初恋クレイジー









 それは決して勘違いや刷り込みなんかじゃなかったんだ。

 一番近くて遠い二人。血の絆で結ばれていながら、今はもう。

 でも、あの頃のおれたちは。



 輝宗様の求めで伊達家の嫡男、梵天丸の学友として共に学ぶため大森城から米沢へ来た時にはまだ、あいつは引っ込み思案な性格で

小柄な体格と相まってまるで女児のようだった。

 一つ年下のおれはというと年齢の割にでかくて力もあったし、自分で言うのもなんだが、まぁ将来的に有望な勇将の器と呼ばれてた。

 傅役であった小十郎や、後にその義兄となる綱元と共に『伊達三傑』と呼ばれる地盤は既に出来ていたわけだ。

 そんな三人に囲まれて、病後の脆弱さを引き摺っていた梵はより一層儚げでおれは幼心にも「守ってあげなきゃ」なんて思ってた。



 そう。最初はそんな、血の繋がった従弟として、そして臣下としてのごく自然な感情でしかなかった。



「ねぇねぇ梵、外はいい天気だよ? いっしょに遊ぼう!」

 雪消の遅い奥州一帯は、梅と桜がほぼ同時に咲く。

 草花が華やいだ彩を競うように萌える中、様々な生き物が目を覚ます。

 春は、幼い子供が遊ぶのに格好の季節だ。

 吹く風は冬の名残を含んでまだ少し冷たいものの、眩いほどの日差しは温かい。

「……」

 疱瘡で失明してしまった右目を柔らかい布で覆った梵天丸は明るい陽の下へ出るのを厭ってあまり外遊びをしたがらない。

 今日も縁側にちょこんと人形みたいに座って動こうとはしなかった。

「絶対楽しいって! やっと雪が溶けたんだもん、行こうよ〜」

 周りの大人たちから、内にひきこもりがちの梵天丸の気持ちを外へ向けることを期待されていたけど、だからってわけじゃなく一緒に

遊んでほしくて袖を引く。

 でも相手は戸惑ったような表情で首を横に振り、「時宗丸はひとりで行けばいい。梵天はここにいるから」と言うばかり。

 膝の上できちんと揃えて置かれた、白くて綺麗な手。武術の修練を始めたばかりで未だ肉刺など出来ていないその手をとって、おれ

は半ば強引に引っ張った。

「ねーってば!」

「……っ、やだ……!」

 そうなると梵天丸も頑固なもので、腕力では劣っているにもかかわらず顔を少し赤らめて踏ん張り、梃子でも動かない構えだ。

「梵は女なのか? いっつも部屋の中で乳母殿を相手にして!」

 頑として動かない梵天丸に、だんだんイラついてきた。

「違う」

 こちらも小さい声ながら流石にカチンときたのか声音が険を帯びる。

「じゃあどうしてだ!? 暗いところにばかりいるなんて、そんなのは物の怪か盗人だって虎哉和尚が言ってたぞ!」

 口を尖らせ、なおもぐいぐい引っ張りながら問いただすおれの言葉に一瞬、ひどく傷ついた色が一つきりの目に滲んだ。

(モノノケ)

 音にならない言葉を梵天丸の唇が紡ぐ。

 見る間に目じりへ涙が珠を結び、ぽろぽろと頬を転げ落ちて泣き出してしまった。

(あ!)

