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Hitmen'n Lolita #27
ドアが開き、二人が入ってくるのと同時に通話を切った綱元はすでに驚きの表情を消していた。
次回は裏部屋行きです。28話は読まなくても物語の流れに影響はありません(笑)
このシリーズは政宗様が16歳の女子高生になっています。
「……痛いよソレ」とか思っちゃった人は読まないでくださいませ〜。
「おや、もう戻ってきたのですか。ゆっくりしていて良かったのに。成実はきつく叱って部屋に蹴りこんでおきましたよ」
「……あいつ、明日になったらシメてやる」
「まぁそういきり立つこともないでしょう。本人だって悪気があってやったことではないのですから。少し、反省させたほうがいいのは確かです
がね」
政宗へのセクハラ行為といい、未成年のくせに酒を呑んだことといい。
一応、対等な人間として扱ってはいるがなんといっても輝宗から預かった大事な総長候補なのだ。教育はしっかりしてやらねばならない。
「? 政宗、どうしましたか?」
リビングの入り口で立ち話する小十郎の後ろに隠れ、コートの裾を軽く握ってうつむいているのを覗き込んだ。
「……! ふ、風呂入って寝る! Good night!!」
綱元に顔を見られ、元々赤らめていた頬を真っ赤にして俯いたまま小走りに去ってしまった。声を僅かに上ずらせて。
ぱたぱたぱた、ばたん!
大きな音を立てて閉まった扉に、眼鏡を押し上げながらふと笑う。
「可愛らしいですねぇ、あんなに照れちゃって」
「成実もそうだがテメェもだ。あまり、彼女をからかうな」
楽しげな綱元に比して小十郎は仏頂面だ。初心な恋人のことを茶化されるのが面白くないらしい。
「思った以上に奥手なようですね。ま、頑張ってください」
「何をだ!」
「厭だな、それを私に言わせるんですか?」
あの様子じゃ大変そうですよね〜、泣かせないでくださいよ?
にこにこ笑いながら。からかいの対象を小十郎に移した綱元は心底楽しそうだ。
「頼むからもう俺で遊ばないでくれ……こっちだって余裕がねえんだ」
「らしくないですね。若いとはいえ女性は女性でしょう。今までとなにも違わない」
政宗と出逢うまでにだって幾人もの恋人がいた男なのだ。彼女達と政宗に対する気持ちに明らかな差があるのは分かっている綱元だが、
いかつい顔を狼狽の色に染める様を見るのは実に爽快だ。
と同時に、小十郎が本気であることを知れば知るほど二人を哀れに思うのも確かで。
先程の会話の内容を思い出し、揶揄する表情を保ったまま内心ひっそり嘆息する。
「……ところで、さっきの電話は何だ」
これ以上政宗とのことをネタにされてたまるか、とばかりに話題を変える小十郎。
笑みをひっこめた綱元の目が、レンズの奥ですうと細くなった。
「総長からです。……政宗のことで」
「何? なぜ総長が彼女のことを知っている」
「……」
「言い渋るようなことなのか。ハッキリ言いやがれ」
言うべきなのか、躊躇った。裏社会に近づけまいとしてきた相手が、実は国内有数の任侠一家に出自を持っていたなんて衝撃的すぎる。
生まれて数年で離婚したとはいえ。
政宗に対して個人的な深い感情を持ち合わせていない綱元でさえ絶句したのだ。
「まだ彼女は知らないことですから、言ってはいけませんよ。成実から話させるようにとのことです」
「くどい。歯に物が挟まったような言い方をするな」
伊達組総長と政宗。どう考えても接点のない二人に何がしかの繋がりがあるかのような綱元の物言い。
はっきりと言おうとしない態度に軽く苛立ちを覚える。
「政宗はね――総長のお子さんなんですよ」
「!?」
