ひいなあそび










 三月。長い冬が終わり、雪消を迎えた奥州は色とりどりの草花で埋め尽くされていた。

 桃色。白。黄色。薄紅。萌黄色。

 暖かい日差しを待ちわびたように一斉に溢れ出す色彩の洪水。

 一面の銀世界であった寂寥感を払おうかというように咲き競う、言葉どおりの百花繚乱。

 東風。時に春雷。水は温み、あらゆる生き物が息を吹き返す。

 それは命輝く季節の始まり。

 甘やかな花と瑞々しい新芽の香りに包まれて。



「ダメなものはダメだ! ほら、帰った帰った!」

「なしてそんなこと言うだ!? 青いお侍さんに会わせてくんろ」

 長閑な日差しが降り注ぐ昼下がり。米沢城の城門ではそんな暖かな陽気には些か不釣合いな口論が展開されていた。

「そんなこと訊かれても知らねぇよ」

 困惑した表情の門番を相手にちいさな身体を精一杯背伸びして、甲高い声で詰め寄っているのは十代前半の女の子だ。

 高いところで髪を二つに結わえた姿かたちは愛らしいが、どこからどう見てもその辺の農民に間違いなく、ここ米沢の城主である

伊達政宗に直接会うことなど一生許されないような身分の娘だ。

「そったらこと……ついこないだまではおめぇ、通してくれたのに……」

 門番の言葉にしょんぼりと肩を落とすのに、気まずそうに目を逸らした。

「来たら追い返せとのご命令だ、悪く思うなよ。……もうすぐ代掻きが始まる時期だろうが。こんなところに来るのはもう止めて、畑仕

事に戻れ」

 宥めるように声を和らげ、しゃがみこんで頭を撫でた。

「青いお侍さん、おらを嫌いになっただか」

「筆頭は領民の皆を大事にしておいでだ。そうしょげるんじゃねえよ。ほら、気をつけて帰んな」

「へぇ……」

 とぼとぼ帰ってゆく後姿を見送る門番は明日も同じ問答が繰り返されるのかと溜息をついて首を振った。

「あの娘か」

「あ、片倉様! はい、また来ましたんで。ご命令の通りに帰るように言いやしたが……いいんですかい? えらい気落ちしててこっち

まで滅入りまさぁ」

 城門でのひと悶着を聞きつけて出てきた小十郎を見止めて直立不動になった門番は、小さくなってゆく女の子の後姿を指して言う。

「殿のお許しがあるまで絶対に通すんじゃねえ。わかったな」



 かつて、歳若い少女でありながら厳しい年貢を軽減してもらおうと一揆を指揮した彼女は政宗によって鎮圧された後も度々米沢城を

訪れていた。

 民政に対する陳情であったり、呼ばれて領民の暮らしについて語ったりということが殆どであったが、どうやら『青いお侍さん』と呼ぶ

政宗に興味があってのことらしかった。

 一揆の軍勢を率いて戦っただけあって農民の娘とは思えぬほど腕っ節が強く、よく城内の兵士と立会いをしては全員叩きのめして

周りを呆れさせることもあったが。



「あのtom boyじゃじゃ馬は今日も来たのか」

「はい。門番には中に通さず帰すように命じました。農繁期も近いことですからじきに来なくなるでしょう」

 仕事の手を休めて一服する主に茶を運んできた小十郎に彼女――いつきのことを訊ねた政宗は何か考え深げに机上の書状を見遣

るとおもむろに切り出した。

「明日は三日だったな」

「さようでございますな」

 いきなり何を聞くのかといぶかしげな小十郎に口の端をあげた笑みを返し、明日来たら通してやれ、と命じた。

 何かと理由をつけては押しかけてきて挙句城内の兵士をボコ殴りにするような、お転婆というにも過ぎる振る舞いを疎んでのことだ

と思っていた小十郎は急に態度を変えた政宗に内心首を傾げながらも首肯する。

 日付と何か関係でもあるのだろうか。

