!! ATTENTION !!
Hitmen'n Lolita #24
街の灯りが消え、夜とは違う喧騒が始まる前のどちらともいえない時間、薄明。
ついに成実より「ヘタレ」呼ばわりされてしまった小十郎……不憫だ。
このシリーズは政宗様が16歳の女子高生になっています。
「……痛いよソレ」とか思っちゃった人は読まないでくださいませ〜。
動くものはカラスの大群とそれに混じるスズメにゴミ収集車だけ。
すっかり冬めいた最近では日の出も遅く、暖房の落ちた室内は冷え切っていた。
「さむ……」
ブラインドの間から薄青い光が差し込む中、寒さに肩を震わせた政宗は無意識に熱源を求めて隣で眠る小十郎に身を寄せる。
二人の間の距離が詰まり、もそもそと動かされた足先が小十郎の足に触れた。
と、幸せそうな顔で熟睡している政宗の隣で、突然足へ何か触れた感覚に小十郎が目を覚ました。
(……なんだ……?)
寝起きの朦朧とした頭で何度か瞬きをくりかえし、明るくなり始めた天井を見上げる。
なんだか、身体の片側だけがとても温かい。
温かい方へ首をめぐらせて――その動きが固まった。
「!!!?」
寝付いたときには居なかったはずだ。
そもそも、こんなことをするなど思いもよらない。
(どういことだこれは!?)
自分の隣に彼女が寝ているなんて。
政宗が身を寄せたせいで薄い布を隔てただけの体温がじかに伝わってくる。
親の布団にもぐりこんで眠る子供のように小十郎の寝巻きの端っこを掴んで、規則正しい寝息をたてる様はすっかり安心しきっ
ているようだ。
眠っているために薄く開いている紅い唇。自分に触れている思ったよりも小さな足。甘えるように擦り寄る仕草が愛らしい。
それが、今までにないほどの至近距離で。
「こじゅ……」
ふみゅふみゅ。
言葉にならない寝言をつぶやいて、ころんと横向きになったせいで顔を横向けた小十郎の頬に睫が触れる。
「……」
これまでだって、手を繋いだり抱きしめたりしたことはあった。だがそれらはすべて小十郎からのことであり、政宗が自ら近づく
ことなど皆無に等しかったのだ。
それが、急にこの変化。自分の知らない間になにか、彼女の心境が変化するようなことがあったのだろうか?
もしそうだったとしても、これはちょっと……大胆すぎるというか無防備もいいところというか。
意外と暴走しやすい性質なのかもしれない。
動けない怪我人だから人畜無害、とも思われたという可能性も否めないが。
衝撃に固まったまま、しげしげと寝顔を見つめてしまう。
あどけない、と言った方がいい表情は色気を感じるというより微笑ましいくらいだ。
(やっぱりまだ、ねんねぇのガキだな)
苦笑して、少し身体をずらし距離をとった小十郎は再び仰向けになるともうしばらくこの状況を楽しむことにした。
こんこん。
「こじゅ、起きてる?」
「あぁ」
数時間後。浅い眠りと目覚めをくりかえし、その度に政宗の寝顔を眺めてはほっこりした気分を味わっていた小十郎の部屋の
ドアを叩く者があった。
成実だ。徹夜で作業していたのか、声が眠たそうにくぐもっている。
「今朝から梵がいないんだけどさ。おれ、もう腹へって……ぅわっ!」
「声がでかい! 起きちまうだろうが」
「起きちゃうって……なんで一緒に寝てるんだよ!?」
「訊きたいのはこっちのほうだ」
「あ、もしかしてアレ? そっかー。ふーん……」
「いや、これは」
「照れなくてもいいじゃん今更。でも今動けないよね……、! 梵が上っ!?」
「違うっ」
「えー、じゃあどうやって?」
「だからそういうのじゃねえ!」
お前の頭は中学生レベルか。
仲良く同じベッドで寝ている二人に色々とお年頃ならではの妄想を膨らませる成実へ器用なことに声を潜ませながら怒鳴った。
「目が覚めたら横に寝ていた」
「じゃあ、何にもしていない?」
「当たり前だろ」
「なんだ。つまらない」
おれだったら有難く頂くけどなー。据え膳食わぬは男の恥! ってね。
ぷに。
ベッド脇にしゃがみこみ、まだ深い眠りの中にいる政宗の頬を指でつついた。
