!! ATTENTION !!
Hitmen'n Lolita #23
「本当にそこでいいんですか?」
まず、ご注意を。
このシリーズは政宗様が16歳の女子高生になっています。
「……痛いよソレ」とか思っちゃった人は読まないでくださいませ〜。
ウサギ柄のパジャマの上にふわふわした手編みのカーディガンを羽織った政宗はテディベアを抱っこしたままこくりとひとつ頷いた。
小十郎が自室のベッドを使っているためにそこをどかせるわけにも行かず、リビングのソファで寝るというのだ。
「成実は『仕事してるからダメ』って言うし、綱元も部屋に入られたくないんだろう? 他に寝られる場所はないし」
「それは……そうですが。すみませんね」
ソファはベッドや布団に比べて寝心地がとても悪い。おまけに、無駄に広いリビングは夜中になると冷える。
寒くないようにと毛布や湯たんぽを用意したが、繊細な女の子の身体では辛いはずだ。
「No problem. 俺、けっこう頑丈だから」
「明日にはなんとかします」
小十郎がさっさと回復してくれれば問題ないのですがね。そう続けて苦笑する綱元。
二人とも、夕飯時のぎこちない雰囲気は巧妙に隠していた。
「小十郎の傷、先生は何て?」
「あと二週間は動いてはいけないと。幸いにも筋肉の損傷は少ないそうです。感染症もないし、無理をしなければ大丈夫だとか」
あと少し深く入っていたら、内臓を傷つけられるところだった。小十郎ほどに優れた反射神経を持った人間でなければ確実に命を落
としていただろうと毛利医師は言ったものだ。
「そうか、よかった」
安堵の溜息をついて、「風呂に入れないんじゃ可哀想だな……どうやって髪を洗ってあげよう?」と思案し始める。
真剣な表情で悩む政宗をどこか哀しそうな顔で見下ろした綱元は彼女の隣に腰を下ろした。
「話を蒸し返すようで申し訳ないのですが」
「ん?」
「先程の銃のことです」
「……」
明らかにその話題を避けたがっているのが判る、曇った表情。かたく引き結んだ薄い唇は「もう終わった話じゃないか」と言いたげだ。
「貴方を傷つけたいわけではないのですよ、私も。でも、そう……いい機会ですから、少し話をさせてもらえませんか?」
「間違っていることを言ったのはよく分かってるから……」
「いえ、そういう話ではありません」
説教じみたことを言われるのかと少しうんざり気味の政宗をやんわりとした口調で遮る。
「少し前に、小十郎から相談されたんですよ。貴方が家を出てきた理由について」
「それと銃の話と、何の関係が?」
何の感情も篭らない声が硬度を増していた。無理もない。最も触れられたくない話題なのだから。
だがその問いには答えることなく綱元は言葉を続ける。
「失礼かとは思いましたが、その時に貴方がどういうことを経験してきたのかを聞かせてもらいました」
「!」
固く感情を押し殺していた表情が一変、激しい動揺に彩られた。敢えて低く抑えた声が微かに震えている。
「どこまで知ってるんだ」
「……お父様から暴力を受けていたと」
「それだけか?」
「ええ、そうです」
本当はその先のことまで知っている綱元だったが、これは彼女が自ら語らない限り言及しない方がよいと思っての嘘であった。
「辛かったですね」
「……もう、終わったことだし」
正直言って同情されるのなんて真っ平だ。
けれど綱元の言い様は平坦であまり感情というものを感じさせない癖に、火傷をじんわりと冷やす水のように心に沁みていく。
言葉少なでありながら。
慰めるのでも、まして励ますのでもなく。ただ話を聞き、さり気なく寄り添ってくれる。そんな気がした。
――全てを話してしまえば楽になれるかもしれない。
「小十郎を撃った人間に報復するのは自分ではないと最初から解っていたのですよね?」
穏やかな声音が本当の理由を話すことを促していた。
銃を向けたいと思う人間は他に居るのだろう? と。
「長い話になりますから、コーヒーでも淹れましょうか」
ちょっと待っててくださいね。そう言い残してキッチンへ向かう綱元の背中を見送った政宗の独つ目には苦悩の色が滲んでいた。