「上方へ情報収集にやっていた者が明日帰ってくる。ついでだからこれを用意させたんだ」

 得心しない表情を見て取ったのか、書状を取り上げて「読め」と差し出した。

「これは……」

 長々とした報告の最後にしたためられた一文に、いかつい顔つきがほんの少し緩んだ。

「野郎どもをなぎ倒すより、こっちのほうがあの娘には似合いだ。丁度いい時期だしな」

「成程。そういえばもうそんな季節でしたな……われらには縁のないことですから気付きませなんだ」

 暫く、ここへ来ないよう追い払わせていた理由を察した小十郎はなごんだ目線を庭のほうへ向ける。

 その先ではすっかり見ごろを迎えた桃が若緑の庭に華やかな彩を添えていた。



 ところが。

「……来ませんね」

「さすがに懲りたか」

 翌日。今日も来るだろうと待ち構えていた二人だったが、昼を過ぎても夕刻になってもいつきが訪ねてくる気配は無かった。

「昨日まで散々『帰れ』と追い返してきましたから諦めてしまったのではありませんか? ちゃんと理由を説明してやれば良かったの

ですよ」

 予定通り帰還した密偵より受け取った小さな箱を前に、腕組みをしている政宗はきまり悪そうに視線を逸らした。

「ああいうことを面と向かって言うのもな」

 細やかな気遣いができるくせに、直接言葉で伝えるということをあまりしない主の性質を良く知っていた小十郎は内心無理もないか

と嘆息する。

 幼少時、その目を原因に母から嫌われ、どんなに言葉を尽くし慕っても冷たくあしらわれてきたのだ。

 成人して、性格的にもそんな過去など感じさせないほど強くなっても心の奥底に残る他人への諦めにも似た感情はそうそう消えるも

のではない。

 単純に照れ屋であるという側面もあるが。

「もうじき門を閉める刻限です。今日はもう……」

 日も落ち、そろそろ辺りは夕闇に包まれ始めた。

 春とはいえ暗くなれば冷えてくる。藍色の袷を着流しただけという軽装では風邪もひこう。

 縁側に胡座したまま憂えたように顔を俯けている、その襟足から覗いた肌は熱を奪われたことを示して青白い。

「ここは冷えます。中へ戻りましょう」

「Ah……」

 小十郎に促されながらも、じっと沈みゆく夕日を見つめて何やら考え込んでいるようであった。



 来なかったのは、本当に諦めたからなのだろうか。

 断られても断られても度々来ていた彼女が?

 たまたま、今日は気が向かなかっただけかもしれない。女というものは気まぐれだ。

 べつに、あんな童女を女性として意識しているわけではないが、しょっちゅう目にしていた姿を見ないというのは何となく気になるもの。

 しかし……何故か、嫌な予感がする。

 虫の知らせというやつか。



「おい、小十郎」

「いかがいたしましたか」

 床の箱を小脇に抱え、おもむろに立ち上がった政宗はどうしたのかと問いかける小十郎に背を向けて歩き出した。

「付いて来い」



 とっぷり日の暮れた道は薄暗く、城から離れるにつれ主を止めなかったことを小十郎は後悔し始めていた。

 一人で行かれなかっただけマシだったが。

「そろそろ戻りましょう。この辺りは夜盗が出ることもございますゆえ」

「だから見に来たんだろうが」

 馬を並足で緩やかに走らせながら薄闇の向こうへ目を凝らす。

 月が出れば明るくもなろうが、まだ山の端に隠れているために遠くまでは見通せない。

「ですが」

「Shush! なにか、聞こえないか」

 突然、小十郎の言葉を鋭く制して手綱を引いた。

「……ん?」

 何か聴きつけたのか馬を止め、耳を澄ます政宗に倣って聴覚に神経を集中する。

(『――!』)

