!! ATTENTION !!
このシリーズは政宗様が16歳の女子高生になっています。
「……痛いよソレ」とか思っちゃった人は読まないでくださいませ〜。
また、この12話は多少ですがDV(ドメスティック・バイオレンス)や性犯罪についての記述があります。
苦手な方はご注意ください; 読んでしまって不快な気分になられても筆者は責任を負えません。
Hitmen'n Lolita #12
キッチンの戸棚をごそごそやりながら、「試験」という言葉に成実は厭ぁな顔で目を逸らした。
「……訊かないで」
どうやら、惨敗のようだ。
「そりゃご愁傷様」
やはり、付け焼刃では無理がありすぎたのだ。
がっくりと肩を落としつつも買い置きの煎餅をかじっているあたり、肝が太いのかただのバカなのか……。
もうお手上げだ、と肩をすくめた政宗は二人分の茶を淹れ成実の手から煎餅の袋を取り上げた。
「ちゃんと座って食べろって子供の頃に言われなかったか? 茶を入れてやったから着替えて来いよ」
「ひょれでさ、ぼんにおひえてもらった」
「……口の中のものを片してから喋れ」
もぐもぐ。堅めの塩煎餅を口いっぱい頬張った成実の顔は頬袋にエサをためこむリスのようだ。
差し出された茶を一気に飲み干して一息ついて。
「世界史のテストだけはバッチリだったんだけどなー。梵、すげえよ」
「普通に勉強していれば出来ることだろ。これ食ったらちゃんと追試に備えて勉強しろよ」
「えぇ〜!? やっと終わったのに?」
「バカ。このまま行くと留年だって言ったろ」
(これはダメか)
一度自宅へ帰るのに、一緒に行ってもらおうと思っていたのだがこんな調子ではとても頼めたものではない。
(困ったな……)
「どしたの、梵? 元気ないね」
やや俯き加減で考え込んでしまった政宗を覗き込んだ成実が心配げに問いかけた。
「Ah……いや、な。綱元と約束したことがちょっと」
「学校行くのが厭なの?」
「お前と一緒にするな」
「あ、ひどいなぁ」
政宗の物言いにちょっと口を尖らせて見せるが、直ぐに「ま、いっか」と機嫌を直してテーブルの上に身を乗り出した。
「家の人に連絡したくない?」
「...Yes.」
「心配してるんじゃないかな。やっぱり女の子だしさ、ツナじゃないけど心配させちゃダメだよ」
「……」
(心配なんかするわけない)
すんでのところで喉からでかかった冷たい言葉を飲み込んだ。
それを成実に言ってしまえばただの愚痴だ。彼に話したところでどうにもならないことなのに。
ついてきてもらうなら、それなりの事情を伝えなければならない。
「連絡手段がないんだ。俺も母様も携帯を持っていなくて」
「家の電話は?」
「……母様が出るとは限らないし……」
つまり、出て欲しくない人が出る可能性が高い、ということ。
「うち、俺がちいさい頃に両親が離婚してて。ずっと母子家庭だったけど、去年再婚して。あの人はちょっと強引だから……」
そこまで言うと、何かを堪えるように唇を強くかみ締めた。
「どうしても母様に連絡するには家に帰って直接会うか手紙じゃないとダメなんだ。それに、教科書とかも全部置いてきたから取りに
行かないと」
黙って政宗の話を聴いていた成実は、彼女が養父のことを「父」と呼ばないことに気付いた。そしてその、微妙な声音に。
まるで、養父のことをひどく恐れているような。
「ちょっと強引」という言葉が真実ではないことを見抜いてしまった成実だが、それについては言及しなかった。
なにか、こちらから触れてはいけないことのような気がして。
「そっか。んじゃ、一緒に行こうか?」
さらり、と言われた言葉はあくまでも軽く。まるでちょっとその辺へ散歩にでも行こうかという口調だった。
「……いいのか?」
「一人じゃ帰りづらいんでしょ。怒られるの怖いもんね〜。だったら早い方がいいよ。今から行こう」
