!! ATTENTION !!

このシリーズは政宗様が16歳の女子高生になっています。
「……痛いよソレ」とか思っちゃった人は読まないでくださいませ〜。


















Hitmen'n Lolita #26










「長らく世話をかけたな」

 成実が蘭丸と初めて言葉を交わしてから数日後。

 毛利医師も驚愕する回復速度を見せた小十郎は支えられずとも立っていられるようになり、塞がり始めた傷を庇いつつも体力回復の

ためのトレーニングを始めた。

「もう歩き回っても大丈夫?」

 それまで綱元と共にかいがいしく小十郎の介護を行っていた政宗は、初めて彼が一人で歩くことが出来たとき手を叩いて大喜びした

ものだ。

「無理はできんが、普通に生活するくらいならなんとも無い。これ以上寝たきりだと腐っちまう」

「そうか……よかった」

 身体が回復するということは、また危険な仕事に戻って行くということでもあったがそれを今案じても仕方の無いことだった。

「そういえば、成実は? この間のことは綱元から聞いたぞ」

「いちおう念のために検査を受けに行ったみたいだ。でも何も異常は無いって」

 脳波を読み取る入力デバイスを遠隔操作され、神経信号を送る流れを逆流させられた成実は脳障害を残してもおかしくない衝撃を受

けていた。

 それでも奇跡的に軽い脳震盪様の症状で済んだのは驚異的な頑強さからか。

 いまだ一般には出回っていない新しい技術なだけに、安全対策が不完全なところを見事に衝かれた形だ。

 あれ以来、成実は躍起になって入力デバイスの改良を行い、リベンジに燃えている。

「期末試験も受けなくて、終業式も出なかったし……進級できなくなるんじゃ?」

 出かけるのか、クローゼットからコートを引っ張り出して小十郎に振り返った顔は心配げだ。

 中間試験の頃は勉強を見ていたのだが、学校へ行かなくなってからはそれもない。

 元々出席数が足りないというのにそんなことでは留年は必至だろう。

 成績表だけ頼まれて受け取りにきた政宗に担任の教諭は学校へ来るよう説得してくれと言ったものだ。

「あいつのことは気にしなくていい。それより政宗、自分の方をもっと心配しろ。そろそろ進学のことを考えなくてはいけないのではないか?」

 もう二年生も終わりに近い。彼女のクラスメイトたちも何処の大学を受けたいだのと話題が出始めたところだ。

 実は、三者面談の話も来ている。だが、実家を離れている政宗は親と連絡をとろうとしないので気になっていた。

「ん……。そのうち母様に電話する」

 あまり考えたくないことなのだろう。花がしおれるように表情を曇らせ、ちいさく頷いた。

 やはりまだ、実家に戻れる状態ではないのだ。親と会話が無いのだから事態に進展がないのは当たり前だが、政宗の心情的にも

ショックから立ち直っていないのは明らかで。

 いつまでもここに居ていいわけではないが、つらい現実から目を逸らしたい彼女の気持ちを思うと『将来』のことなどとても強くは言え

ない小十郎であった。

「……出かけるのか?」

「Yes. クリスマスツリーを見に」

 重たい沈黙が漂うのを振り払うように話題を変えた小十郎に応じて笑顔で返事をした。

「そろそろ時期だろう? 折角だから24日はPartyにしようと思って」

 今までは母親と二人で慎ましく暮らしていた彼女にとって、そういったイベントは何より嬉しいものであるらしい。

 小十郎を看病する間に編み上げた、白いポンポンつきの青い手袋をはいて「Presentも選ばなきゃな」と楽しげだ。

「買い物するのなら荷物持ちもいるな。俺も行っていいか?」

「Of course! 誘おうと思ってたところだったんだ」

 喜色満面、といった表情で今度はおおきく、首を縦に振った。



 クリスマスも間近な街は華やかな色彩でにぎわっていた。

 ツリーやリースの緑。ベルについたリボンの赤。金銀に輝くオーナメント。雪の白。

 行き交う人々もそれぞれに買い物の荷物を抱え、幸せそうだ。

 出掛けに「あの白いのは血が落ちなかったから」と渡された手編みのマフラーは政宗の手袋と同じ色をしていた。

 今日はいつものコートではなく、珍しくカジュアルなダウンジャケットに細身のブラックジーンズといういでたちだがそれにとてもよく似

合っている。

 ゆっくり歩く隣でショーウインドウを眺めてはしゃぐ彼女。

 傍から見れば、ごくふつうの恋人同士に見えるのだろうか。

  「リビングが広いから床に置くタイプのがいいよな。ドアにリースも飾りたい! なあ小十郎、どう思う?」

 大手雑貨店1階の特設フロアに設けられた売り場で子供のように目を輝かせ、綺麗に飾り付けられたツリーを選んでいる。

 商品を見るよりも、そんな政宗を眺めるのが楽しくて彼女の選ぶに任せようと思っていたところに振り返り、少し甘えた声音で見上げ