(もう、話してしまおう)
いずれにせよ、小十郎は既に全てを知っているのだ。知られるのが時間の問題なら、自分から切り出したほうがいい。
あの眼鏡の奥の瞳は、何を聞かされても静かに受け止めてくれると確信できる何かを湛えている。
それが何であるのかはよく判らないが、不思議な共感めいたものが感じられるのだ。
「さあ、どうぞ」
暫くして、テーブルに置かれたマグカップの中身はミルクたっぷりのカフェオレだった。
「眠れなくなってしまうと困りますからね」
「……Thanks」
ほのかに甘い香りをさせるカップの中身を一口すすって自らを落ち着かせようとするように深く息をつく。
「いかがですか?」
「美味しい。今度、淹れ方を教えて欲しいな」
「では時間が出来たときにでも。小十郎にも成実にも教えていませんから、教わったことは内緒ですよ」
ふわり、と今にも消え入りそうな笑顔を覗かせる政宗に頷いて。
「……話を戻しましょう」
カップをテーブルの上に置いた。
「もうかなり昔の話ですが……私はここで始末屋になる前、アメリカ海軍の特殊部隊に所属していたのですよ」
カップを両手で持ったまま、突然自分の過去について語り始めた綱元を政宗は身じろぎもせず見つめている。
話題が飛躍しすぎている。
口を挟もうとしたが、それはできなかった。
今ではない時、ここではない場所を見ている瞳。綱元の表情は今まで見たことがないほど暗く深いものを秘めていたから。
彼が元軍人だったことにも驚愕を覚えるが、それで今の稼業というのは何となく納得できる気がする。
「貴方のような年代の人にも記憶はあるでしょう。中東の戦争に就役することになりましてね。……そこで私は生きながら地獄を見て
きました」
敵対する政権が滅んでも未だに戦闘が続いている場所の話だ。当時、中学生だった彼女の記憶にも新しい。
だが、政宗にとっては遠い国の出来事だった。そんな所に実際に居た人が今、目の前で自分と話しているなんて。
「詳しいことは話せませんが、当時の私は特殊部隊の一員として斥候――まあスパイのようなものです――の役割を負っていました。
そこで運悪く敵に見つかってしまって。月もない真っ暗闇の中、誰が敵かも判らない状況で必死に逃げ回りました。仲間たちは次々
に殺されていって……」
そこで言葉を切り、何かを祈るように瞑目した。何の感情も篭らない無表情のまま。
しかし、テーブルの下で組んだ両掌は固く握り締められていた。
「空爆が始まり、九死に一生を得たとき……私の周りには死体しかなかった……。敵も、味方も。遠くで閃く爆炎と曳光弾の光に照ら
されて、はっきりと見てしまったのです。自分が無我夢中で撃った銃で、」
強く食いしばった歯で口の中を切ったのか、唇の端から細く一筋の血が流れた。
「――命を落とした、親友の姿を」
「!!」
微かに震えているが、いつもと変わらぬ声音。
この人は、どれだけの激情をその冷静な表情の下に隠しているのだろう。
あまりに悲惨な過去を語るのに、こんなにも抑えた口調で。
政宗は掛ける言葉もなかった。なんと応えればいいのかわからない。そこに漂う想いの強さのあまりに。
淡々と告げられる事実の衝撃に頭の中が真っ白になりそうだ。
「God grant me the serenity
to accept the things I cannot change;
courage to change the things I can;
and wisdom to know the difference.」
綱元もそれ以上続けることが出来ない。しかし、語るべきことはそれだけで十分だった。
長い長い沈黙の末、囁くような声で呟かれた言葉は何かの祈りのようで。
唇の端を拭って上げられた顔はもういつもの穏やかな微笑みに戻っている。
眼鏡の奥の瞳に、深く澄んだ色を湛えて。
「その後、負傷のために帰国してからも私が撃ったという証拠がなかったために罪に問われることもなく、私は退役しましたが今でも
彼の死に顔を忘れることが出来ない……!