「すげーっ、やわらかい♪」
ぷにぷにっ。
「おい、止めねえか」
指先に感じる柔らかな感触に気を良くしたのか、なおもつつき続ける成実。
ここ最近の彼女の疲労を思うとこのまま寝かせてやりたい小十郎は眉を顰めて悪戯をやめさせようと声を上げた。
折角の休日なのに成実の下らない用事で起こしてしまうのは忍びない。
「ハラが減ったんならテメェで作れ。ちょっとは政宗を気遣ったらどうだ」
「とか言って梵の寝顔を見ていたいだけだろ? こじゅのムッツリ〜」
「お前なぁ……」
このクソガキが。減らず口ばっかり叩きやがって。
「寝かせとけって言っても、もうお昼ちかいけど」
言われ、デスクの時計を見遣れば確かにもうじき正午だ。時間を確かめると同時に成実のお腹が盛大に鳴った。
「うぅ……おれ死にそう」
「勝手に死ね」
「うわ酷ぇ! 傷つくじゃんそんなこと言われたら」
「何でテメェに優しくする必要があるんだ。ほら、さっさと出て行け」
「ちぇっ、彼女になった途端これだもんなぁ。独占欲超丸出し! そういう男って嫌われるよ?」
そう言うや、指先でつついていた政宗の頬に軽くキス。
「!!」
「羨ましかったらやってみれば〜?」
可哀想だからほっぺたで我慢してやったぞ。と自慢げに胸を張る成実をこめかみに青筋立てて睨み付ける小十郎。
「hmm……noisy……」
そんな二人の間でうるさそうに眉を顰めた政宗がもぞもぞ身じろいだ。
無意識のうちにも触れられたのが分かったのだろうか、ベッド脇の成実を避けるように小十郎の腕にしがみつく。
「あれ、目覚ましちゃった?」
「……んー……?」
そうして再び深い眠りに沈もうとしていた意識が成実のひと言で引き上げられた。
細く開けられた独つ目はまだ半分眠っているのかぼんやりと瞬きを繰り返している。
平日は意識して早く起きているために誰も知らなかったことだが、どうやら寝起きがあまりよくないらしい。
寝足りなさそうに目を擦り、すぐそばで自分を見ている小十郎と目が合うとほやっと微笑んだ。
「……起きたか」
「good morning」
普段は絶対に見せないようなふわふわした表情。完璧に寝ぼけている。
「大丈夫? なんかえらいぼーっとしてるけど」
寝癖がついてちょっぴり跳ねている髪をかき上げながら身を起こすが、今にも目を閉じて突っ伏してしまいそうだ。
「I’m all right……」
ふらふらしながらスリッパを履き、声をかけてきたのが成実だとも認識していないのか振り返りもせず部屋を出て行ってしまった。
ごちん!
「ouch!」
暫くして、洗面所のほうから聞こえてきた呻き声。どこかにぶつけたらしい。
「気付いてなかったね……」
「……そうだな……」
これ以上言及するのはやめよう。顔を見合わせた二人は苦笑交じりに頷いた。
目覚めてから頭がハッキリするまでかなりの時間を要する政宗が腹を減らした成実にせがまれて昼食を作ったのはそれから
一時間近く経ってからのことであった。
まだ午前中だと思っていたらしい彼女はリビングの時計を見て盛大に赤面したものだ。
「Sorry! 寝すぎた」
ゆうに四人分はありそうなパスタを茹でる政宗の腰に後ろから抱きついて、ごろごろ喉を鳴らす猫のように甘えてくる成実だっ
たが今日は流石に振り払えない。
「寝起き悪かったんだ。いっつも早起きだから気付かなかった」
「Yes. 直ぐには動けないからな。でないと学校に遅刻するだろ」
「でも寝ぼけてる顔も可愛かった♪」
「……馬鹿かお前は、見てるんじゃねえよ」
「そんなこと言ったって――あ、おれの分タマネギ入れないで」
小十郎と一緒に寝てるんだもん。
そう言いかけ、とっさに話題を変える。本人は寝ぼけていたからなのか全く自覚が無いように見えたし、そうでなかったとしても
あまり口に出して問うて良いものではない気がしたから。
「またそんな我侭を。全員分作ってるんだからダメだ」
「なんか、量多くない?」
綱元は朝から外出していて、夕方まで戻らないと言っていた。彼の分の昼食は必要ないはずだが?