 すっかり忘れていた。梵天丸は、病で失明し隻眼になったことで義姫――実の母親に忌み嫌われていたんだ。

 どんなに本人が言葉を尽くして母親を慕おうと、醜いだの何だのと彼を遠ざけては冷たい態度を取り続けていて。

 梵天丸の涙に、いつだったか耳にした(とはいえ又聞きの又聞きだったけど)陰口を思い出す。

『あのように見苦しい容貌をもつようになったからにはきっと若君には憑き物が依ったのに違いない。陰に篭って誰とも目を合わせないのが

何よりもの証拠だ』

 つまりは、物の怪の類のようなものだと。

 そんな話がバカげているっていうのは子供の頃のおれにだって判ることだったけど、そういった中傷が迷信や感情的な嫌悪から来るもの

ではなく政治的意図を含んでいたことに気付いたのはもっと後になってからのことだ。

 だからこのときはただ、梵の涙に怒りのような何かを感じてしまうだけだった。

 苛立ち、衝撃、こっちまで泣けてくる。少しの痛みと、正体不明の焦燥感。

 どうしたらいいのか分からなくて、渾然一体となった感情を一緒くたに『怒り』で包み込んでしまうしかなかった。

「……泣くな!」

 縁台へ身を乗り出し、俯いてめそめそしている梵天丸の腕を両手で掴んで無理やり庭へ引きずり出した。

 裸足の足が柔らかい土の地面を踏んで、びっくりした顔がおれを見返す。

 ひくっとしゃくりあげた表情は驚愕のためか泣くのをやめてしまっている。

 今まで、こんな暴挙に出た人間が周りにはいなかったのだろう。

 乳母である喜多は豪胆な性格だったけどやはり女性であり、小十郎や綱元はあくまでも臣下の礼を崩さない。

 梵天丸の養育に関わる人間の総てがこの内気さを案じていながら手出しできなかった。

 おれがなんとかしてあげなきゃ。

 伊達家の跡継ぎだからとか武門の子として云々とかそういう難しいことは分からない。

 ただただ、笑った顔を見たくて。

 暗く澱んだ独りきりの世界から連れ出したくて。



「いっしょに、行こう」



 掴んでいた腕を放し、そっと手を握りなおす。

 未だ涙に濡れている頬を袖で拭ってやり。

「……時宗丸は梵天の目が怖くないのか?」

 唐突にそう訊ねられて、履物を履かせていた手が止まった。

「なんで? どんな顔でも梵は梵だもん」

「……」

 まだ先程の苛つきが残ってぶっきらぼうな言い方になってしまったけれど、その言葉に彼はちょっと顔を逸らして何事か考え込んでいる

ようだった。



 何もかもが目覚めたばかりの眩い世界へ、意地悪な大人たちのいない場所へ、ふたりだけで走っていこう。

 結局その日は口をへの字に曲げたまま、梵天丸はにこりともしなかったけれど夕方になって小十郎が探しに来るまでおれたちは遊び

まわっていた。

 おかげで梵天丸は翌日、熱を出して寝込んでしまいおれはこっぴどく叱られる羽目になったけど。



「梵……ごめんね、おれが無理やり連れ出しちゃったから」

「ううん、大丈夫」

 昨日二人で行った野原に生えていた、遅咲きの水仙を持って見舞いに来たおれに梵天丸は首を振ってみせる。

「いい匂い」

「だろ? あの場所、おれたち以外誰もしらないんだぜ! 治ったらまた遊びに行こうな。ザリガニも釣れるし、秋になったらアケビが生るんだ」

 急き込んで言う裏でおれは(これで懲りちゃって外へ出るのが嫌になったらどうしよう)と心配で、ちょっと癖のある柔らかい髪を撫でていた。

「……嬉しかった」

「え?」

「梵天を怖がらないのは、小十郎と喜多と綱元だけだったから」

 時宗丸に嫌われなくてよかった。

 水仙の花をそっと胸におし抱いて、溜息のような小さな声。

「また二人で遊びに行こう」



 ふわ、と。熱で上気した頬に柔らかな笑みが刻まれる。

 布団から出された手がおれの手に指先を絡めて。

「……約束」

 この時おれは初めて、梵天丸の笑顔を見た。

「うん!」



 このときの気持ちは、今でも言葉に出来ない。

 柔らかくて、温かくて、ふわふわする。なんともいえない、くすぐったさ。

 繋いだ指先から伝わる熱が身体中に広がってゆく。

 嬉しくて、ただ嬉しくて顔中を笑顔にして何度も頷いた。

 笑顔が見られた、それだけで何故だか分からないけどとても幸せだった。





 これが、全部の始まり。

 幸せな気持ちの正体を知ったのは、もっとずっと先の話。
















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時宗丸(後の成実)の片想いの原点w
史実では米沢へやってきたのはまだ歩きもしない頃だったようです。