「Sorry...」
怒られるなんて可愛らしいものではないのだ、と眉根を寄せて謝った政宗に成実はびしっと指をつきつけた。
「それ、梵の悪い癖!」
「え?」
突然強い声で言われ、きょとんと独つ目を見開いた。
「悪いことしてないのに謝るなんてダメだよ。こういうときは……」
「...Thank you.」
泣き笑いのような、感情をどちらに持っていけばいいのかわからない顔で小さく囁けば、盛大な笑顔で頷いた成実が大きな手で
わしわしっと頭を撫でた。
「オッケ♪ では早速」
と、ソファから腰を浮かしかけたところでジーンズの尻ポケットに入っていた携帯が鳴り出した。
「誰だろ……ぅゲッ!?」
「What’s the matter?」
電話をかけてきた相手を確認して悲鳴を上げた成実に何事かと小首を傾げた。
「浅井先生……」
絶望の面持ちで電話に出る。
「はい、伊達です。只今電話に出ることが出来ません」
『バレてるぞ』
「……あー……訊くまでもないと思うんですけどやっぱり」
『貴様、また赤点の嵐であったぞ。勉強を怠けているせいだ。勤勉でないこと、すなわち悪! みっちり補習をしてやるから今すぐ
学校に来い』
「い、今から!?」
成実に電話をかけてきたのは、彼の担任であり学年主任の浅井教諭であった。
教育熱心だがその代わり厳しすぎることでも知られており、口癖の「すなわち悪!」というセリフは生徒達の間で密かに罵倒されて
いる。
『そうだ。伊達、このままでは留年しかねん。ただでさえ欠席が多いのに試験の成績まで悪いとは……追試ではなんとしても平均点
を取るのだ!』
「でも先生、おれちょっとこれから用事が」
『言い訳無用! すぐに来い。わかったな?』
(「大人しく学校に行ったほうがいいぞ。浅井先生に逆らうと後が……」)
政宗のほうを見遣って口ごもるのにもおかまいなしに独特の演説口調で強要してくる。
学年は違えどその悪名はよく知っていた政宗にも小声で諦めろと諌められ、この世の終わりが来たような暗い声音で「わかりまし
た……」と返事をして電話を切った。
「うああああ浅井ィ! 超むかつく!」
切れた電話にやつあたりしても仕方ないのだが、何かせずにはいられないのか二つ折りの携帯をソファーに投げつけた。
「がんばれよ……」
自業自得とはいえ、やはりちょっと可哀想になる。あの教師のことだからそれは厳しい補習が待っているのに違いない。
「ごめん、行けなくなっちゃった」
「気にするな、こっちは何とでもなるから」
「でもやっぱり一人じゃ……、あ! そうだ小十郎に一緒に行ってもらえばいいよ」
「What!?」
なぜそこで小十郎の名前が出てくるのかと不審気に訊き返す。
「だってほら、そもそもここに来たのは小十郎が関係しているんだし。頼めば断ったりはしないだろうから」
「Hmm...」
噂をすれば影。玄関からがちゃがちゃと鍵を開ける音がすると、折よく小十郎が帰ってきた。コートの裾が僅かに汚れているところを
見るに、どこかで一戦交えてきたらしい。
「あ、こじゅお帰りー。すげぇいいところに!」
「成実! いいって俺は」
「ん? なにかあったのか」
「いやさぁ、梵が……」
簡単に事情を説明すると、成実の言うとおりあっさりと引き受けてくれた。
電車とバスを乗り継ぎ、小一時間。凡庸な団地と新興住宅街の間に政宗の自宅はあった。
築二十年はいっているだろう、かなり古い二階建てのアパートはそのまま彼女の暮らし向きがあまりよくないことを表している。
「……ここか?」
アパートの敷地に入る門の前で立ち止まった政宗に尋ねると、無言のまま頷いた。
だが、そこから動こうとしなかった。
強張った身体を僅かに震わせ、後ずさろうとするのをなんとか押さえつけているといった風で。