「……え?」
「ツナ、出かけてるんだよ。だから三人分でいいんだけど」
鮮やかな手つきでフライパンの中身をあおりながら、きょとんとした顔でぴったりくっついている成実に顔を向ける。
「あー、そうか。おれがその話した時、まだ梵は寝てたんだっけ。おれがツナの分も食べてもいいけど?」
いったいいつから居たんだ……と内心こめかみを揉んで首を振った。
「お前なぁ、いくら食べ盛りだからってそういうことやってると太るぞ? 綱元の分は別に取っておく。ほら、皿を取って来い」
「――で、なんで俺の部屋で全員揃ってメシなんだ」
今日の昼食……政宗お手製・きのことベーコンの和風パスタ。
怪我をしているだけで病気なわけではないから、という本人の主張で今日から病人食ではなく普通の食事に戻っている。
ベッドの上に起き上がることは出来ても、歩いてリビングまで行くことが難しい小十郎の為に食事を運んでやり、そのまま一緒
に昼食を取る政宗に金魚のフンよろしく成実がついてきたのだ。
具の中から器用にタマネギだけを避ける成実は椅子が無いためライティングデスクに浅く腰掛けている。
かいがいしく小十郎の介助をしている政宗を「いい嫁さんになるよ〜」と茶化しながら。
「いいじゃん、別に。だってさ、梵はこじゅの世話してるからあっちじゃ絶対食事しないし、おれは仕事でひきこもり状態だし。こう
いう時じゃないと一緒に居られないもん」
「……そうか」
こういうことを衒いなく言えるのが成実であった。
自分の気持ちに正直で、それを表現することに躊躇いの無い彼の性格を小十郎は少し羨ましいと思ってしまう。
ただの馬鹿正直ではないということを知っているだけに。
「Hey成実、タマネギ残すなって言ったろ!」
「キノコ食ってるんだからいいじゃん〜。一種類だけなら残していいって前に言ってたもん」
「キノコまで残したら麺だけじゃないか……ていうかそんなこと言ってない! 一種類だけでもいいからできるだけ食べろと言ったんだ」
年代が近いせいでもあるのだろう。政宗も小十郎に対するものとは違う親しさをこめた態度で接していた。
他愛ない会話の内容はまるで姉と弟だ。
そんな二人に嫉妬するわけではないが、やはり十歳という年齢差を感じずにはいられない。
同じベッドで寝ようとするところからも、政宗の気持ちに揺らぐものは無いのだろうと確信しているが、実のところ共に居る時間
は多くてもあまり話すことはないのだ。
世間話のようなものは、する。しかし、黙って本か新聞を読んでいる隣で編み物をしている、という時間のほうがはるかに長かった。
成実としているような、さらには恋人らしい会話などとても。
十代の女の子が好むような話をできる自信はないし、彼女自身が言葉数の多い人間ではないという所に甘える部分もあって。
数日前から時折、深く考え込むことが多くてそれも気になるところだ。
歩けるようになったら二人でどこか出かけてみるか……。
と、ぼんやり考えていると。
「Damn! バイト入れてたの、すっかり忘れてた!」
「もがっ」
小十郎に食べさせようとしていたデザートのリンゴを思いっきり彼の口に突っ込んで声を上げた。
「Oops! ご、ごめん小十郎……」
不意を衝かれて目を白黒させる小十郎へ早口で謝るのもそこそこに、成実に片づけをするよう言いながら慌しく支度を始めた。
「今日は遅くなるから。じゃ、いってきます!」
「いってらっしゃ〜い」
「気をつけてな」
もごもごしながらそれだけ言って、口の中のリンゴを飲み下した時にはもう玄関ドアを閉める音が聞こえていた。
「なんつぅーか、けっこう天然だよね、梵って」
「最初はあまりそうは見えなかったがな」
凛としたたたずまいで、どことなく近寄りがたいものを感じさせる雰囲気を持っていて。