てきた。

「む……」

 正直なところ、こういったものに興味はない。幼少時は神職の家だったために宗教行事であるクリスマスに縁が無かったし、長じて裏

社会に入ってからはなお一層。

 それこそ、なんでもいいのだ。喜ぶ彼女の顔が見られれば。

 だが、ここで適当に答えてしまうのは良くない。

「あまり奇を衒ったものよりスタンダードなデザインのがいいと思うが」

 売り場には、大きさもデザインも様々なツリーが揃っている。一般的なものから、木の部分が白いもの、グラスファイバーで出来たきら

きら光るもの。

 小十郎が指差したのは中くらいの大きさの、ありふれたデザインのものだ。

 緑の美しい針のような葉に、可愛らしいオーナメントが沢山ついている。雪を模した綿に、つやつやした赤い実をつけたヒイラギ。天辺

には金色の星。

 ところどころに飾られた小さな天使の人形がいかにも好きそうな感じだったので選んだものだが。

「Grate! いま俺もこれがいいかなって思ってた!」

「じゃあ、これにしようか」

 それからしばらく見て回り、最初に小十郎が選んだツリーを買ってリース売り場へ移動する。

 そこで政宗は出来上がった商品ではなく、幾つかの飾りやリボンと土台になる蔓植物をリング状に束ねたものを買っただけだ。

「それをどうするんだ?」

「出来上がってからのお楽しみ。実は少し前からPreserved flowerを作ってたんだ」

「ぷ、ぷりざーぶ……?」

「枯れないように加工した花。元の花と違う色に染められる」

 どうやら、ちょっと変わったリースを作ろうとしているようだ。

「そんなことまでするのか」

「花が好きだから。華道とかフラワーアレンジメントもやってたし」

 小十郎には両者の違いがよく判らなかったが、料理といい編み物といい、このリースといい、繊細な趣味を持っていることは理解できた。

 さらにいえば、政宗の趣味はじつに広い。それに伴って知識量も多いものだからTVを見ていても「これはこういうことだ」と説明してみせる。

 いわゆる雑学というやつだ。

 小十郎自身も読書を好んでいて、ジャンル問わず色々と読んでいるために最近になってやっと共通の話題が出来始めていた。

 そうなると不思議なもので、ほんの少し開いていた二人の距離が一気に近くなる気がする。

「混んできたな。店を出よう」

「あ、待って……」

 歩き出した小十郎を追いかける政宗が人ごみに押されて声を上げた。

 クリスマス商戦真っ只中の、それも品揃えが良くて人気の雑貨店は一番混む時間帯を迎えて人でごったがえしている。このままでは

はぐれてしまいそうだ。

 小柄な政宗は人波の向こうにいる小十郎の頭を見失いそうで小走りになりたくてもできない。

「きゃっ」

 追いかけるのに夢中になっていた彼女に、大きな荷物を抱えた客の一人がぶつかった。

 予想もしない衝撃に足をもつれさせ、倒れかけたのに気付いた小十郎が慌てて駆け寄り、華奢な手を掴む。

「大丈夫か?」

「うん……」

 思わず頑丈な腕にすがりついてしまった政宗はわずかに頬を染め、照れくさそうに微笑んだ。

「手、繋いでもいい?」

「あぁ。そうしたほうがいい」

 掴んでいたのを一度放し、差し出される右手。小作りな政宗の手などすっぽり収まってしまう。

 温かくて大きな手。銃を扱っているせいか、ごつごつしてマメが出来ている部分もある。

 でも、一番大好きな手。

 手袋を取って重ねられた白い手は数多くの女性を知っている小十郎でも経験したことの無いような感触だった。

 少し冷たくて、驚くほど柔らかくて、綺麗に磨かれた爪が桜貝みたいで。

 ちょっとだけ荒れているのは家事やアルバイトで水仕事をしているからか。

 しかし剣道有段者だったり、いつも成実に正拳突きをお見舞いする手と同じとは思いがたい。

「あ、左手! それ重いだろ? 持たせてごめん」

 買ったツリーを持っているのが脇腹に怪我のある左手であることに気付き、荷物をくれと続けた。

 傷が塞がったとはいえ、無理をして重いものを持てばまたいつ開くとも限らないのだ。

「いや、こうすればいい」

 右手を離し、ツリーを持ち替えて今度は自分から政宗の手をとった。

 歩き出しても、自分から言い出したとはいえ周りの視線が気になるのか、恥ずかしそうにうつ向き気味だ。

「どうした?」

「……その……男の人と手をつないだのって小十郎が初めてで……」

 成実はカウントされていないのが少々哀れである。

 その行為自体はこれが初めてというわけではない。彼女が言いたかったのは、『恋人として』手を繋いで歩く、ということだろう。

 だからなんだか気恥ずかしくて、と声が段々小さくなる政宗の愛らしさに小十郎は内心身悶える。

 今時の高校生女子で、ここまで純情な娘がいるだろうか?