すでに彼女が虐待を受けているという事実を――確たる証拠は無かったが――知っているだけに、痛々しくて見ていられない。
「もし気が進まないなら、別の日に出直してもいいんだぞ」
「いや、いつ来ても同じことなんだ……ごめん、行こう」
自分に言い聞かせるようにそう言うといちど両手を強く握り締め、門の中へと踏み出した。
錆びの浮いた階段を上がり、一番端の部屋の前。「最上」と小さな表札のかかるドアには鍵が掛かっており、いまは誰も居ないようだ。
そっと安堵の溜息をついた政宗は持ってきていた鞄を探り、鍵を取り出す。
「母様も、あの人も帰ってないみたいだ」
「では置手紙をしてゆくのだな?」
こく、とひとつ首肯して「居間で待っててくれ」と小十郎を部屋の中へ招き入れる。
母と養父の三人で暮らす部屋は、決して裕福ではない感じがするものの綺麗にまとめられ、荒れたような雰囲気は無い。
小さな台所と、襖で区切られた六畳間がふたつ。玄関のすぐ脇にもう一部屋あり、それが政宗の自室らしかった。
色あせた畳。落ち着いた花柄のカーテン。戸棚の中に三つ並んでいる色違いでお揃いのマグカップ。テレビの上には今よりもずっと
幼い政宗と若い女性――恐らくはこの女性が母親だろう――の写真が飾られていた。
地味で慎ましやかだが、穏やかな暮らし。
こんな環境の中で、あそこまで彼女を怯えさせることが行われていたなんて。
「すぐに終わるから、そのへん適当に座ってて」
台所の小さいテーブルに手紙の入った封筒を置いた政宗は、教科書と着替えなどの荷物を纏めるために自室へ入るとごそごそや
りはじめた。
言われるまま、居間の座布団に腰を下ろす。
ざっと見回しても、何の変哲も無い部屋だ。ベランダを見遣れば洗濯物が干されており、室内に僅かに漂う煙草の残り香は養父の
ものだろう。
そう、これといった特徴の無い、ごくふつうの生活の場。
娘が家出をした後も。
「……」
三日目だ。彼女が帰ってこなくなってから。普通の親なら血眼になって捜すはずなのだ。それが、最初から娘など居なかったかのよ
うに日常生活を続けるということを小十郎は理解できない。
いまは音信不通となっているものの、両親共に健在である彼にとって親とはいつも子の事を気に掛ける存在であったから。
先日、元親を訪ねた時に「この先、捜索願が出されたら連絡をくれ」と言っておいたのだが……結局、それはなかった。
再婚をした人間が相手の連れ子を嫌うのは、よくある話だ。見捨てられた、という事実を知ってしまったら彼女はどう思うだろう?
「待たせたな」
大きなスポーツバッグを重たそうに抱えた政宗が部屋から出てきた。本当に二度と家に戻らないつもりなのか、身の回りの品を全
部詰め込んだらしい。
「重そうだな。それ、持つか?」
さすがにふらつくとまでは行かなかったが、んしょっと肩にかけたバッグがずりおちるのをゆすり上げる仕草が辛そうだ。
「いいのか?」
「ただ連いてきただけじゃ能がねえだろ」
「……ありがとう」
細腕から荷物を受け取り、長居は無用とばかりに玄関へ向かう。いま、両親のうちどちらが帰ってきてもあまりいい状況にはならない。
「政宗? どうしたんだ。行くぞ」
居間の入り口に立ったままぐずぐずしている彼女を振り向くと、両手で自分の身体を抱くようにぎゅっと二の腕を掴んで震えている。
「……ここなんだ」
柳眉を顰め、食いしばった歯の間から絞り出すような声が、血を吐くかの響きを滲ませていた。
「ここで……」
「……」
小十郎は何も言わない。無理に話を促すことも、思慮の及ばない言葉をかけるのも、政宗を傷つけるものでしかないから。
「毛利先生の言ったとおりなんだ。……あいつに、殴られて……俺が原因であの二人が別れるのはいやだったから、やり返せなかった」