それは今でも基本的に変わっていないが、彼らと共に暮らし打ち解けて行くうちに徐々に見えてきたのはその下の素顔。
口調や振る舞いの割に、とても女の子らしいとか。
努力しているところを決して見せないとか。
意外と天然ボケであるとか。
深い傷と苦悩を抱えながらも笑ってみせる彼女の強さがいじらしくて切なくもなるけれど。
そのすべてが、いとおしい。
過激な思想を持つことがあったり、感情に任せて暴走しかけるという部分があっても。
「なんだかんだ言っていたツナも結局は気に入ってるみたいだし。……このままずっと四人でいられたら、って最近よく思うよ」
本当は、危ういバランスの上に成り立っているこの関係を。
異常な日常が平凡な毎日になることを、願ってやまない。
けれど、いつかは。
「こじゅだってそう思ってるんだろ?」
普通である、ということがどれだけ幸福なことであるかを知っている彼らだった。偶然にもここに集まった男女は皆、尋常でない
ものを背負っているから。
「できないことを言うな」
政宗を哀しませるようなことにはなりたくない。しかし、離れなければならない時はきっと訪れる。いや、そうすべきなのだ。
彼女の幸せを希うなら。
「……ほんっと、似てるよね。梵とこじゅって」
苦しげな顔と短いいらえに政宗との関係に後ずさりする気持ちを読み取って、成実は深々と溜息をついた。
「好きならさ、相応しくないとかそういうのって関係ないじゃん。有無を言わさず攫えばいいのに。おれなら絶対、そうする」
そうするだけの覚悟が無いなら、気持ちを伝えてはいけなかったのだ。
「どっちなんだよ、こじゅ」
徐々に重みを増して行く言葉。
「泣かして傷つけて終わらせるつもり? 自分は殺し屋で、梵は普通の女の子だから? そうなったらおれ、こじゅのこと軽蔑する」
傍から観ていてもみっともないくらい彼女に夢中になってるくせに、ぐずぐずしている優柔不断さに苛立っている。
政宗のため、と言いながら本当は怖いだけなのではないか?
「……」
「……ヘタレ野郎」
答えない小十郎に呟くような罵倒を浴びせて緩く首を振ると成実は心の中で毒づいた。
(だから諦められないんじゃないか。いい加減にしろよこの馬鹿)
「ま、いいや。自分でよく考えなよ? じゃ、おれ仕事に戻るから」
三人分の皿を持ち成実が部屋を出て行った後もじっと壁を見つめたまま、厳しい顔で考え続けていた。
「ごめんなさい、急に休んでしまって」
「大変だったわね。もう片倉の旦那は大丈夫なの?」
「まだちょっと……再来週までは動けないみたいだ。でも入院するほどじゃないし」
本当は『できない』が正しいのだが。
流石に彼らと付き合いの長いまつはそのあたりの事情をよく知っている。だから、「人手が必要なようなら遠慮なく言って」とだ
け言ってそれ以上聞いてくることは無かった。
「それと、暫くは早めに上がっていいから」
いつもなら閉店近くまで働いているのだが、小十郎の介護と同時進行では辛かろうと気遣ってくれる。
申し訳なさそうに表情を曇らせる政宗にちいさく笑いかけて。
「昔はよく手を貸してくれ、って言われて看病しに行ったものよ」
「まつさんが?」
「そう。まだ成実くんも居なかった頃にね」
だから彼らの世話の大変さはよく分かっている、と言うのだ。
昼時のピークを過ぎた店内は閑散としていて、客は一人しか居ない。忙しくなる夜に備えて二人は並んで仕込みと皿洗いをし
ていた。
「ごちそうさまでした。お会計をして頂戴」
店内に一人だけ残っていた女性客が席を立ち、政宗を呼んだ。
「はい、ただいま! ……840円になります」
代金を受け取り、おやと思う。
艶冶な和服を身に纏い、髪は高く結い上げている。どこか品のある雰囲気といい、どちらかというと庶民的なこの店に来るよう
な感じではない。
