激しい雨が、降り続いている。
いくさばを朱に染める血潮を洗い流すように。
暗い曇天に雷鳴が轟き。









覚悟の上









 刹那、すぐ脇を駆け抜けた蒼い閃光に目を瞠る。

「! いけません政宗様……!」

 呼び止めようとした声は戦場の喧騒と激しい雨音にかき消されて、むなしく空を切った。

「皆の者! あれなる小童の首を挙げよ!」

「応!!!」

 先鋒のひと群れより突然飛び出した小柄な影は、明らかに戦場に慣れぬ者と所作から知れる。

相手方も馬鹿ではない。抜かり無く放たれた密偵は今日の戦にて伊達の嫡子が初陣を迎えることを主に伝えていたのだ。

 普通の少年であれば見分けるのは難しかったであろう。他にもそのように逸る者は多い。

 だが、彼はあまりにも目立つ外見を持っていた。

 右目を眼帯で覆った若武者など一人しかいない。

 伊達輝宗が嫡子、伊達藤次郎政宗その人以外には。

「HA! できるものならやってみろ!」

 未だ少年の面影を宿し、不敵な表情を湛えた秀麗な相貌は齢十五にして既に苛烈なる修羅を覗かせている。

 その手に携える刃の鋭さそのままに。

「覚悟!」

 やおら斬りかかって来た切っ先を鮮やかな体捌きで避けた政宗は、勢い余ってぬかるみに足をとられた

襲撃者のがら空きになった背から脇にかけて袈裟懸けに切り裂いた。返す刀で胴を薙ぎ、相手が倒れるのを

一瞥もせず次の標的へその独つ眼を向ける。

「死にたい奴から、かかってこい。」

 その間、一呼吸もなく。悪夢のような容赦の無い早業に寸毫、攻め手が怯んだ。経験浅い小童かと思えば、

なかなかどうして立派なつわものである。

 にぃ、と引き上げられた口の端が凄絶な笑みを刻むや、腰の引きかけた包囲網へ向かって泥を蹴って踏み出した。

「来ねぇってんなら、こっちから行くぜ!!」




 剣戟の甲高い響き。鎧のたてる軋み。馬の嘶きに悲鳴と怒号。

 血の赤、雨の所為で跳ね上がる泥の黒。

 その、凄惨な光景を切り裂いてただ一人。

 如何なる汚穢にも染まらぬ稲妻のごとく。

 恐れを識らぬ、隻眼の若者が征く。




 その後、戦は数刻と経たず終結を見ることとなる。

 いまだ止まぬ雨の中、勇ましい勝鬨をあげたのは伊達軍であった。


 さほど大きくも無い領地争いでも、戦は戦である。

 初陣を勝利で飾った独つ目の若子に家臣たちは惜しみない賞賛を送った。

 勇敢にして機に敏、大将首を挙げたるは誠に天晴れであると。

 病で右目を失って以来、母に疎まれ家督の相続さえも危ぶまれた彼であったが今、己の力で道を切り開く手ごたえを感じていた。


 だがここに、手放しで祝福する人の環から離れ、苦い顔で腕を組む男がひとり。

「どうした小十郎。辛気臭ぇ顔しやがって。あっさり勝ちすぎてつまらねえか」

 年かさの家臣たちのやや手荒な祝いで少し酔ったものか、幼い頃より寝食を共にした気安さからか。

普段よりもくだけた口調の政宗は廊下の柱に凭れ、いかつい顔に渋面を上乗せしている腹心の部下へ問いかけた。

「そうではございません。本日の戦、誠に見事なお働きでした」

 腕を組んだ姿勢は正されたものの、表情は一向に変えない顔の下に明らかな苛立ちを感じた政宗は

気分を害したように眉を顰めた。

 この雰囲気には覚えがある。むしろ、ありすぎる。

 勝手に城を抜け出して近所の子供たちと遊んでいるところを見つかったとき。

 小十郎が丹精している畑を思いっきり踏み荒らしてしまったとき。

 こっそり仕掛けた悪戯に、生真面目な教育係(言うまでも無く小十郎のことだ)がことごとく引っかかったのを

爆笑したとき。

「…………こじゅ?」

 ――叱られる。

 そう思った瞬間、つい幼い頃の舌足らずな呼び方が口をついた。

