していればいいんだが』

『メインの販売サイト……ってことはデータバンクはそこにあるのか……でもどうして……んー』

 立ったまま腕組みをし、ぶつぶつ呟きながら考え込んでしまった。

 今までどれだけ探しても見つからなかった販売元サイト。

 移転を繰り返しているのを支店とするなら、消されたURLが本店なのに違いない。

 そのサイトが稼動しているサーバーに顧客管理システムがあるのは確かで、まさにそれは成実が捜し求めていたもの。

 だが、なぜ今この状況に至って蘭丸がそのURLを晒したのかが問題だ。

 罠なのかもしれない。それとも余程自信があって挑発しているのか。

 どちらにせよ、成実に選択の余地はない。

『探してみるか』

『今は閉じているかもしれんぞ。あんな場所で晒したのなら、警察の電脳部隊も動いてくるだろ』

『やってみなきゃ判らねえよ』

『止めておけよ。ドラッグの密売なんかに関わっているような奴だぜ? どう見てもヤクザか海外の犯罪組織の関係者じゃねえか。リアル

で殺されるぞ、冗談じゃなく』

『とっくの昔に知ってたさ、蘭丸がその筋の人間だってことは。それでも……やらなきゃいけない理由があるんだよ、おれには』

『雇われてるだけだろ!? それとも何だ、私怨なのか? だったら尚更だ。このことは、俺が通報しておく。後はプロに任せておけ』

 本気で心配しているのか、トムの口調が焦っている。

『トム。もうこの先、お前は関わらない方がいい。それと、おれの正体を探るのも』

 たとえネットのアンダーグラウンドを闊歩する人間であっても。

 本物の裏社会に生きる人間とは違うのだ。

 そう、トムに言った成実は今になって小十郎の気持ちが少しだけ解る気がした。

『過ぎた好奇心は身を滅ぼすぞ』

 『部屋』のドアを開け、自分も外へ一歩踏み出した成実は無言で退出を促す。

 目深に被ったニット帽と長い前髪でよく見えないトムの表情が複雑に歪み……そして呆れたような笑みに変わっていった。

『……いや、俺はお前についてゆく。ヤバイのは御免だが、一旦関わっちまったからには気になってしかたない。このままだと気持ち悪りぃ

んだよ』

『どうなっても知らないからな』

 蘭丸と遭遇することがあれば、以前成実が喰らったデバイスアタックの矛先が無防備なトムにまで向くかもしれない。

 あの時は、運良く近くに政宗と綱元がいたから助かったが、彼の周りに誰もいなかったら? 脳震盪だけでは済まない筈だ。

『危なくなったら隠れるさ』

 あくまでも成実に関わろうとするトム。あからさまに眉を顰めた成実だがそれ以上彼を拒むことは無かった。



 急がねば。急がねば。急がねば。

 伊達組のために、そして政宗と小十郎のために。

 二人のことを思えばそれだけで胸が痛んだけれど。

 いつ、如何なる状況であっても躊躇わず、怖じ気ず、決して後へは退かず。

 それが伊達成実という男の矜持であった。

 HMDの内側で厳しく表情を引き締めた彼は今、被り続けた道化の仮面を脱ぎ捨てる。



 削除前のログを求め、ネットの更なる深層へ『潜って』ゆく成実。

 凄まじい執念で膨大な量のまとめサイトを精査し、ほんの僅かな手がかりを頼りにデータの海を渡り歩く。

 気が付いてみれば、二人のログイン時間は10時間を超えていた。

『何時間潜ってるんだよお前……ダメだ、俺落ちる』

 それまで黙って成実=潜水夫の後についていたトムだが、とうとう耐え切れなくなったらしい。

『ちゃんと後で教えろよ?』

『……』

 トムの存在すら目に入らないらしい様子に軽く溜息をついて、ログアウトしようとした瞬間、それまで無言を保っていた成実が突如叫び声

をあげた。

『……見つけた!!』

『あ!?』