「ありがとうございました〜」
店を出る瞬間、優雅な歩運びの後姿に見とれる政宗をちらと振り返った客はふと意味ありげな微笑を口許だけに刻んだ。
その美しいいでたちに目を奪われた政宗は気付くことも無かったが。
「綺麗な人……」
「あのお客さん、最近よく来るのよ。……そういえばあなたのことを訊いて来たことがあったわ。『可愛いバイトの子がいるって聞
いたけど』って。自分の店で働いてもらいたいとか。この辺の店の人かしらね?」
テーブルの上を片付けてカウンターへ戻った政宗へ悪戯っぽい笑みを向けて。
「看板娘は譲れません、って言っておいたわ」
冗談めかして「あなたが居なくなったら大損害だもの」と言うのにつられて政宗も笑いを漏らした。
がしゃ。
「……ックソ、まだ無理か」
政宗が『賎ヶ岳』で忙しく働いている頃。
一人時間をもてあました小十郎はベッドの上で小さめの鉄アレイを持ち、ウェイトトレーニングをしていた。
傷が塞がるまで動けないのでは、身体がなまってしまう。せめて、動かすことの出来る右腕だけでも、とやってみたのだが思っ
た以上に銃弾を受けたダメージが大きかったらしく、愛用のリボルバーとほぼ同じ重量の鉄アレイさえも長く持っていることが
出来ない。
脇腹を抉られている左側に至っては持ち上げるのさえ痛みを伴う始末。
持っているだけで苦労するなら、撃つことなど当然不可能だ。強大な反動を殺しきれるだけの筋力が必要不可欠なのだから。
窓の外はすっかり暗くなって、眩いネオンの灯りが差し込んでいる。
そろそろ明かりをつけなければ――と、身体を捻ってスイッチを押そうとしたとき、音も無くドアを開けた手が先に明かりをつけた。
「小十郎、焦っても仕方ありませんよ。無理に動いて傷が開いたらどうします」
「お前か……。部屋に入るときはノックぐらいしろ」
いつものことだが、気配を消して人に近づく癖はどうにかしてもらいたい。
鉄アレイをベッドサイドの卓に置いて毎度変わらぬ小言を繰り返す。
それを見事に聞き流して「ずっとベッドの上では気が滅入るでしょう。今日はリビングで夕食をとりますか」と誘いかけた。
「肩、貸しますから。ほら掴まって」
「すまんな」
怪我をして以来、大抵のことは政宗が世話をしていたが、力のいることは主に綱元の役目であった。
細身で、どちらかというと力仕事には縁がなさそうに見える彼だが、軍隊上がりだけあってしっかりと筋肉がついている。
特に、女性の身では躊躇われる介助――いわゆる排泄に関することだ――は完全に綱元に任せっきりであった。
「さっさと治さないと、いつまでもテメェに借りを作り続けるからな。そんな怖ろしいこと出来るか」
「そうですねぇ、私も貴方のトイレに付き合い続けるのは真っ平ですから。まあそれだけ気力があるなら治りも早いでしょう」
そう言いつつも、足に力の入らない小十郎をしっかり支えてリビングのソファへ座らせた。
「同感だ。見られるこっちの身にもなってみろ。最悪の気分だ。……ところで」
無精ひげが目立つ顎を撫で、コーヒーの入ったマグカップ片手に向かいへ座った綱元に身を乗り出した。
「成実のアレ、進み具合はどうだ」
「あまりはかばかしくないようです。詳しいところは本人の口から聞いた方がいいでしょう。ねえ、成実」
丁度折よくリビングへ入ってきた、Tシャツにハーフパンツの仕事スタイルのままの成実へ首をめぐらせた。
「眠みぃ……ハラへった……ううううぅ」
ぼてっ。
幽鬼のごとき顔つきと、憔悴しきった声音でふらふらと歩み寄ると、ソファを占領している綱元の膝に頭を預け、倒れこんだ。
「うぁ、硬い! やっぱ膝枕は女の子のがいい……」
「当たり前です。気色悪いですから降りてください」
寝心地が悪いと言いながら、ぐりぐりと頭を動かして少しでも具合のいい場所を見つけようとする成実を避けて立ち上がった。
