苦くて甘い、最高の薬を。
竜の霍乱 Version.M
ふえっ……
「くしゅん!!!」
ずびっ。
まだ10月の始めだが火鉢には炭がくべられ、その上に架けられた鉄瓶からはほこほこと湯気が上がっている。
隙間風など入らぬよう、きっちりと締め切っていたため厭だと断るのを無理やり布団に押し込まれてからさほど
経っていなかったが既に室内には暖かな空気が満ちていた。
鉄瓶の中身は恐らく煎じ薬か何かなのだろう。ほどなく漂ってきた独特の香りを思いっきり吸い込んで病床の主は
盛大なくしゃみをした。しかも鼻水のおまけつきで。
「……あ゛ー……。情けねえな……」
熱の所為で揺らぐ視界で天井を見上げて唸れば喉まで痛い。
「政宗様、お加減はいかがですか?」
木枯らしが吹き込む廊下の冷気を入れぬよう、最小限に開けた襖から長身を滑り込ませるように小十郎が入ってきた。
手には小さい盆を提げている。
「…just too bad.」
またそのような強がりを。主君が良く使う異国の言葉の意味はよく解らなかったが、次の戦の評定中に倒れかかって
抱きとめた腕の中で「大したことねぇ」と言っていたのを思い出し、同じようなことだろうと納得する。
「食べられそうですか? ちゃんと栄養を取って養生しなければ」
枕元に置かれた盆の上には、こぶりの土鍋と湯飲みがふたつ乗っている。蓋を取ると中身は粥であるらしく、漂いきた
おいしそうな匂いに、具合が悪いため朝からなにも食べていなかった政宗のおなかがくぅ、と鳴った。
「っ!」
熱の所為だけでなく真っ赤になって小十郎に背中を向けた政宗にちいさく苦笑して半臥の姿勢に抱き起こす。
「はい、どうぞ」
「……。」
「どうしましたか?」
上半身を起こした状態で楽なよう、枕の位置を調整して座らせるまではいい。しかし、この……茶碗と匙を持った上、
ちゃんと冷まして介護モードって何。
「火傷しないようにちゃんと冷ましてますから大丈夫ですよ」
「いや、そういうことじゃねえよ」
内心裏拳でツッコミ入れつつ、恐らく小十郎お手製だろう粥を渋々、といった様子で一口すする。
時間をかけてゆっくりと炊かれた粥には自家製の梅干が入っていて、米の甘みと相まって料理自慢である政宗をして
うならせる逸品であった。
「ん……。小十郎、料理もできたんだな?」
ふた匙目を差し出してくるのを「自分で食べられるからいい! 子供か俺は」と断り茶碗を受け取って改めてその味に感心する。
「いえ、家内の見よう見まねです。お気に召していただけて何より」
普段は竜の右目と恐れられる男が主君の前でのみ見せる柔らかな笑顔は、配下の者が見ようものなら卒倒したであろう
優しさで。梵天丸と呼ばれていた頃から全く変わっていない関係は、屍山血河を踏み越えて修羅の道を行く今では唯一と
言っていい、二人の安息の地であった。
味の良さと空腹も手伝って、身体に負担をかけない程度に量を調節しているとはいえしっかりと食べきったことに満足げに
頷いて、先ほどから火鉢の上で湯気を上げていた鉄瓶の中身を空いているほうの湯飲みに注いだ。
「医者によく効く風邪薬を調合させました。これを飲んで少しお眠り下さい」
布団の中でも、中止せざるを得なかった評定の内容が気になるらしく早速地図やら密偵からの報告書やらを広げる政宗に半ば
呆れ顔で湯飲みを手渡す。とたんに口許が情けなく歪み、厭ぁな顔。
「薬はいい」
「それでは治るものも治りませんぞ」
「大体、おめぇら全員心配しすぎなんだよ。たかが風邪くらいで騒ぎやがって」
湯飲みの中身は、この上なく苦いであろうことは匂いでわかるほどで、それでも流石に苦い薬は嫌いだと言えずそっぽを向く。
「あぁ、飲み辛いかと思って金柑湯をいれましたから。喉の痛みにも効きます」
大丈夫ですよ。とすべてお見通しといわんばかりの用意のよさ。戦の折にはその抜け目の無さを頼もしく思うがこういうときは
逃れようが無くて非常に困る。
「! そんなガキみてぇなもん飲めるか!」
機嫌を損ねて見せてこのまま薬のことはうやむやにしてしまおうという意図を感じ取り、そうはさせじと手を変えた小十郎は
にこ、と口許だけに笑みを刻んだ。
「では大人でいらっしゃる政宗様は『たかが薬』が飲めないなどということはございませんでしょう」
それとも、昔のように飲ませて欲しいですか? しようのないお方だ。
実際に言葉にせずとも、その表情が如実に語っている。自尊心に訴えかける巧妙な誘導に歯軋りした。
「Damn you!!」
うつむいて、小さく罵りの言葉を零す。そこまで言われれば最早反論や言い逃れの余地は無く、頷かざるを得なかった。
これ以上、子ども扱いされては堪らない。
「ほら、さっさと寄越せよ」
いまにもふくれっ面になりそうな声音で手を出してくるのに、しれっとした態度で受け渡すのがまた腹立たしい。
ムカつきついでに湯飲みの中身を一気に飲み干そうとして――
「〜〜〜〜〜〜っっっ!!」
うぐぁっ。に、苦いなんていうものではない!!!