 彼女の場合、恋愛を知る以前にその先を知ってしまっているわけだが、だからといってすれているわけではないのは稀有なことである

と言えた。

 そんな、もじもじしている少女へ柔らかい笑みを向け。

「次は何処へ行こうか?」

 繋いだ手をしっかりと握りなおして、肩を並べて歩き出す。



 アルバイトで初めての給料を貰ったときに三人へ贈ったプレゼントを選ぶよりもさらに慎重に、政宗は品物を選んでいった。

 成実には「最近、疲れているようだから」とバスグッズを。

 あるとき、彼の風呂が自分より長いことに気づいた政宗は成実に尋ねたことがあった。すると湯船に入って音楽を聴くのが好きなのだ

という答え。

 意外な趣味に軽く驚きつつも、そのまま音楽の話になって盛り上がったものだ。

 洋楽ポップス系が好きな政宗とハードロック/ヘヴィメタル至上主義の成実ではまるでかみ合わなかったが。

 わかりやすい成実に比べ、いまいち趣味嗜好のわかりづらい綱元へのプレゼントは小十郎に選んでもらうことにした。つきあいが長い

という彼なら、好みも知っているだろうと思ったのだ。

 が、しかし。

「……引くなよ?」

 選んでくれ、と言われて何かを思いついたらしいのだが困ったような曖昧な苦笑を向けてくる。

「なにか、変わったものとか?」

「変わってる、ってわけじゃねえが……まあ、なんだ」

 と、歯切れの悪い返事と共に連れて行かれた先に政宗は小十郎の態度の意味を知ってこちらも微妙な顔で苦笑い。

「この人形を欲しいと言っていたんだ」

 ……それは、マニアの間では有名なアニメショップ限定の美少女フィギュアである。

「……『萌え』ってやつ?」

「……らしいな……」

 やっぱり鬼庭綱元という人は面白い、と思う。

 とてもあのなりと物腰からはいわゆるオタクの匂いがしないのだ。

 もしかすると、彼が自室に政宗を入れさせないのはこういった趣味満載の部屋だからなのかもしれない。表向きは武器庫を兼ねてい

るからと言っているが。

 そして。

「小十郎は、なにが欲しい?」

 二人へのクリスマスプレゼントが入った紙袋を抱え、頭ひとつ分以上背の高い小十郎を見上げて訊ねる。

「そうだ! あの、いつもつけているコロンとか?」

 寝込んでいる間はつけていなかったものの、随分長い間愛用しているのだろう。部屋そのものや布団にはいつも同じ香りが仄かに漂っていた。

 今も手を繋いで寄り添う小十郎からはそのコロンが香っている。

「最近はあまりない雰囲気の香りだよな。ちょっとお香っぽい……。でも渋くて似合ってる」

 ファッションには興味が薄いのか、いつも似たような服装をしている小十郎の唯一と言っていい自己主張であるコロン。

 あまりそれを褒められたことがないのだろう、こそばゆい笑みで口許をゆるめる。

「あれは『レルム』というやつだ。確かにあまりメジャーではない。探そうとするとちょっと苦労するぞ。……政宗は、なにが欲しいんだ?」

 逆に質問され、うーんと唸って考え込む。

 通り過ぎて行くショーウインドウの中は綺麗な服や靴で飾られていたが、それらを眺めてもあまり反応を示していなかった。

 今までの暮らしの中で、彼女があまり物欲というものに縁が無いことを小十郎は知っていたが、身につけるものに拘りがあるのは確かだ。

 促すような視線を受け止め、幸せそうに独つ目を細めて。繋いだ手に、きゅっと僅かな力を入れて。

「Hmm……もう、欲しいものは手に入っちゃったし」

 どんな贈り物よりも、得がたいものを。

「それではクリスマスプレゼントにならないだろう」

 『手に入ったもの』が何であるかは言うまでも無い。直球過ぎて不意をくらった小十郎は柄にも無く朱を上らせかけた顔を必死で押しと

どめ、そのせいかややぶっきらぼうに応える。

「とりあえず、適当に見て回ろうか」



 なにか、おかしなことを言ってしまったのだろうか?