実証がなかったとしても私は確信できる。目の前で倒れていた彼の命を自分が奪ったことを」
「……綱元……でも、それは故意にやったことじゃ」
「そうですね。しかしそれは自己正当化のための言い訳でしかないのですよ。理由が何であったとしても相手が誰でも。人を殺したと
いうことに変わりはない」
一度、魂についた返り血は決して消え去ることはない。
偶然が招いた悲劇でも。憎しみの果ての衝動でも。同じことなのだ。
「他人を傷つけるということは、一生掛かっても消えない傷を自分につけることです。貴方にそんな十字架を背負って欲しくはない」
自分が抱くものと同じ苦しみを、どうして目の前の無垢な少女に負わせられようか。
「俺、は」
何と言えばいいのだろう。彼と自分の苦悩はあまりにも次元が違いすぎる。
「私の傷と、貴方のそれを比べる必要はありません。貴方の痛みは貴方にしかわからないのですから」
何も言えずに俯く政宗の頭を優しく撫でて悩まなくてもいいと微笑んだ。
「私が銃の使い方を教えない理由は解っていただけましたね?」
「……Yes」
「お父様を憎むことを今すぐやめなさいとは言いません。時間をかけて、少しずつ気持ちを変えてゆけばいいのです。でも、制裁を求め
てはいけない。他ならない貴方のために」
「耐えろ、ということか?」
あれほどのことをされたというのに? 右目は光を失い、身体と心に深い傷を負わせたその罪を赦せというのか。
そして、何よりも自分自身の罪悪を。
「……法による裁きを求めることもできるのですよ」
政宗の継父の行いは明らかに傷害罪と強姦罪が成立する。
警察へ訴えれば間違いなく、継父には刑事罰が宣告されるだろう。
「そうだったとしても……俺は、俺自身が赦せない」
思い出すのも忌まわしい、醜く穢れた過去を。
綱元は黙ったまま、先を促すこともなく耳を傾けている。
その姿がかつての小十郎と被って(あぁ、この二人は似ているんだ)と気付いた。
「ここへ来るまで、俺は父親から暴力を受けていた。血の繋がらない子供だったから、余計憎かったんだろうな。最初は暴力と異常な
までに優しい態度が交互に続いたんだ。長い間寂しい想いをしてきた母親をまたバツイチになんてしたくなかったから……黙って我慢
してた」
訥々と語られる内容は小十郎から聞かされたことと大差がない。しばしば詰まりながらで聞きづらくはあったが、彼女自身から語ら
れることが重要だった。
暴力が段々とエスカレートしてゆき、ついには右目を失明させられた上に継父と関係を持ってしまったことを告げた政宗の瞳から大
粒の涙が零れた。
しかしそれを拭おうともせず、嗚咽を堪えて話し続ける。
「家を出てきた日、あいつは母様が居るのになんでこんなことするんだって訊いた俺を笑って言ったんだ。『あの女に愛情なんかない。
何かと便利だから一緒に居るだけだ。お前のほうが若いし、具合が良くてヤりがいがある』ってな」
「……なんということを」
最後まで口を出すまいと思っていたのだが、あまりの酷さに我知らず呻き声が漏れる。
悪人というものは多々あれど、外道とか鬼畜という罵倒はこの継父のためにあるようなものだと綱元は思った。
拒絶できなかった弱さと、最後には受け入れていた醜さとが何よりも耐え難い。と話を締めくくった政宗は悲しげな微笑を綱元に向
けてゆるく首を振った。
「こんな奴が、小十郎の傍に居ていいはずがない。……好きになってしまったから、大切な人だから、汚い自分のままじゃダメなんだ」
すべてをやり直そうと思っていたところなのに、結局は継父から逃れられなかった。
「訴えるぞって脅されたなんていうのはそれこそただの言い訳じゃないか」
最早、彼の呪縛から自分を浄化するには殺すしかない、と。
「そういうことでしたか」
これは、自分が聞かされた事よりもさらに深刻な事態に陥っていたらしい。
「綱元、今俺が話したことは小十郎には」