「うっ、ゲホゲホッ! ……な、なんだ、これは……!」
あまりの苦さと、荒っぽく飲んだ為に気管へ入ってしまったらしく、身体をくの字に折って激しく咳き込んだ。
「政宗様!?」
慌てて背中をさする小十郎を、咳き込んだ所為で薬を零した口許を袖で拭いながら恨みがましい顔で睨みつける政宗。
眼の端にちょっぴり涙が浮かんでいる。
「テメェっ……なんてものを飲ませんだコラ!」
「そんなに慌てて飲むからですよ……」
「いつも置いてある風邪薬じゃないだろ、これ」
しつこく咳き込みながら一体これはなんだと訊ねられ、そんなに辛いのかと首をかしげた小十郎は医者から聞いた名前を思い出す。
「板蘭根冲剤、と言っておりました。確か」
解熱作用が高く喉の痛みに効く薬を、と頼んだものであるが。
「確かに苦いと聞いていますが、そんなひどいんですか?」
聞き覚えのある漢方薬の名に、暫く考え込んでいた政宗はあることに思い至り、火鉢に架けられている鉄瓶を指差した。
「あれは、煎じ薬じゃねえ……!」
板蘭根冲剤。ふつうは、湯に溶かして服用する。
清熱解毒作用が強い為に元々ひどく苦いが、煎じて煮詰めてしまえば……その味、推して知るべし。
「え!? そ、それは失礼致しました!」
政宗の薬学に対する知識の深さに感服する暇もなく、床に額が付きそうなほど深く頭を下げた小十郎にふんっ、と腕組みをして横を向いてしまった。
「申し訳ございません……!」
「…………」
本気で怒ってしまったのか、気まずい空気が二人の間に横たわる。
「……あの」
「Ah?」
ややあって。そろりと顔を上げて「普通の風邪薬をお持ちします」と口を開きかけた小十郎だが、その視線の先で再び
例の薬の入った湯のみを手にしている政宗に驚いてその手を遮った。
「いけません、それは」
湯飲みを取り上げようとする手をひょいと避けて、
「……いいさ。さっさと治さねえと皆に悪い」
なによりも、俺を心配して貴重な薬を用意させたんだろ?
半分ほど残った薬を、唖然とする小十郎の目の前でゆっくりと飲みきった。眉間にシワが寄っていたが。
なかなか飲み下せないのか、うえぇ、という顔を必死に抑えて不甲斐なさにうつむく小十郎をちょいちょいと招き寄せた。
「なんでしょうか」
やっとのことで薬を喉の奥に押しやって、苦い、とこぼした政宗は「何か甘いものが欲しい」と呟いて。
「は、直ぐに用意させま……」
小十郎が返事を言い切る前に、ぐいと襟を掴んで引き寄せそのまま深くくちづけた。
「――っ!」
触れ合った唇が、熱い。絡ませた舌に薬の苦味が名残を残していた。
「……んっ、ふ……」
比較的元気なフリをしているが、やはり相当の高熱にやられているらしく、なまめかしくも聴こえる吐息を漏らして
襟を掴んだ姿勢が崩れた。
ずるり、と抱きつくような形で倒れこむ。
唐突になされた行為に驚くというより凍りついてしまっていた小十郎は色を失って傾いだ身体を支えた。
苦しげに眉根を寄せて瞼を下ろしていたが、口許だけが悪戯っ子のように笑みの形をつくっていて。
布団へ戻そうとするのをぎゅ、としがみついた手が押し留めた。
「このままでいさせろ」
良く効く薬も、柔らかい布団も。この温かい腕には敵わない。
ちょっとした意趣返しでもあったが。
「なによりもこれが効くんだ」
……甘ーーーーーーい!!(ネタ古いよ)
小十郎がちょっと間抜けでダメおやじ風味。つか、おかん。そして政小っぽいよ;
板蘭根冲剤は実在の漢方薬です。超苦いので胃腸が弱ってるひとは飲んじゃダメなやつ。
ていうか口直しにちゅーって、ちゅーって!(爆笑)