暴力を振るう養父に抵抗しようと思えば、いくらでも出来るほどの力を持っていたのに。
離婚の原因になりたくない。ただそれだけの理由で耐え続けた彼女の苦しみはいかばかりであったろう。
「それに俺、あいつに……」
ずく、と。ふいに鈍い痛みを訴えた身体の奥。
(『本当はイヤじゃないんだろう?』)
耳に蘇る言葉。
夕方の弱い日差しの差し込むリビング。付けっぱなしのテレビ。ボタンの弾け飛んだブラウスと、自分を組み敷き見下ろす男の歪ん
だ笑み。
男っぽく振舞ってみても、髪を切っても、女である自分の身体のどうしようもなさが、変われない閉塞感が殺意を覚えるほどに厭わし
かった。
(『――――。』)
そして、すべてを打ち砕いた、あのひと言。
「や……やだっ!」
突然大きな声で叫んだ。
「嘘だ、そんなのウソだ!」
叫んで。
「認めねえっ! 絶対に! 赦さない!!」
抑えこんできた怒りを爆発させるように。
フラッシュバックする記憶を振り払うように。
「お、おい! しっかりしろ」
頭を抱え、激しい声で絶叫する政宗に驚いた小十郎はいまや瘧のごとく震えている肩に触れて落ち着かせようと声をかけた。
「――俺に触るな!!」
が、指先が触れるか触れないかのところでピシリと跳ね除けられる。
弾かれたように上げた顔。涙を滲ませた左目が小十郎を睨みつけ――揺れた。
怯え。怒り。絶望。……そして、哀願。
すべての入り混じった目は、拒絶と希求の間で溺れかける者のそれだ。
救いを求めながら、誰をも近づかせることができない。
(あぁ、昔のあいつに似ている)
小十郎は、自分でもどうしていいか分からない政宗の目に見覚えがあった。
「……悪かった。とにかく、落ち着こう。ここには今はアンタを傷つける人間はいないんだ。大丈夫。大丈夫だから……」
(もしかすると、綱元と同じ障害を……?)
もうずっと昔。まだ、始末屋でさえなかった頃の綱元が丁度同じような状態によく陥っていた。彼の場合、暴れることは無かったが。
泣きそうな顔で肩を震わせる政宗を抱きしめてやりたかったが、今彼女に触れれば先日の夜のように再び正気を失うかもしれない。
(これは、殴られただけじゃねえな)
必死で宥める小十郎の言葉はあくまでも穏やかだったが、このままここでぐずぐずしていると彼女の狂乱の原因である養父が帰っ
てくるかもしれないという焦りがあった。
今の状態で鉢合わせしてしまったら……。
「とにかく、ここを出よう。厭なことを思い出させる場所にいつまでも居る道理はねえ」
やっと激情が去ったのか、ごしごしと袖で涙を拭いた政宗は無言で頷いた。
「...Sorry. いきなり大きな声出して」
「謝るな。迷惑だなんて全然思ってねえよ」
少しばつの悪い表情で通学鞄を持ち直した政宗は小十郎に促されるまま、振り返らず家を出て行った。
(綱元に話を聞いてみよう)
政宗が恐慌状態に陥ったときの感じがかつての綱元に酷似しているということは、同じ障害を患っているとみて間違いない。
医者ではない小十郎には本当に病的なものなのか判断など勿論出来なかったが、彼女の苦しみようを見ればなんとかしてやりた
いと強く思うのであった。
なにも言わないまま、ドアにしっかりと施錠した政宗はその鍵を郵便受けに入れた。もう戻らないと言わんばかりに。
「待て。鍵は持っているんだ」
「Why?」
「早まるな。時間をかけてよく考えろ。この先、どうするのか決めたときに必要なければ捨てればいい」
「...OK. 小十郎の言うとおりだ」
渋ってみせるものの、小十郎の言い分にも一理あると思ったのか郵便受けに入れた鍵を取り出し、再び鞄に入れた。
「それじゃ、帰ろうか」
帰る、という言葉にほんのわずかに微笑んで、二人は歩き出した。