「総長には昔、奥様がいた事は知っていますね? 実は二人の間には子供が一人いたのです」
淡々とした口調で告げられた事実に息を呑む小十郎の目を真っ直ぐ見つめたまま、言葉を継ぐ。
「当時の名前が、梵天丸。今の名前は離婚してから改名したものだとか。成実が彼女のことを『梵』と呼んでいたのはそのためで……二人
は従姉弟同士なんです」
リビングの応接セットは屋上に持っていったきりなので、灰皿を手に壁に寄りかかったまま煙草を取り出し火をつけた。
強い香りをもつ紫煙が細く立ちのぼる。
衝撃に混乱する頭を落ち着けようとするかのように、深く吸い込み、吐き出した。
そんな小十郎を待ってか、綱元は黙したまま佇立している。
「なぜ、成実は最初から知っていたのに何も言わなかった」
長い沈黙の末、絞り出すような声でそれだけを言うのが精一杯だった。
「総長のご意向です。やくざの娘だと知らずに育った方がいいと考えたのでしょうね。このまま、何も知ることなく実家に帰ってもらいたかったと」
「……それで、今頃になって電話してきた理由は?」
わざわざ自分たちに知らせることに意味はあるのか。
「先日、総長は別れた奥様に会ってきたそうです」
綱元の話すことには。
成実から政宗が継父より虐待を受けていると聞き、織田組対策に忙しい中時間を作ってかつての妻に話をしに行ったのだとか。
親権は母親のほうにあるが、継父の暴力を止められないというのなら娘を引き取ろうと。
「そのとき、例の継父も同席していたとか。詳しくは聞きませんでしたが、どうやら奥様は再婚していたのではなく内縁関係だったようです
ね。もしかすると、復縁するかもしれないと言っていました。それで、ひとまず政宗の親権を自分へということは決まったそうです」
「よく継父が納得したな」
あのような、歪んだ欲望の対象にしていた男が政宗を手放すなどと。
「承諾せざるを得なかったのでしょう。法的に父親ではありませんから」
「だが、なにも今そんな話をする必要はないだろうに」
「あるんですよ。ここのところ、組内では徹底抗戦の動きが盛んになっています。ついに若い連中が痺れを切らして、末端の構成員同士での
小競り合いも始まっている。織田組としても正面からのぶつかり合いは得策ではないと考えているはずなんですがね……巨大組織同士、
下っ端までは手が回りにくいのが実情。それで、我々にも火の粉が降りかかることを懸念した総長は政宗を手元に置いておきたい、と言っ
てきたのです」
継父から引き離されたのはいいが、その避難した先が抗争の前線となったのでは巻き込まれる恐れがあるというのだ。
「……」
「……気持ちは分かります。でも、万が一政宗の正体が知れて彼女に奴らの手が及んでからでは」
俯いて黙り込んだ小十郎に、宥めるような言葉をかける。最も一緒に居たいだろう時期に別れなければならないのだ。
「この件が終われば、また会うことも……」
「確かに、早いうちにここを去らせたほうがいいだろう。……そうしたら、もう彼女とは逢わない」
「そんな!?」
今度は綱元が驚く。総長に引き取らせるのはともかく、関係を終わらせるなどと過激な。
煙草をふかす左手の薬指に光るシルバーリングにそっと触れて。
「先日、政宗と一緒に指輪を買っているところを尾けている奴がいた。総長の娘だということは知らないだろうが、俺と関係を持っている女性
として既にマークされていたんだ。今回の件で織田組を追っ払えたとしても、今後誰に狙われるとも限らん」
まして、伊達組総長の娘であればなおのこと。
「傍に居るだけでは、守れない」
短くなった煙草を灰皿に押し付け、上げた顔からは。
感傷を一切残すことなくそぎ落とした、血風の中に生きる者の厳しさだけが漂っていた。
「……そうですか。貴方がそのように考えているのなら私は何も言いません。危険なのは確かですしね」