『あったんだよ! 例のログが!! 探してみるもんだな、削除前の書き込みを保存している奴がいたなんて』

『マジで!? いったいどこに』

 全く疲労を感じさせない(ネットワーク内での仮の姿なのだから当然だが)動きで盛大にガッツポーズをする潜水夫がその手にしっかり

握っている書類こそ。

 蘭丸が掲示板に書き込み、その直後に削除されたURL入りログデータであった。

『個人のサーバーん中』

 つまり、閉じられた領域をハッキングしまくって探したのだと事も無げに。

『……なるほど』

 そういうことができるのはお前ぐらいだよ……と肩をすくめた。

 パスワードが設定されている場所の防壁を破って勝手に侵入するなど、言うまでもなく犯罪行為であるわけだが出入りした痕跡すら残さ

ないのが『潜水夫』を最強のハッカーと呼ばしめる所以である。

『本当に行くのかそこへ』

『当たり前だ。ここにおれが捜し求めるものがあるはずだからな』

『そのURL、販売サイトっていう雰囲気じゃねえな。潜水夫よぅ……お前、一体何をしようとしてるんだ?』

 雇われた、と言っているが誰に? なんのために?

『麻薬の密売を止めさせる。それしか言えねぇ。……トム、ここから先はマジでやばいぞ。お前は落ちておけ。じゃあな』

 そう言うや、おもむろに身を翻しログに記された場所へ飛んでしまった。

 黙って潜水夫を見送ったトムは暫く逡巡するようにその場に留まっていたが、やがてニット帽と前髪の隙間から覗いた口許が不敵に釣り

あがる。

『って言われて引き下がるようじゃ『覗き魔』の名がすたる、ってな。きっちりROMらせて貰うぜ』

 もしかすると、国内トップクラスのハッカー同士の戦いが見られるかもしれないのだ。

 そんなオイシイものを見逃してたまるか、と呟いてニット帽を被りなおすと先ほど覗き見たURLへ飛び込んで行った。



『ここか……』

 誰にともなく呟いた成実の前には、真っ白な空間が茫漠と広がっている。

 やはり、掲示板上でURLを晒したからなのか元々そうなのか、表面上は何も無いように見えるが……。

 また逃げられた!?

 そう思いかけるが、空気中に漂う蜘蛛の糸を探るようにごく僅かな感覚を掠めた違和感を覚え、足を止める。

(潜んでいる……)

 潜水夫のバイザーを取り、素顔を曝した。

 他者からのアタックへのガードが緩くなることと引き換えに、抑制していた検索能力が最大までエクステンド。

(この近くで、おれを窺っている)

 軽く目を瞑り、呼吸を整えた。

 現実世界の成実の指先が僅かに動き、対蘭丸用に作り上げた攻撃ツールが起動。

 見る者もいないディスプレイの上を膨大な量の数列が流れ始める。

(……いた!)

 かっと目を開き、厳しい視線を振り向けた先には。

『遅かったじゃないか。待ちくたびれちゃったよ』

 不遜な笑みを浮かべた少年――蘭丸が、立っていた。



『わざわざ手がかりを残してやったんだから来て当然だよな』

 相変わらずの和洋折衷なスタイルで巨大な弓をかかえ、鼻で笑う蘭丸。

『お前、顔を見たことがあるぞ。『潜水夫』は伊達組の次期総長候補……伊達成実だった、ってことか。それじゃ話は早いや』

『やっぱり、あの書き込みはテメェか。ご丁寧に誘ってくれてありがとうよ。おかげで手間が省けたぜ』

 こちらもニヤリと笑ってみせる成実。笑みとは名ばかりの、凶暴さを孕んだ冷笑であったが。

『ついでに、例のヤクの顧客リストなんか見せてくれるとサイコーだ』

『お前、バカだろ? 誰がそんなもの見せるかっての。……もうこれ以上続けても無駄だよ。証拠を手に入れても交渉の余地は無いし、こっ

ちもお前たちの動きを牽制するカードを確保しちゃったから』

『……何?』

 蘭丸の言葉に冷笑を消した成実。

 自分たちの動きを牽制するカード? どういう意味だろう?