 突然自分の顔を見なくなった小十郎の態度に政宗は首を傾げる。

 手を繋いで歩くというより、少し前に立って引っ張るような感じになってしまった手の先が熱い。

 見上げる広い背中は話しかけることを拒否する空気を纏っているわけではなかったが。

 照れているのだと気付けない彼女は、小走りになって小十郎の隣に並ぶとおもむろに彼の腕をとった。

「……!」

 びっくりして振り向く顔に、悪戯めいた微笑で返して。

「そんなに急いで歩かなくてもいいだろ?」

 抱えられた腕の、肘の辺りがむにっと柔らかい感触に包まれる。

「あ……いや……すまん」

 今度こそ顔を赤らめてしどろもどろの返事を寄越す小十郎に「いちどやってみたかたったんだ、これ」と言ってさらにぴったりと身を寄せた。

 楽しげな笑顔で上機嫌の政宗に対し、小十郎は背中を冷や汗が伝い落ちて行くのを感じていた。

 腕を組んで歩くのも、その腕が胸の膨らみに触れているのも、初めて経験することではない。

 それなのに、まるで尻の青い小僧のごとく動揺している自分がいる。

 久しく忘れていた、この高揚感。

 あぁ、たまらなくいとおしい。



 腕を組んだままの二人はデパート一階の宝飾品売り場へ立ち寄った。

 男っぽく振舞っていようと、やはり綺麗なアクセサリーは魅力的に見えるらしい。

 自分の給料では無理、と言いつつガラスケースを眺めている。

「プレゼントですか? ご覧になりたいものがございましたらお出ししますよ」

 わりとカジュアルなデザインの指輪が並ぶ店の前で足を止めた二人にすかさず店員が声をかけてきた。

「……見てみてもいい?」

 気に入ったものがあるのか、くい、と腕が引かれる。

「そのために来たんだ、遠慮するな」

「Thanks. じゃあ、これを……」

 政宗が指差したのは、小さなブルーダイヤが嵌ったシルバーのリングだ。

 翼を広げたドラゴンの透かし彫り、というごつそうな図柄の割にどこか優しく繊細な雰囲気を纏っているのが珍しい。

「どうかな?」

 見た目よりも重量感のあるシルバーリングだが、そのデザインのせいで彼女の白い繊手に昔から持っていたもののようによく似合っていた。

「重たそうだな」

「ん、大丈夫」

「こちらでしたら、ペアリングでご用意できますよ。お二人でいかがです?」

 営業スマイルと共に同じ柄の男物を差し出された上、期待するような政宗の視線に耐えかねた小十郎は観念して指輪を手に取った。

「It’s cool! すごく似合ってる!」

 女物よりもやや大きく、揃いのデザインでありながらしっかりとシルバー特有の重厚な雰囲気が出ている。

 指輪どころか、装身具などまるで縁の無い小十郎は微妙な苦笑を浮かべて自分の指を飾るシルバーリングを眺めた。

 まあ……こういうのもたまにはいいのかもしれない。