 だが。ぎゅっと眼を閉じても頭上から落ちてくる拳骨はやって来ず、咆哮のごとき叱責も無く。

 そろそろと視線を上げてみれば、やれやれと言わんばかりに深く溜息をついた小十郎が自分に言い聞かせるように

首を振るところであった。

「よろしいですか政宗様」

 その、長い沈黙の後で口を開いた小十郎の声はいつもの落ち着きを取り戻している。

「なんだ」

「戦が始まる前、独りで敵陣に突撃してはならぬと申し上げたはずです」

「Ah……そうだったな」

「しかし貴方は行ってしまわれた」

「……」

 穏やかになされる確認に顎を引いて僅かに首肯する。

「将たる者が軽々しく振舞って、もし政宗様の身になにかあったらどうなさる」

 気まずさに、思わず視線が宙を彷徨う。

「……結果的に勝ったんだからいいじゃねえか」

 ぽつ、と言い訳じみて返したその言葉に。

 小十郎の堪忍袋の緒が音を立てて切れた。


「どこがよろしいというのですかッ!!」


 げ、まずった。そんな表情で後ずさった政宗の肩をがっしりと掴み、逃げられないように浮かしかけた腰を

再び床に押し付けた小十郎はなおも言い募る。

「解っておいでですか、政宗様はいずれこの国を継ぎ民草を守らねばならぬ責を負っているのです。

貴方の身体は貴方一人のものではない。何故にお命を無駄に捨てようとなさるのです」

「死にたいわけじゃない」

「あの時、どれほど危険な状況にあったか……敵方は始めから明らかに貴方を狙っていた。将来の国主である貴方を。

独りでその中へ飛び出してゆくということは、殺してくれと言っているのも同然ということです。

いかに剣の腕に覚えがあろうとも、背後を守る者も無く無闇に突っ込んではなりません」

 びりびりと鼓膜を振るわせる激しい叱責は、言を重ねるうち懇願のような響きに変わり、最後の言葉は

囁くように柔らかく政宗の耳に届いた。

「これから先はこの小十郎が貴方の背中をお守り申し上げます。ですからどうか……無茶をなされるな」

 叱るというには余りにも優しい声音にはっと顔を上げたとき。政宗は小十郎がいつもと様子を違えていることに初めて気付いた。

 おかしい。何かが。いや……態度や言葉が、ではなく。

「小十郎……テメェ……その、襟元」

 戦装束を脱ぎ、普段着に着替えてはいたが。真面目な彼らしくきっちりと整えられた服の合わせが、逆であった。

 つまり、右身頃が上に合わさる左前に。

 左前は、死に装束の証。それの意味するところは。

「貴方をお守りするためならば、いつでも死ぬ覚悟はできております」

「……っ!」

 ここへきて決して目を合わせようとしなかった政宗の独つ眼が狼狽えたような色を滲ませて小十郎のまなざしを捕らえた。

 決然とした、毅い双眸を。

「……Shit!」

 転瞬、揺れた視線を隠すように小十郎の手を振り解いて立ち上がった政宗は小さく悪態をつき。

 未だ座ったままの小十郎に背を向け、低いがよく通る――微かに震えてはいたが――声で言った。

「覚えておけ、小十郎。これは命令だ」

「は」

「俺の背中はお前に任せた。……だが、俺の見ていないところで勝手に死ぬな。

いいか。たった今からお前の命は俺のものだ。逆らうことは許さねぇ。

――最後まで、俺の背後を守って見せろ」

 背を向けたまま。歯を食いしばったその表情を知られぬよう必要以上に傲慢な口調で放たれた言葉は

顔を見ずともその心中を小十郎に悟らせるに十分ではあったが。

 あえてそれに触れようとはせず、ただその場で両手をつき、若き主君へ頭を垂れた。



「承知……!」






小十郎のイラストを良く見てみると、彼だけ服を左前に着てるんですよね。
皆さんお気づきだと思うのですが(笑)
なんて渋カッコイイんだ、こじゅ。