「痛っ! ……ひっでぇなー、これが一人で頑張ってる人間への仕打ちかよ。梵は優しいのに〜」
ソファから転げ落ち、テーブルの足に頭をぶつけた成実はブツブツ文句を言いながらだらっとした姿勢で座りなおした。
「あ゛ー、疲れた……」
背もたれに寄りかかり、眉間を揉んで目を閉じる。
「しっかりしろ。……悪いが綱元、コイツにコーヒーを淹れてやってくれ」
「あ、ミルクと砂糖たっぷりでよろしく♪」
姿勢はそのまま、黙って頷きキッチンへ向かう綱元にひらひら手を振って注文をする。
若く体力のある成実でも、相当きついらしい。
密売の証拠を掴むため学校も休んでほぼ一日中パソコンに向かう日々が続いていた。
徹夜も厭わないその作業は極寒の中で行われるため、腕と足をむき出しにしなければならないデバイスを使う成実の体力は
ハイペースで削られて行く。
「もーさ、超イタチゴッコなわけ。誰だか知らないけど片っ端から『盗聴器』ツブしてくるしサイト移転は激しいし。相手は相当出来
る奴と見たね。今は向こうから攻撃してくる気配が無いのが救いっていうか」
一般人の取引データをスキミングするツールを仕掛けては破壊される、という不毛な根競べだった。
「連中のサーバに侵入して、顧客リストとか取引のログを抜ければいいんだよね。……どーすっかなぁ」
「難しいのか」
「そのサーバを探すのに苦労してるんだよ。泥縄だとは思ってたけど、やっぱり通販サイトで網張っても時間の無駄。ネット上で
取引している以上、データバンクはオフラインはなずないから絶対見つからない、ってことはないんだけど」
そこで綱元が持ってきたカフェオレを一口すすり、深々と溜息をついた。お茶請けにと出されたチョコートをかじる様子に疲労の
色が濃いのを見て取った小十郎は眉を顰めて口を開く。
「少し、眠ったらどうだ。あまり根を詰めすぎて倒れられても困るんだぞ」
「うん……まあ、もう少しだね。いや、何かさ。ガードがユルくなる時間帯ってのがあって」
盛大に色を抜いた髪をかきあげ、抜けた髪の根元が黒くなっているのに厭な顔。染めに行く時間もねえよ……と呟いて。
「おれたちの常識からするとちょっと変なんだけど、夜中はリアルタイムに抵抗してこないんだ」
だから、これからの時間が勝負なのだという。
「防備が手薄になる時間帯がある、ということは相手は単独でやっている可能性が高いですね」
「うーん……多分、腕がいいのが一人と、サイト運営とかはできてもおれのアタックをかわせない奴が複数。誰なんだ……あんな
凄い奴なら話題にならないはずないんだよなぁ」
あーあ、期末が始まる前に片付けたかったのに。これで留年決定じゃん。
嘆かわしげに頭を抱え、うなだれた。
「その辺のことは総長に伝えておく。非常事態だ、仕方あるまい」
「うん……そうしといて。さて、梵が帰ってくるまでにもう一仕事するかな。鍵、開けておくから戻ったら呼んで」
カフェオレを飲み干し、ほんの少しふらつきながら部屋へ戻って行く。
「成実の消耗が激しい……よくないですね」
「あの手のことだけはあいつに頼るしかないからな」
「私たちも学んだ方がいいのかもしれません」
とはいえ、成実の能力は学習で身に付いたものだけではなかった。
天与の才とはこういったことを指すのだろうか。独特のカンとセンスは流石に真似ることが出来ない。
「警察と厚生局の動きも目立ってきたようです。できれば年内に終わらせたいところですが」
再び二人だけになったリビングに重苦しい空気がよどむ。
年末は、もうすぐそこまで来ていた。
To be continued...
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――