 ペアリングなどつけているところを綱元あたりに見られたら、爆笑してからかい倒されるのは明らかだったが。

「サイズは大丈夫か?」

「ちょっと……大きいかも」

 そっと手を掴んで指輪を動かすと政宗の言うとおり、くるりと回ってしまう。これでは手を下に向けたら落ちてしまうだろう。

「測ってみましょうか。左手をお出し下さい」

 困った顔で外した指輪を返す政宗に計測用のリングの束を取り出した店員は「サイズは取り揃えておりますから大丈夫ですよ」と微笑んだ。

「綺麗な手をしていらっしゃいますね〜」

 いくつかサイズの違うリングを試してゆきながら、店員が溜息をつく。

 営業トークではなく本気らしい言葉に、自分が褒められているわけでもないのに誇らしい気分になるのは惚気ているということなのだ

ろうか。

 そんなほんのり甘い気分に浸っていた小十郎だが、ふいに刺すような視線を感じて背後を振り返った。

 一瞬にして、緩んでいた気分が引き締まる。

「What’s up?」

 いきなり厳しい顔つきで背後を振り返った小十郎にどうかしたのかと政宗が見上げてくる。

「……」

 振り返ってしまってから、(まずい!)と臍を噛む。観察者に気付かれぬよう確かめねばならなかったのに。

 しかし、やってしまったのだから仕方ない。

 視線は背後から感じた。が、周りを見回しても隠れてしまったのかそれらしい人影はもうなかった。

 応えない小十郎へ不審気な表情を向けてくる政宗になんでもないと小さく笑いかけて。

「丁度いいサイズのがあったようだな。……ふたつとも、貰おうか」

 シルバーリングを買うことにして、早々に買い物を切り上げてしまった。



(マズい……政宗と一緒にいるところを見られてしまったかもしれねぇ。連中、彼女を狙ってこなければいいが……)



 それから数日後。

 玄関には濃淡美しく染め分けられたプリザーブの蒼い薔薇で飾られたリースがかかり、リビングには可愛らしいツリーが置かれた。

 小十郎と仲良く飾りつけをしている様を見た綱元は予想通りの反応を示し、成実は相変わらず部屋から出てこない。

 先日の一件からこっち、日を追うごとに成実の態度は刺々しさを増しており、普段の明るさはすっかりなりをひそめていた。

 食事をしていても終始無言で、厳しく引き締まった顔は眉間にしわが寄ってまるで別人。

 一人事情を知らない政宗はなにがあったのかと心配顔だ。

 そんな中で迎えた、クリスマスイブ。

「すげーっ、今日は超豪華じゃん」

 ケーキを焼くいい匂いにつられたのか、珍しく機嫌が良いらしい成実が台所に立つ政宗に背中から抱きついた。

「だろ? ……仕事を頑張るのはいいけど、今日くらいはゆっくりしろよ」

 腰に腕を回し、ごろごろ甘えてくる成実の頭をぺちっと叩いて顔だけ振り向く。

 その瞬間、微かに鼻腔をかすめた香りに成実はほんの少し、眉を顰めた。

(こじゅの匂いがする……)