後悔する。深い傷を負う。政宗も、小十郎も。きっと。
なんとなく、そうなるのではないかと思いながらもここまで来ることを黙って見ていた綱元なのだ。
この期に及んで二人の結末に口出しなど出来ようはずも、していい道理も、ない。
けれどまだ今なら。深い関係になっていない今のまま別れるのならば。
少しはましなのかも知れないと、考えていた。
煌びやかな表通りのイルミネーションが眠りを妨げぬよう、ブラインドは閉じたままで室内はほぼ暗闇だ。
綱元から政宗についての驚くべき事実を聞かされ、眉間にしわを寄せたまま軽くシャワーを浴びて着替えたときにはもう時計の針は2時を
指していた。
いつもオールバックにしている髪は風呂に入ったために下りていて、鬱陶しげにかき上げながらベッドに歩み寄り――固まる。
ベッドの隅で猫のように丸まって眠っているのは、誰よりもいとおしい少女。
そして、伊達組総長・輝宗の娘。織田組より狙われかねない、始末屋・片倉小十郎の恋人。
寝相が良くないせいでお気に入りのウサギ柄のパジャマを着崩しながらすうすう寝息をたてている。
ちくり。
無邪気な寝姿に、心が鋭い痛みを訴えた。
親権を委譲する手続きが済めば、彼女は輝宗のもとへ去ってしまう。
そして、もう二度と。
逢えなくなる。
それは自分が決めたこと。傍に居れば、いつかきっと守りきれない状況に陥ると。
正しい選択であるはずだ。いかに優れた腕を持っていようと、絶対などないのだから。
でも。
ほんとう、は。
「よく寝てるな……」
誰に言うともなしに呟いて、ベッドの端に腰掛けた。
わずかにたわんだマットレスに、ちいさく唸ってころんと転がる。
丁度ベッドの真ん中、小十郎の目の前へ、仰向けに。
ちらりと見える臍に苦笑してパジャマの裾を直してやり。
「……」
ふいに、己が裡に生まれた衝動に思考が消し飛んだ。
ベッドのスプリングが軋む。
無心に眠る少女の顎を指先で持ち上げ、ゆっくりと唇を重ねる。
柔らかな感触に体の芯が疼きを覚え。
欲望に支配された手が、躊躇う意思とは裏腹に彼女のパジャマのボタンを外した。
「ん……っ」
夜闇の中にも鮮やかな、透けるように白い肌。思っていた以上に痩せた体つき。着衣を解かれたために微かに揺れた、体型の割に豊かな胸。
知らず、ゴクリと喉が鳴った。
すでに酔いは醒めているはずなのに、頭がくらくらする。
(ダメだ! こんなことをすれば、政宗は……)
必死で踏みとどまろうとする理性と。
(このまま離れてしまうなんて、耐えられるものか)
切ないまでの想いが。
ぶつかり、せめぎ合い、葛藤を繰り返した。
啄むような口付け。パジャマのボタンを外した手はその下の柔肌には触れられぬまま。
堪えるように生地を掴んだ。
「――クソッ」
抱きしめようとした腕が、きつく握り締めた拳とともに引き戻され。
激しい欲求を訴えてくる心と体を宥めすかし、ボタンを留めなおす。
傷つけてはいけない。寝ている相手を襲うなど最低ではないか。何を考えているんだ自分は。
直ぐ傍に居る恋人の苦悩にも気付かず眠る少女にもう一度だけ唇を落とし、背中を向けて横になった。
その日から、朝起きたとき、出かけ際、寝る前とキスをかわす姿が日常になった。
可愛らしく頬を染め、爪先立ちになって。
普通の恋人同士ならごくありふれた光景なのに。
日を重ねるごとに、切迫した感情が鬱積して行く。
政宗だけが、何も知らず甘い幸福の中で笑っているのが哀しかった。
『面白いことを聞きましたよ』
美しいネイルアートを施した爪に飾られた手が持つ携帯電話から、丁寧なのにどこか見下したような響きを持つ若い男の声がそう切り出した。
「何? 勿体ぶってないで話しなさい」