『渡さねえって言うなら無理やり押し通るだけさ。……脅しは無意味だからな』

 その言葉自体がブラフである可能性もある。弱みなど何も無い。政宗という唯一のウィークポイントは既に輝宗の保護下にあるのだ。

 だから、成実は強気に出る。

『あーあ、いいのかなそんな事言って。後でほえ面かくなよ?』

『黙れ。ガキだと思っておれが手を抜くと思うなよ』

 とても退きそうにない彼の態度に手にした弓を構えた。

 と、同時に眼前の空間を薙ぎ払うように成実の腕が振られる。

『同じ手は二度と通用しねぇ。よく憶えとけ、クソガキ』



 ――時の流れが変わった。

 仮想空間がその仮面を脱ぎ捨て、無数の数列へ変容する。

 蘭丸の放った矢がダイバースーツに突き刺さる直前、見えない壁に阻まれ霧消し少年の双眸が驚きに見開かれてゆく。

 薄い微笑を佩いた唇がつり上がり、囁くほどの声で反撃開始のコマンドを口述。

『……アプリケーション、アイドリングからリブート。攻性防壁を検索の上アタックせよ――Run』

 それまで主の命令を待ちかねていた攻撃ツールが、自ら意志を持つものの如く動き出した。

『! なんで……っ!?』

 薄緑色に輝くヘクスで構成された空間の壁を這い回る攻撃ツールは抽象的な毛虫の形を模しており、少しずつ葉を食う虫のように壁に

穴を開けてゆく。

 デバイスアタックが無効化されたことで、にわかに焦りの表情を滲ませる蘭丸へ成実はさも面倒くさそうに返答した。

『だから、二度も同じ攻撃を喰らうかっての。あれからおれが何も対策をとらないと思ったのか? これだからオコサマはよぅ』

 バカじゃね? と続けて鼻を鳴らす成実。

『ていうか、黙って見てていいわけ? このままだと防壁破っちまうぞ』

『っ、させない!』

 毛虫――攻撃ツールが壁を破壊して行く様にあどけなさの残る口許を引き結んだ。

『目んたま開いてよく見ろよ!!』

『ん?』

 力を抜いて提げられていた弓が真上に向かって構えられ、おもむろに彼の手中に光の矢が現れた。

『どこに向かって撃って……、!』

 天井に突き刺さるかと思われた矢はその刹那、無数の閃光に分かれ。

『子供だと思って甘く見るなよな』

 自己増殖していた毛虫の群れを悉く刺し貫いた!

 一瞬にして周囲は光の驟雨に襲われ、それが消えたときには毛虫によって開けられた小さな穴を残し、攻撃ツールは跡形も無く破壊さ

れていた。

『……チッ、やられちまったか』

(あの弓……デバイスアタックのためのツールというより、ユーティリティシステムなのか。んじゃ、これ以上余計なことをされる前に)