 リハビリ期間中で、ほぼ一日中政宗と共にいる上に一緒に寝ているのだから移り香があっても当然なわけだが。

(なんか、ヤな感じ)

 心底幸せそうな政宗の微笑が。彼女から香るレルムの匂いが。

 じわじわと疲れた成実の神経を逆撫でる。

 きつく握り締めた手の中で、爪が掌に食い込んだ。

「……うん、そうする」

 それだけ言うのが精一杯で。

 笑顔を作るのが苦しくて、じゃれつくふりで政宗の肩口に顔を埋めた。

「なんだよ、今日はやけにくっついてくるな。ほら、もう少しで出来上がるからテーブル片付けて来い」

 そんな成実の内心など知らぬげにそっと押しのけて、再びケーキのデコレーション作業に戻ってしまった。

「ね、だったら今日は屋上で食事しない? 椅子とテーブルを持ち込んでさ。周りは明るいけど、星とかけっこう見えるんだ」

「外!?」

 腕を解き、力なく微笑んで布巾を片手にキッチンを出かけた成実がふと思い立って提案した内容に、飾り用の苺を持ったまま目を丸く

して再び振り返る。

「今日はそんなに寒くないし。楽しいと思うよ」

「そうだな……折角のPartyだし、そうしようか」

「じゃ、早速」



 ほどなくして政宗の好意で招待された毛利医師が来訪し、ささやかな晩餐会が始まった。

 成実の提案通り屋上にテーブルとソファを持ち込み、灯り代わりのキャンドルが灯される。

 ご丁寧にクリスマスツリーまでリビングから移動された。

 昼過ぎから一人キッチンで奮闘した料理は、味にうるさい毛利医師をもうならせる出来。

 ようやっと飲酒が解禁になった小十郎もビールのグラスを片手に楽しそうだ。

 ……向かいの席では主治医が目を光らせていたが。

「成実、ちょっと音楽のボリュームでかくないか?」

「いーじゃん、べつにこのビル、おれたち以外に人が住んでいるわけじゃねえし」

 食事があらかた済み、デザートにと用意したケーキを切り分けていた政宗がテーブル脇に置かれたラジカセを指差した。

 コーラの入った大きなタンブラーを持ち、「文句言う奴なんかいないって」と大げさに手を振る。

 先ほどから大音声で流されているのはクリスマスソングなどではなく、まるっきり成実の趣味であるロックバンドのアルバムなのだか

ら雰囲気もなにもないのだが。

「貴様の趣味は理解できぬ。音楽を楽しみたければヘッドフォンでもつけよ」

 赤ワインの入ったグラス片手の毛利医師もうっとうしげに冷たい視線を成実に向けた。

 激しいギターリフとデスボイス満載の音楽はお気に召さないらしい。

「っつかなんで先生がいるわけ?」

「俺が呼んだんだ。小十郎のことですごくお世話になったし。……そういう言い方は失礼だろ」

「おれはぁ、梵と二人で騒ぎたかったわけ!」

 ぶすっとした顔をしたと思ったら、とたんに笑い転げだした。

 やや怪しげな足取りで政宗の隣に座ると、ぎゅーっと盛大に抱きつく。

 そのまま、「梵、大好き♪」と囁いておもむろに頬へキス。

「Hey! いきなり何するんだ」

「ごろごろにゃー」

「こら、あんまりくっつくな!」

 頬というより、唇の直ぐ脇というきわどい位置。政宗を挟んで反対側の隣に座っていた小十郎の顔が引きつった。

 さすがに怒鳴りつけるのはプライドが許さないのか、無言を保っているが目が怖い。

「大人気ないですよ、小十郎」

「うるせえ」

 下戸である綱元はポットで持ってきたコーヒーを飲んでいる。切り分けられたケーキの皿をテーブルに置いて、そろそろ度を越し始めた

成実をやんわりと嗜めた。

「あまり政宗を困らせるものじゃありませんよ。ほら、離れて」

「やだ」

「また子供みたいなことを言って」

「おい成実。いいかげんにしねえと……ん? テメェ、酔ってるな?」