深紅の中に、艶やかな蝶の柄。長く伸ばした爪が苛立たしげに電話機をこつこつ叩く。
どうにもこの男は苦手だった。話していると、見えない縄が首筋に巻きついてくるような不快感を覚えて。
『取るに足らない雑兵の報告ですがね。一緒に暮らしている女に連れ子がいるというのですが、先日その父親が訪ねてきたそうです。
誰だったと思います?』
「知らないわ。世間話なら切るわよ」
大通りに面したカフェのテラス席に座った机上には、馥郁たる香りを上げる紅茶のカップ。
歩道を通り過ぎる通行人のうち数人が、携帯を片手に喋っている身なりの良い女を振り返った。
艶冶な和服を纏った、その美貌を。
『あぁ、失礼。遠まわしな言い方はお好きではありませんでしたね。……その父親というのが、あの伊達輝宗だったというのですよ』
「伊達組の総長に子供がいることくらい、誰でも知っているじゃない。それがどうしたっていうの」
意味の見えない会話に柳眉を顰め、本当に切ろうかと思い始めた女の耳にくつくつと陰にこもった含み笑いが届く。
『その子の特徴が、ぴったり当てはまるのですよ。貴女が今マークしている、片倉小十郎の恋人に』
楽しくて仕方ないといった様子。
『年のころは16、7。茶色がかった長めのショートカットで痩せ型体型。……右目に、眼帯』
「……なんですって」
『名前は、政宗といいます。女の子にはあまりない名前だ。一致する外見といい、そちらの『政宗』と同一人物と見て間違いないでしょう』
携帯を叩く爪の動きが止まった。
『とすれば、輝宗と始末屋の両方を同時に抑える重石となる。特に輝宗は情に流されやすい男です。彼女は利用価値が高い』
「そうね、目を離さないようにするわ。……できれば、人質をとらねばならない状況に陥る前にさっさと仕事を片付けて欲しいわね、光秀」
折角イニシアティヴはこちらにあるのだ。それだって、今は後手に回っている始末屋どもが仕事をやり遂げてしまえば一気に形勢は逆転する。
人質をとるのは最終手段のはず。
だから遊んでいないで早いうちにカタをつけてしまえと皮肉たっぷりな声音で返す女に光秀と呼ばれた男は再び電話の向こうで笑った。
『人質など人聞きの悪い。こちらの要求を呑ませるための交渉材料ですよ。不都合な動きをしてもらわないための、ね』
「うぃーす。……あれ、梵は?」
例の仕事スタイルで眠い目を擦りながら成実がリビングへ入ってきたとき、昨日まで忙しく大掃除に励んでいた政宗の姿が無かった。
ここのところ、他の三人と生活時間帯が真逆だったために小十郎たちと顔をあわせるのもあのクリスマス以来だ。
政宗だけは食事を差し入れてくれるために何度か会話をしていたのだが。
「彼女はアルバイトですよ。今日で仕事納めだそうです」
「そちらの首尾はどうだ?」
先日のセクハラまがいの悪戯を根に持っているのか、いつもよりも不機嫌な声音の小十郎。
ソファに座り、銃の手入れをしているが顔が怖い。
「もう少し……ってとこかな。蘭丸のヤロウ――あ、織田組のハッカーね。あいつにだけは負けられねぇ」
「それは重畳。……少し、いいですか?」
怒りのオーラを発している小十郎を避けて綱元の隣に座る成実へ、こちらもどことなく不穏な笑顔で。
「え、何? おれ、マズいことした? ……こないだのことはごめん。ちょっと、調子に乗りすぎた」
「そのことはもういいです。でも同じことを二度やったら……わかりますね?」
「はい……」
「素直でよろしい」
優しげな笑みを浮かべた眼鏡の奥が笑っていない。いつものことなのだが、背筋に寒いものを感じた成実は怯えた顔で神妙に頷く。
「話というのは、政宗のことですが」
姿勢を正して座りなおし、声のトーンが下がった。
「総長から連絡がありましてね。……彼女を引き取るそうです」