『いいことを教えてやるよ』

 得意げに胸を張る蘭丸に、やられたと舌打ちした割にそれほど驚いていない表情を引き締めて両拳を身体の前で横向きにつき合わせた。

『戦いの心得その一。攻撃は常に多段構成で』

 言い終わると同時に淡い燐光が現れ、やおら古めかしい太刀が成実の手に握られた。

『戦いの心得その二。如何なるときも心を動かさず』

 鋭い金属音を響かせ、刀身を引き出す。

 一体何のツールだろう? と眉を顰めた蘭丸に、口許を僅かに引き上げた。

『戦いの心得その三』

 刀を構え、そろりと左足踏み出した成実の身体が――かき消えた。

『!』

『先手、必勝!!』

 消えたかに見えたそれは視認することすら出来ないほどの高速移動。

 高らかに叫んだ成実の刀が鮮やかな軌跡を描いて振り下ろされる。



「――!!!」

 外気温よりも遥かに低い室温の、灯りが落とされた部屋の中。

 大き目の椅子にちいさな身体を預け、脳波入力デバイスとHMDを身につけた少年の身体が雷に打たれたように激しく仰け反った。

「あ……うっ……!」

 椅子を取り囲むように配置されたディスプレイが次々とエラー表示で埋まってゆき、サーバーへ不正な侵入があることを告げるアラート音

が響いた。

 しかし、椅子の上で痙攣を続ける身体はそれ以上動くことが無く。

 そのまま、糸の切れたパペットのように総ての力を失ってガクリと首がヘッドレストに落ちた。



『……あー、後味悪りぃ』

 肩から脇腹にかけて袈裟斬りにされた蘭丸の姿が砂山を崩すように消えてしまってから暫く。

 刀を振り切った姿勢のままだった成実はそれを鞘へ納め、上体を起こした。

『目には目を、歯には歯を、ってな』

 かつて、自分自身が受けた攻撃。脳波入力デバイスへの外部からの操作スナーク

 それを解析し、彼なりのアレンジを加えた攻撃を行ったのであった。

『まぁ、あいつがおれにやったのと違ってショックで気絶するだけだし、問題ないだろ』

 とはいえシステムの弱い部分を衝いてリアルの身体を攻撃するなど、常識では考えられないことだ。

(今後、この入力方式の弱点はクラッカーの標的になりそうだな。開発元に報告しておくか。……だけど今は)

 あんな技が濫用されるようになったらと思うと恐ろしい。

 壁に空いた小穴へと歩み寄った成実は、そんな思考を振り払うようにゆるく頭を振った。

『これだけ開いていれば上等』

 そうごちると口の中で再び先ほどとは別のコマンドを呟いて、居合い抜きのように刀を抜き放った。

『――悪いが、データは頂くぜ』



 すぱっ、と細い線が壁に走り。

 転瞬、それまで何の変哲も無い空間を作り出していた壁が細かな破片となって砕け散った。



 どんどんどんどん。

「成実、……成実!」

 鍵の掛かったドアを激しく叩いて、珍しく焦りを滲ませた綱元の声が部屋の外から成実を呼ばわる。

 ネットの海に潜っている状態の彼には、外界のことは全く判らないと知っていたが呼ばずに居られない。

 それほど、追い詰められた声。

「……ああもう! 合鍵!」



『やっと手に入れた……顧客データ……! これで、抗争が止められるぞ』

 喜びと興奮で細かく震える手に握られた、分厚いファイル。

 それこそが織田組の『ブルー・ヘブン』密売の証拠となるもの。

 力強く地面を蹴って『水面』へ戻って行く成実が完全にその場から消えてたのを見届けて、破壊された壁の残骸が二次元的に捲られた。

『……マジかよ』

 トムだ。

 密かに成実と蘭丸の戦いを盗み見ていた『覗き魔』は様々な感情が入り混じって掠れた声で呟き、感嘆の溜息を漏らす。

『ハッカー同士の争いは多く見てきたつもりだが……あんなのは初めてだ。ゲームじゃねえっつうの』

 常軌を逸した戦いの様相にショックを隠しきれないようだ。

 成実によって破壊された壁の向こうにある、データバンクを見遣って。

『あれ……警察に通報した方が……いいよな?』



「っしゃあああああぁっ! 抜いたぜ!!」

 データを落としたメモリーカードを片手に成実が雄たけびを上げるのと。

「成実!!」

 合鍵を使ってドアを開けた綱元が叫びながら部屋へ入ってくるのは、ほぼ同時であった。

「あ? なんだよツナ。……喜べ、例の顧客リストが手に入ったぞ」

「それどころじゃありません」

 満面の笑みで得意げにメモリーカードを掲げて見せる成実と対照的に激しく狼狽した綱元が詰め寄った。

「ちょっ、引っ張るな! 何があったんだよ、そんなに慌てて」

「甘かった……本当に、甘かった……!」

「だから、何だっていうのさ。ちゃんと話せよ」

 部屋の外へ連れ出そうとする綱元の手を振り払い、そのおかしな態度に眉を顰めた。

「その顧客リスト、無駄になってしまうかもしれません」

「はぁ!?」

 今までに無いほどの動揺を見せる綱元。

 ぎしり、と強く噛み締めた奥歯。

 搾り出すような声が、信じがたい事実を告げる。



「政宗が……織田組に、拉致されました」









To be continued...









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超お待たせしてしまいましたすみませんorz
もはや、この話の主人公は誰だと聞きたくなるような展開。成実出まくり。
そしてなんとなく元ネタが判りそうな電子戦。ううっ、これに殺されてました……。
もうやだ、SFな展開はもうやだー!(笑)