だが、つねに最悪の事態を予測する小十郎のカンは不幸にも当たっていた。
門を出たところで、出かけていた綱元からの電話が入り、立ち止まって話している間にアパートの建物を振り返って見つめていた政宗
の背後に、長身の人影が立ったのだ。
「いや……っ! 放せよ!!」
「おいおい、久しぶりに会ったっていうのに冷たいじゃないか。心配したんだぜ……?」
鋭い悲鳴に振り返った小十郎の視線の先には。
派手なシャツを着た、見るからにガラの悪い男が政宗を背後から羽交い絞めにしていた。
それだけではない。慣れた仕草で彼女の髪をかき上げると、首筋に顔を埋め白い素肌に唇を寄せて振りほどこうとする腕を押さえつ
けたのだ。
「煙草とコロン……男の匂いがするな。何だ、カレシのところに逃げたのかテメェ」
「やめろ……いやだ……」
腕を押さえた手がそろりと胸に伸ばされたとき、小十郎の怒号とともに男の腕がすさまじい力で引っ張られた。
「その子に触るな!!」
「小十郎!」
「なにしやがる!」
政宗から引き離し、背後に庇った小十郎を睨みつける男の視線よりも更に強い目でガンをくれた。
「それはこっちのセリフだ。嫌がっている女の子に……。さっさと失せろ、くそ野郎」
庇われた政宗の手が小十郎のコートの端を掴む。
(こいつが……)
「あァ!? こいつはオレの娘だ。テメェがどうこう言う筋合いじゃねえ」
すいぶん若い。せいぜい三十代なかばといったところだ。明らかにまっとうでない雰囲気を纏わせた男は鬼の形相の小十郎とその
背後に隠れている政宗とを見比べると、ニヤリといやらしく口許をゆがめた。
「そういうことか。テメェがこいつの男なんだな。随分ご執心じゃねえか」
(こいつが、全ての元凶か)
下卑た笑みを浮かべてシャツの襟をなおす男に、このまま殴り倒したい衝動に駆られる。だが、背後にいる政宗のことを考えるとそ
れは得策ではなかった。
仮にも、彼女の養父なのだ。どんなに最低な人間であっても。
「ヘッ、図星ってか。こんな年上、よくオトせたなぁ政宗よ。もうヤらせたのか?」
「違う! 小十郎は関係ない」
「恥ずかしがるなよ、処女でもあるまいに。……このオレがしっかり仕込んでやったんだ、こいつは見た目はともかくアッチのほうは凄ぇぜ」
後半の言葉は小十郎に向けられたものだが、その言い様で彼女の身に何があったのか確定してしまった。
信じたくは無いことであったが。
「……っ」
最も言われたくないことを口に出され、顔面蒼白となった政宗は俯いてしまった。コートを掴んだ手がこわばり、爪が掌に食い込む。
それを感じた瞬間。
小十郎の中で何かがキレた。
「政宗、許せよ」
「……え?」
コートの裾を取り返し、小さくつぶやく。
「ンだが父親としては勝手な真似されちゃ困るんでね」
なおも言葉を続ける養父へ、表情を消した小十郎は大またで距離を詰めた。
「テメェだけは赦さねぇ……!」
「娘は返してもら……」
バキッ!
「ぐあっ!?」
拳を固めると、男の右頬を全力で殴りつけた。苦鳴をあげてよろめいたところへ、さらに入る膝蹴り。
「がは……っ」
たまらず、身体をくの字に折って倒れこむ。
「彼女の……政宗の受けた痛みはこんなモンじゃねえ!」
「小十郎、STOP!!」
先ほどまでの余裕の表情もなく腹を押さえて呻く男にさらなる攻撃を加えようとしたところで、悲鳴のような声で叫んだ政宗が背中に
しがみついた。
「ダメ……殴らないで……もういいから……!」
小柄な身体で必死に止めようと、小十郎の胴に回された腕に力が篭る。
「頼むから……これ以上はもう」
その声で我に返った。見下ろせば、息も絶え絶えに腹を押さえる政宗の養父。
触れられるのをあれほど嫌がった彼女が、自分の身を挺して制裁を止めようとしている事実に愕然とした。
自分は一体、何をしようとしていたんだ!