「はぁ? ちょっと待ってよ。なんで二人とも、そのこと知ってるの。それに、伯父貴は梵には関わらないって」
「総長が自ら父親だと言ってきた。テメェが黙っていた理由もな」
「貴方の報告を聞いて、奥様と話し合った末の結論です。……継父、というか内縁の父といったほうが正しいですが、彼から暴力を受けてい
たせいで」
綱元の言葉に、やっぱり……とうなだれた。
「アザとかあったし目もあんなだから怪しいと思って、確かに殴られてるっぽいとは言ったよ。でも本当にそうだったんだ……」
「今までは政宗がここに居ることについて、総長は問題はないと考えていました。しかし、織田組との抗争が始まってしまいそうな今、もはや
ここも安全ではありません」
「だから正式に親権を委譲させて政宗を伊達組で守ろうという話だ」
「おれたちが後手後手になってたから、かな」
彼女が輝宗のもとへ行くことになれば、この先一生やくざの娘としての責を負うことになってしまうのだ。そうなる原因が自分たちにもあるこ
とを悔いた成実は膝の上に置いた両手を強く握り締める。
「今それを言っても仕方ありません。不毛な思考はやめましょう。……それで、このことを成実、貴方から政宗に話してください。従弟である
貴方が伝える方がいいだろうとの総長のご意向です」
「わかった。梵、ショックだろうな……実の父親がヤクザだなんて」
すんげー言い難いよ。と頭を抱える。
「頼んだぞ」
深々と嘆息する成実を見遣りもせず、黙々と作業を続ける小十郎の表情はしかめつらしく動くことが無かった。
「……こじゅ?」
「はい、お疲れ様。もう遅くなるから上がって」
店内の片づけを終え、外した前掛けを畳んだ政宗に給料袋と共につきたての餅が渡された。
「これは?」
「うちの旦那と甥っ子がついたのよ。毎年業者さんと従業員に配ってるの。皆で食べて」
まだ温もりを残している餅は柔らかく、真空パックで売られているものしか見たことが無い政宗は目を輝かせる。
「そんなこともするんだ……作ってるところ見たかったな」
「本当はもっと早いうちにやるんだけど、今年は忙しかったから。来年は一緒にやりましょう」
「Realy? 嬉しい!」
いつまで働けるかも分からないというのに、笑顔で誘いかけてくれるまつの好意が嬉しかった。
いつか、まつのような大人になれれば思う。優しくて、広く深い懐を持った女性に。
「仕事始めは4日からだから、ゆっくり休んで。……あ、でもこれからおせち作るのかしら。食べ盛りのお子様が居ると大変でしょ」
「作ってる横からつまみ食いしてくるから、台所に入れないようにしてる」
苦笑して答える政宗に、うちの男ども二人もよく食べるから分かるわぁ、と頷く。
「旦那たちにもよろしくね。良いお年を」
「それじゃあ、お先に失礼します。良いお年を」
ぺこ、と頭を下げて店を出ようとした鼻先で店じまいしたはずの入り口が開いた。
「おじゃましまーす。梵、いる?」
「Oh! びっくりした。なんだよ、今帰るところだぞ」
「あら成実くんじゃないの。どうしたの?」
引き戸を体の幅だけ開けて、遠慮がちに入ってきたのは久しぶりに「仕事着」ではない成実だ。
「いやあちょっと……余り物でいいんで、メシ食わしてくんない?」
「What!? 出かける前に作っていっただろ。あれはどうしたんだよ」
「んーと……足りなかったっていうか……」
がしがし。きまり悪そうに根元が黒くなった頭を掻く。
「だったら作ってやるから、帰るぞ。もう閉店してるんだから迷惑だろ」
「たまにはまつさんのメシが食べたいなぁなんて」
「お前なぁ……」
我侭言うな、と言いかけた政宗をやんわり制してカウンター席に座るよう勧めた。
「いいわよ、そこ座って」
ほどなく二人分の食事が出された。