「大丈夫ですよ。このことは深く心に納めて、決して誰にも話しませんから」
「……ありがとう……」
「辛かったでしょうに、よく話してくれました。……警察のことについては安心してください。簡単に尻尾を掴まれるような私たちではあ
りません。以後、お父様がそのように言ってきても話を聞く必要はないですよ」
大丈夫。私たちは『プロ』ですから。
不安げな視線を向けてくるのに力強い頷きで返して、先程の祈りの言葉を繰り返した。
神よ、
変えられないことを受け入れる冷静さと、
変えられることを変えていく勇気と、
そしてそれらを見分ける智慧を
私にお与え下さい
「私、宗教に興味はないのですけどね。この言葉は、亡き友がいつも口にしていた祈りなのですよ。……どうか、自分の可能性を閉ざ
さないで下さい」
自分に人を愛する資格がないなどと決め付けてしまわないで。
「単純に好き、で構わないじゃないですか」
過去はどうあっても変わらない。けれど、これからの自分は幾らでも変わってゆけるのだ。
その、心ひとつで。
神など信じたことはない政宗にも、その言葉は信仰を超えて普遍的な救いをもたらすだろう。
水面に投げられた石が波紋を広げるように、彼女の心に祈りの言葉が響く。
「……離れたく、ない……」
(この想いを、失くしたくない!)
深い葛藤と痛みは消えなかったとしても、守り通したいものはただひとつ。
そう思えば、真実が自然と口をついていた。
「それでいいんですよ」
涙を堪えながらの搾り出すような声に綱元は眼鏡の奥の目を細めた。
その祈りは、過酷な戦場経験によってPTSDを患った彼が再び立ち上がるための光であり。
また、虐待と自己嫌悪によって深い傷を負った政宗に救いの道を指し示す灯火となるべき言葉であった。
綱元が自室に帰った後も、ソファの上で膝を抱えて長いこと考え続けていた。綱元の話で受けた衝撃も治まらぬまま。
この先、どうすれば良いかという道は示された。
変えられない事を受け入れる冷静さと、変えられる事を変えてゆく勇気。
今はまだ、憎しみも絶望も強すぎて抱えきれないほどだけれど。
いつか、赦すことが出来るのなら。
強くあろうと努力してゆけたなら。
街並みのネオンの灯りが眠りを妨げぬよう下ろされたブラインドのせいで小十郎の部屋の中は真の闇に近かった。
きし、と僅かな軋みと共にドアが開く。
ふわふわのアヒル型スリッパを履いた小柄な足が壁際に置かれたベッドに近づき、止まった。
「……」
見下ろす先で眠っている人物は真っ暗なために表情を見て取ることはできない。が、眠りはかなり深いらしい。
薬のせいでもあったが、食事や診察などの最低限必要な時以外は敢えて睡眠をとろうとしているようだった。
少しでも早く傷を治したいとばかりに。
政宗は床に膝をつき、抱えていたテディベアを椅子の上に座らせると暫く逡巡するように睫を伏せる。
(目を覚ましたら驚くかな)
上掛けからほのかに伝わってくる体温を掌に感じると、かき乱されていた心が平穏を取り戻してゆく。
うん。誰にともなしに頷いて、羽織っていたカーディガンを脱いだ。
(おじゃまします)
起こしてしまわないようにそっと上掛けを捲ると、小十郎の隣へ横になってしまった。
(温かい……)
流石に身体をくっつけるのは躊躇われたのか、ほんの少しだけ距離をとって横向きになり、寝顔を見つめてふわりと微笑んだ。
それだけで、胸の痛みが引いてゆくような気がして。
「――Good night」
吐息ほどの声で囁いて、目を閉じた。
To be continued...
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綱元が経験した戦争は実在するものですが、話そのものはフィクションであり、事実ではありません。
作中の英・訳文は、ラインホールド・ニーバーという神学者の祈りの言葉より引用しております。