 こんな場で殴り倒すわけにもいかず、困り果てた顔で助けを求められた小十郎がついにドスのきいた声を出したところで、どうにも成

実の様子がおかしいことに気付いた。

「え!? 何飲んだんだよ」

 驚いて彼が持っていたタンブラーの中身を確認する。

 てっきりコーラだと思っていたら。

「小十郎、これ多分お酒混じってる……何時の間に」

「っのバカ!」

「にゃー」

 怒られても酔っ払いの成実には馬耳東風。ご機嫌な顔でにまーっと笑うと、襟ぐりの深いセーターを着た政宗の胸へ顔を埋めた。

 むにゅ。

「あ、やっ……くすぐったい!」

「ふかふか〜……しあわせ……」

「No! やめろって!」

 柔らかな感触を楽しむように頭を動かし、抱きついたまま動かなくなった。

 ほどなく聞こえてくる、健やかな寝息。

 すぐそばでその様を見ていた小十郎は成実の行為によって揺れた乳房の動きをもろに目にすることになり、うっという顔になる。

 が、その次の瞬間。

「成実……悪戯も大概にしろよ……!」

 静かな口調ながら聴く者を震え上がらせる怒気を孕んだ叱責が飛ぶ。

 がっ。

 幸せいっぱいの寝顔を晒して爆睡する成実の襟首を掴み、力任せに引っ張った。いや、引っ張ろうと、した。

「っ痛……」

 力を入れた途端に鋭い痛みが走った脇腹を押さえて前傾姿勢になる。これ以上やると傷口が開いてしまいそうだ。

「あぁ、無理をしてはいけません。まだ塞がったばかりなんですから」

「愚か者め」

「クソッ! 早く、コイツを連れて行け!」

「しっかり抱きついてて離れないんだよ……」

「仕方ありませんね。ほら、部屋に帰りますよ」

 眠っているくせに力いっぱい抱きついている成実を背後から羽交い絞めにして政宗から引き剥がすと、ずるずる引きずって連れて行っ

てしまった。

「それでは、こちらも退散するとしよう」

「Doctor. なんか、ヘンなことになっちゃってごめん……」

「あの単細胞は少々殴ったところで怪我などせぬわ。甘やかすでないぞ」

 ソファに置いていたコートとマフラーを取り上げ、弦月のごとき鋭い目を僅かに緩めて短く礼を述べると、二人を追うように屋上から出て行く。



 酔っ払った成実とそれを部屋へ連行していった綱元と、毛利医師が去って屋上には政宗と小十郎だけが残された。

 理解できない者には単なる轟音にしか思えない音楽を消すと、眼下に広がる街の喧騒が遠く聞こえて、二人を包む静寂が際立つ。

「最後、あんなことになっちゃったけど楽しかった。……無理、言っちゃってごめん」

 本当は、クリスマスパーティーどころではなかったはずなのに。

「いい息抜きになった。礼を言わねばならないのは俺達のほうだ」

 政宗がやってくる前は、こんなに心安らぐ日などありえなかったのだから。

 ひゅう、と吹き抜けたビル風にキャンドルの火が揺らぐ。寒くなったのか、肩を震わせた政宗は隣に座る小十郎に身を寄せて目を伏せた。

「冷えてきたな。そろそろ戻るか」

 風邪をひいてしまったら大変だ。彼女の体調を気遣って立ち上がりかけた、その袖を軽く引っ張って緩く首を振る。

「もう少し……二人でいたい」

 成実は泥酔しているし、それを介抱しているだろう綱元も戻ってくる気配が無い。

 家に居れば二人っきりなんて滅多に無いことなのだ。

 ふわり。言うことを聞きそうに無い様子に苦笑して、羽織っていたコートを肩にかけてやる。

「……Thanks」

 だぶだぶのコートに包まってはにかむような笑みを零し、「でもそうしたら小十郎が寒いだろ」と言うと二人でひとつのコートを肩にかけ

るようにくっついてきた。