「ごめんなさい。こいつの我侭聞いてもらっちゃって」
「いいのよ。お得意様だしね。……悪いんだけど、ちょっと上で片付け物をしたいから済んだら食器は適当に置いておいてね。お金とろうなん
ていわないから」
ほうじ茶の入った大きな急須を二人の間に置いてそう言うと、借りてきた猫のようになっている成実に微笑みかけて自宅のある二階へ上
がっていってしまった。
(うあ、相変わらず鋭い……)
自宅では話しづらい話題があるのだろう、というまつの配慮に乾いた笑いを浮かべた。
出された料理はありあわせの材料を使っているにも関わらずそのまま店のメニューにしてもおかしくない出来だ。
足りない、と言った成実のそれが口実であることを見抜いていたまつは、胃に優しくお腹にたまらないものを作ってくれている。
「まつさんに感謝しろよ。ただでさえ普段からお世話になりっぱなしなんだから」
野菜とカマボコの入った温麺をすすっている頭を軽く小突く。
「ん……わかってる。無理頼んじゃってごめん」
食べ終えた食器をカウンターで洗っている政宗を湯飲み片手にぼーっと眺めて、辛そうに視線を落とし切り出した。
「あのさ、聞いて欲しいことがあるんだ」
「何? 急に改まって」
「うん。ちょっと、言いづらいんだけどさ」
歯切れ悪く湯飲みを弄る。綺麗に拭きあげた皿を棚に戻し、そんな成実の様子に不審げな顔をして隣に座った。
「おれ、さ……ずっと黙っててごめん」
両手で持った湯飲みの中身が僅かに波立った。
「実は梵と、従姉弟同士なんだ」
「……は?」
「梵のうちって、ちっちゃい時に両親が離婚してるだろ? おれは、親父さんの甥。最初から梵のこと知ってたんだけど、理由あって言えなかった」
突然の告白に状況を飲み込めず、言葉を失う政宗。成実が従弟であったことにも驚くが、言えなかった理由とは?
「おれんち……っていうか伯父貴が当主だけど……いわゆる「ヤクザ」なんだ。伊達組って、聞いたことない?」
「……え」
もちろん、知っている。日本屈指の指定暴力団だ。ニュースでもたまに耳にする名前。
「二人が離婚したのはね、ヤクザの親分である自分のせいで梵が肩身の狭い思いをして欲しくなかったからなんだ。伯父貴は優しい人だから」
「ヤクザの、組長……?」
ゴト、と湯飲みが置かれる音が妙に大きく響いた。
「梵がおれたちのところへ来た時、無関係を装ったのはこのまま何も知らずに家に戻って欲しかったから。でも今、他の組との抗争が始まり
そうなんだ。こじゅとツナは伯父貴に雇われて抗争を止めようとしてるんだけど、状況が悪くなっちゃって。だから……」
「Wait! ち、ちょっと待て! なんだよそれ。そんなこと母様は何も……信じられるわけないだろ!?」
膝に置いた手がスカートの裾を握り締める。
自分の実父がどういう人なのか、訊いたことは何度もあった。けれどその度にはぐらかされ、母親は決して話そうとしなかった。今思えば、
それは実父が裏社会の人間だったからなのだろう。
でも、そんなの……今聞かされて「はいそうですか」って受け入れられるものか!
「なぜ今になって名乗り出てきたんだよ!? 迷惑かけたくないってんなら、どうしてそっとしておいてくれないんだ!」
握り締めた拳が、震えた。
ずっと知りたいと思っていたけど。それはそうだけど、まさかヤクザだったなんて。
「そうだね、ごめん。伯父貴は名乗るつもりなかったんだ。でも、継父から暴力受けてるのが判って、しかもおれたちは織田組に狙われてるし」
「……その話、誰から訊いたんだ」
自分が継父に殴られ、目を失明させられた上に……ということは、小十郎と綱元しか知らないはずだった。誰にも言わないって約束したのに!
「誰にも訊いてない。おれが、梵の手足の傷を見て……」
バシッ!