「行こう」
地面に投げ捨てた荷物を拾うと、不安げな顔で養父のほうを見ている政宗の手をとってアパートを離れた。
苦々しい後悔の表情を浮かべた顔を見られぬよう、足早に。
綺麗に紅葉した葉を落とす夕方の公園には人気が無かった。
木のベンチにちょこんと座り、行儀良く足をそろえた政宗に自動販売機で買ってきた温かいレモンティを手渡すと、両手で挟むように
持ち掌に伝わる温かさに目を閉じた。
小十郎も缶コーヒー片手に彼女の隣に腰を下ろす。
アパートの入り口で一騒ぎしてから暫く。手を引かれて歩きながら密かに泣いていたのに気付き、ひとまず座ってちゃんと話そうと
駅近くの公園に寄ったのだ。
「すまないことをした。殴ってしまって……」
どうしても、手を出さずにいられなかった。彼女を傷つけ貶めたあの男に対して、突然感情が沸騰してしまったのは自分でも全く理
解が出来ない。
確かに、誰しもあの状況なら怒りを覚えるだろう。だが、まさかあれほどまでに。
「いや、いいんだ。殴られても仕方ない人だから……。小十郎は、悪くない」
沈痛な面持ちで色とりどりの落ち葉が飾っている地面をじっと見つめたまま、静かに首を振った。
「ばれちゃった、な」
彼にだけは知られたくなかったのに。
「もう、わかっただろ?」
きっと、軽蔑された。
「俺さ、血が繋がってない人だけど父親と……」
なんでこんなに哀しいのか、わからないけど。
「寝てたんだ」
「……。だがそれは」
「最初は、夏の終わりごろだった。左目も潰すって脅されて……断れなくて……」
「!」
ぽつ、ぽつ、と膝の上に水滴が落ちる。
眉根を寄せたまま、その時のことを語り始めた政宗にかけてやる言葉が見つからず彼女と同じく地面に視線を落として耳を傾ける。
やはり、彼女の右目は養父によって失明させられていたのだ。
しかも、養父に犯されたという衝撃的な事実をも驚くほど淡々と告げる口調は全ての感情をなくして凍り付いてゆく。
涙だけが、行き場の無い感情の出口だった。
「それから、母様の居ないときに求められるようになった。ほんとうは、すごく厭だったはずなのに」
缶を持つ手に力がこもり、ぎゅっと握られる。
「いつの間にかあの人のこと、受け入れてた」
養父による性的虐待は執拗を極めた。
ただ行為を強要しただけでなく、彼女自身それがなければいられなくなるように俗に言う『調教』を施したのだという。
「信じられないだろ? あれほど嫌悪してたのに、今じゃアレがなきゃいられない身体だなんて」
地面から目を上げ、硬い表情で聞き入る小十郎に哀しげに微笑みかけた。
零れ落ちる涙を拭おうともせず。
「そういう、どうしようもない汚い女なんだよ」
ほら、きっと嫌われた。とんでもない奴と関わりあってしまったと後悔しているに違いない。
「最低だよな、父親とヤって喜んでるような奴なんて……醜いよ」
「政宗」
そこで、黙って彼女の語るに任せていた小十郎が口を開いた。
「誰もアンタのことを責めない」
白い頬を濡らす涙を、無骨な指先が拭う。
触れれば壊れてしまう、繊細なガラス細工を扱うように。
「醜くなんかない。綺麗だ。とても」
「こじゅ……」
「辛かったな」
もう、あんな目にはあわせない。絶対に。
「こじゅ……ろう……!」
その言葉に耐えかねたように、顔を覆って泣き出した。激しく、堪え続けた涙の全てを取り戻そうとするかのように。
こつん、と小十郎の胸に号泣する政宗が凭れた。しゃくりあげる華奢な肩を抱いてやろうとして――一瞬躊躇う。
(あぁ、認めなければ)
同情や親切心ではこの先のことはしてはならない。
だが彼は。そうするだけの理由をすでに持っていた。
(惚れちまった、な)
そっと、政宗の肩に触れた。ぴく、と反応を示すもののそれ以上のリアクションはなくされるがままになる。
何があっても、それがどんな苦難でも、彼女を守っていこう。
心ひそかに決意を固めながら、泣き続ける頼りない痩躯を小十郎はつよく抱きしめた。
To be continued...
やっちまった感満載……Highさんたらサイテー_| ̄|○
今までの話の流れから、何となくお分かりだったと思いますがー……そういうことです。
DVという用語はたまに耳にするかと思いますが、家族や恋人などの身近な人から受ける様々な暴力の
ことを指します。虐待と混同されがちですが、ちょっと違うの。
最初はもっと軽く書いていこうと思っていたのに; 重たくってスマソ。