 幽かな星明りと、煌びやかにライトアップされた地上の反照の下。

 互いにひと言も喋らないで。



 このまま、総てを忘れて時間を止めてしまえたらいいのに。



 背後から忍び寄る怖ろしい予感を振り払いたくて。

 確かなものが欲しいから、互いを結び付けておきたい。

 くだらない児戯のような儀式に過ぎないと解っていても。

「……手を」

 懐から先日買った指輪の箱を取り出して、肩に頭をもたせかけて瞼を閉じている政宗の手をとった。

 ブルーダイヤを抱える、翼を広げたドラゴンのシルバーリング。

 触れただけで折れてしまいそうな華奢な指に、それをゆっくりとはめていった。

「綺麗……」

 銀色の輝きも美しい指輪は、薬指に。

 ペアリングであるそれを小十郎の指にしてやると、政宗はふんわりと微笑んだ。

「Wedding ringみたい」

 永遠の愛を誓う証。それと同じだと言って。



 そんな将来などありえないことなんか解ってる。

 この、あまりに儚い関係が終わるときは近いのかもしれない。

 敢えて先のことを語らないようにしてきた。確かめるのが怖くて。

 こんなにも好きなのに。でも。

 追い詰められてゆく想い。もう止められはしないのに。



「愚かな男だと笑ってくれていい……」

 日付が、変わった。近くのビルに設えられた時計の鐘が鳴り始めるのと同時に切り出した小十郎の言葉が苦悩に揺れている。

「将来を誓うことはできない。お前を幸せにしてやることも。それでも俺は」

 強い力で抱き寄せられ、耳元に囁かれる言葉を政宗は最後まで言わせることが無かった。

「Don’t say more than it. 」

 頬を撫でる手の心地よさに細められた独つ目を閉じて。

 いつだったか、綱元にジャマされたときのようにその先を請うた。



 鳴り響く鐘の音と、優しい温もりに包まれて。

 そっと、二人の唇が重なる。



 白い頬に紅葉を散らし、睫を震わせた少女の細腕がおずおずと、けれど渾身の力で小十郎の背中を抱きしめた。

 触れているだけの、幼いキス。

 身体を奪われようともそれだけは拒否し続けた彼女にとっては、初めての。

 名残惜しげに唇が離れ、至近距離で見詰め合う二人は泣き笑いのような、けれど幸福に満ちた表情で微笑み交わす。



 その頃。

 成実をベッドに投げ込み、リビングで鐘の音を聞いていた綱元の胸ポケットで携帯電話が振動した。

「……はい」

 液晶画面に表示された着信相手の名に表情が引き締まる。

 暫く、相手の話を聞いていた綱元の相槌が途切れた。

 普段はポーカーフェイスを貫く眼鏡の奥。目つきが鋭いためにいつも笑っているように細められている目が驚愕に見開かれて。

「それは本当ですか!? ――いえ、成実からは何も。そんなことが……ええ、多分本人も知らないかと。しかし、どうされるんです? 

今、家に帰らせるのはあまりに酷では」

 周りには誰もいないのだが、声を潜めた綱元の会話相手が重い口を開く。

『……彼女を引き取りたい。手続きが済み次第、迎えの者を寄越す。娘には、成実から伝えさせてくれ』

「わかりました。状況が悪化していますからね……ここに居るよりそちらのほうが安全でしょう」

 玄関の方から鍵を開ける音がする。屋上に残っていた二人が帰ってきたらしい。

 そのことを相手に伝え、電話を切ると言った綱元は最後に小さく付け加えた。



「奥様にお会いになられたんですね……総長」











To be continued...









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実は恋愛小説って……苦手なんです……_| ̄|○