「っ!」
「Damn you!! 余計なことをするんじゃねえ!」
張られた頬を押さえることもせず、横を向いてうつむく成実の襟元を掴んで。
「ちくしょう……っ!」
搾り出すような声でそう繰り返すと、胸に顔をうずめて何度も握りこぶしで叩く。
「ごめん……ごめんね……」
混乱と哀しみと怒りと。ごっちゃになった感情を持て余し、どうしていいのか判らない。
そんな政宗を成実もまた、宥めるように背中を撫でて謝ることしか出来なかった。
しかし、時間は残酷なまでに刻々と進んで行く。
歳末を迎えて世間一般は慌しい賑わいを見せているが、そんな中でも伊達組と織田組の抗争は静かに進行していた。
水面下で、警察の目すら届かない末端構成員同士の小競り合いが始まる。
『ブルー・ヘブン』密売の証拠は未だ掴めず、成実と蘭丸の戦いは日を追うごとに激化するばかり。
小十郎は来る直接闘争に備えてリハビリに励み、綱元は頻繁に伊達組と連絡を取った。
もはや、戦いへ向かう流れは止められない。
自分の出自とそれにまつわる辛い現実――小十郎から離れなければならない――に打ちのめされる政宗にもまた、決められた刻限が
迫っていた。
「総長から、明日迎えの者を寄越すと連絡がありました」
成実から事情を聞かされ、それ以降ひと言も口を利かなくなった政宗は綱元に言われるまま、持ち込んだ荷物をまとめた。
「このゴタゴタが終わったらさ、また遊びに来ればいいじゃん。おれだったら学校でも会えるし、ね?」
つとめて明るく振舞っているのだろう。元気付けるように言う成実にちいさく笑って見せて。
「『賎ヶ岳』のおかみには挨拶に行ったのか?」
「Yes. すごく残念がってた。もちつき、しようって言ったのにな……」
これが最後だからと三人揃って夕飯を終え、仕事に戻る二人はリビングから消えて政宗と小十郎だけが残った。
「……これで、安心して暮らせるな」
「顔も覚えてない父だからなんだか違和感があるけど」
「総長はヤクザとは思えねぇほど好人物だ。心配いらない」
「手続きが済んだから、もう「最上」じゃないんだ……不思議な気分」
もう、ただの女子高生ではないのだ。昨日まで目の前に居た、辛い過去を背負っていてもしがらみなどない、普通の少女では。
今日からは、日本を代表する任侠一家の跡取り娘。
伊達政宗。
ソファにちょこんと座り、細い肩を落としている姿は酷く頼りなく寂しげで、小十郎は彼女に聞こえぬように溜息をついた。
「……明日、早いみたいだから。もう寝る」
立ち上がり、傷のある左頬に手を触れると軽く口付けて。
「Good night」
何度も繰り返されてきた言葉が、数ヶ月という短い異常な日常の終わりを告げる。
照明を落とした広いリビングに一人。深く考え込んでは溜息をつき、幾度巡らせようと終わりのない思考に首を振る。
逡巡してはいけない。躊躇う道理はない。選択の余地など、残されていない。
胸を刺す鋭い痛みはいつか消えてしまうだろう。
それで良いのだ。
涙など、疾うに枯れている。
「私も一杯もらえますか」
どうしても自室へ戻ることが出来ず、買ったまま封を切っていなかったバーボンを呷る小十郎の背後でドアが開いた。
早々に戻っていたはずの綱元だ。
「珍しいな。お前が酒を呑みたいなんて」
「たまには私だってそういう気分になります」
「下戸じゃなかったのか」
「好きではないだけですよ」
煙草の吸殻が大量に載った灰皿をほんの少し眉を顰めて眺め、向かいに座る。
重たいクリスタル製のグラスにストレートの火酒が注がれた。
深い琥珀色の液体が喉を灼く感覚に瞼を閉ざし、眼鏡を外すとテーブルに置く。
会話もなく、黙々と。
「……弾丸を手配しました。できれば使う前に交渉へ持ち込みたかったのですが。これで、いつでも戦えます」
「こっちも大分調子が戻ってきた。……眼鏡、変えたんだな」
テーブルの上の眼鏡はいつもかけている殆ど度の入っていないものではなく、小さなターゲットを目視するのに適した強度数のものだ。
滅多に使うことのない、狙撃専用の。
「早期にケリをつけるなら、ヘッドとその周辺を殺るのが一番です」
眼鏡というフィルターを外し、表面上の穏やかな人格を拭い去った綱元の凶悪な微笑。
人の命を奪うことにトラウマを持っているはずのこの男が、いかにしてこんな顔を手に入れたのかと思うと小十郎はぞっとするものを感じる。
「お前が敵じゃなくて良かったとつくづく思うぜ……」
ゆるく首を振ってしみじみと言うのにも、言葉はなく唇の端を上げただけのいらえ。
短い会話はそこで途切れ、後は何かを話すでもなく瓶の中身が半分ほどになった頃。
顔色一つ変えずに呑んでいた綱元が口を開いた。
「政宗を一人で行かせて本当に良いのですか? さっきも随分そっけない態度で」
「一度決めたことを反故にするほど女々しくないんでな。何が言いたい」
グラスの底に残った酒を飲み干して。
「連いていけばいいじゃありませんか」
「お前、気は確かか。何を馬鹿なこと言ってやがる」
とてもそのようには見えないが、酔っているのだろうか。
「正気ですよ。……そろそろ組に入らないかと総長から誘われたんです。今まで独自の立場を貫いてきましたが、もはや周囲は私たちを伊
達組の一員と認識していることでしょう。今回のことでそれがハッキリしました。だったらいっそ」
「誰の命令も受けないと豪語したのはどうした。以前のお前はそんなヤワな男じゃなかったぞ」
五年前、初めて輝宗から仕事を請けた時に同じように勧誘された綱元は断っていたのだ。他人から指図されるのは真っ平だと言って。
「私も老いたのかもしれませんねぇ」
「はぐらかすんじゃねえよ」
のんびりとした返事は答えになっていない。グラスに半分ほど注いだ酒を手の中で回し、顔を下向けたまま鋭い視線だけを向けた。
「人は変わるもの。これが、この五年彷徨い続けた私の結論です」
「理解できんな。組員になるなら綱元、お前だけで行ってくれ。俺は誰にも跪かない」
そう、ただ一人の女性以外には。
「大概頑固な人ですね、貴方も。素直になれば楽でしょうに。……さて、私はそろそろ戻ります。あまり深酒をしないでくださいよ」
眼鏡を取り上げ、よっこいしょっと声をかけて立ち上がった綱元に厭な顔。何も、わざとらしく年齢を強調することもなかろうに。
「余計なお世話だ」
「世話もしたくなります、貴方のような人は」
リビングのドアを開け、そこに立っていた小柄な人影に微笑みかけてさっさと出て行ってしまった。
「……起きていたのか」
「ちょっと寝たけど、眠れなくて。隣、いい?」
綱元と入れ替わるように入ってきたのは、カーディガンを肩にかけた政宗だった。
「いろんなことがあったから……それ考えてたら」
眠気が消えてしまったと言って肩に頭をもたせかけてきた。
「半年もないような短い間だったのに、もう何年も一緒に居るような気がする。最初はあんなだったのにな」
初めて会ったときのことを思い出したのか、懐かしむような表情で苦笑をもらす。
「あの時、間に入ってくれたのが小十郎でよかった」
それだけじゃない。行くところがない自分を拾ってくれたのも、傷口から流れ続けていた血を止めてくれたのも、
人を恋うることを教えてくれたのも。
すべてが、ただ一人の人。
「えっと……」
沢山言いたいことがあるのに、一生懸命考えてきたのに、言葉になる前に消えてしまう。
ありがとう、とか好きだ、なんて言っても足りない気がする。
残ったのは、胸を締め付ける痛みのような何かだけ。
苦しくて。でも決して苦痛ではなく。
ふいに零れそうになった涙をパジャマの袖で拭った。
「あれ、何でだろ。泣きたいわけじゃないのに。Sorry. ちょっと俺、顔洗って……」
慌てて尻を浮かせかける政宗の腕が、おもむろに大きな手に掴まれた。
そして、引き寄せられる。
強い力で抱きしめてくるのに少しだけ抗うが、すぐに力が抜けた。
「小十郎?」
つり上がり気味の独つ目を見開いて、真っ直ぐに見つめてくる。
同じように見つめ返して。
――俺は今、赦されざることをしようとしている。
離れなければならないのに。これ以上、先へ進んではならないのに。
でももう、戻ることなど。
「……OK. キレイじゃないけど、良いよな?」
微かに震えて細い体を抱く腕を、こどもにそうするように優しい手つきで撫でた。
「連れて、行って?」
甘えるように囁いて。
結び合おう。それが、更なる苦悩をもたらすとしても。
二人で堕ちて行く場所なら、何も怖くなんかない。
To be continued...
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