「誰か……争うような声が聞こえますね」

 ざわめく葉擦れに紛れて、微かに聞こえてくる。複数人の声と、金属音。

 戦場では耳慣れすぎた音。

 剣戟だ。

「行くぞ!」

「はっ!」

 険しく引き締めた眦を煌かせ、愛馬に鞭をくれる主に一瞬の遅滞なく並走し始めた。



「きゃあっ!」

 ざくっ。

 すんでのところで身をかわした直ぐ傍の木に振り下ろされた刃がめりこんだ。

 刃こぼれの酷いそれは血曇りで不気味に鈍く光り、幾人もの骨肉を断ってきたものであることが知れる。

 辺りには無残に踏み散らされた桃色の花弁。

 それを持っていたであろう少女を取り囲んだ数人の男達は下卑た笑みを浮かべながら徐々にその輪を縮めてゆく。

「すばしっこいガキだな。ちょろちょろとサルみてぇに逃げ回りやがって」

「あんまり遊んでるなよ。さっさと動けねえようにして連れて行こうぜ」

「小便臭い小娘でも結構いいツラしてるぜ。きっと高く売れるぞ」

 人買いだ。人身売買など日常茶飯事のこのご時世、身売りする娘を買うのみならず、半ば強盗のように誘拐してゆくならず者も珍し

くない。

「おめぇたづ、おらをどうする気だ!?」

「大人しくしてりゃ痛い目にはあわせねぇ。観念しな」

 にやにやと薄汚い笑みを浮かべて手を伸ばす男から身を引いた少女の背に大木の幹が当たった。

 これ以上後ろに下がることができない。

「この……っ! し、しまった、ハンマーがっ」

 気丈にも反撃しようと身構えるが、徒手空拳であったことに気付き焦りの色が浮かぶ。

「なにゴチャゴチャ言ってるんだこのガキは。おい、やっちまえ」

「や、やめてけれ!」

 唯一の武器を忘れてきたことで狼狽した隙をついて掴まれた腕に悲鳴を上げた。

 その、時。



「Yaaaaa-Ha!!」

「!?」

 激しい地響きと共に目の前をよぎった大きな影と銀色の軌跡。

「ぎゃっ!」

 転瞬、腕を掴み上げていた男の頭があった場所から大量の血がしぶいた。

 ぴっ、と少女の頬に赤いしずくが跳ねる。

 とっさに何が起こったのか理解できず、忙しく瞬いた目裏に残る残像は鮮やかな蒼。

 拘束が解かれ、ぺたりと地面にしりもちをついた。

「な、何だ!?」

 突然首が跳ね飛んだ仲間の死体がゆっくりと倒れるのを目の当たりにし、にわかに色めき立った暴漢らは敵の姿を求めて辺りを見

回した。

「テメェら、うちの領民を攫おうなんざ随分な真似をしてくれるじゃねえか……」

 ざり。

 薄闇の向こうから血の滴る刃を引っさげて現れた人影の、低く抑えた口調に怖ろしいほどの殺気を感じた男達は怯えて一歩後ずさった。

「死にてぇ奴から、前に出ろ」

 ひと言ずつゆっくりと凄みを帯びてゆく声と共に踏み出す、今ひとつの影。

「覚悟はできてンだろうな?」

 風が凪ぎ、山の端から顔を出した月明かりに二人の姿が現れた。

 それと同時に、一太刀で首を薙がれた男の屍をも。

「ひ……ひぃっ!!!」

 流れ出した血が赤々と地面を染めてゆく様に恐れをなした暴漢らは怯えた叫びを上げると散り散りになって逃げ出した。

「Ha! 根性のねえ奴らだ」

「政宗様、追いますか」

「いや、いい。それより……」

 血振りした刀を鞘に収め、一目散に駆け去ってゆく男達を一瞥した政宗は後を追おうとする小十郎を制して背後を振り返った。

 木の根元で座り込んだままの少女を。

「Hey, Are you all right?」

「あ……あ……!」

 目の前で広がってゆく血溜まりに大きく目を見開き、かたかた震えだした。

 かがみこみ、大丈夫かと差し出した手にびくっと過剰に反応する。

「あー、怖がらせちまったか。悪い、もう少し早く見に来ていればよかったな」

 刀を持っていたのと逆の手で頭を撫でてやるとようやく恐慌状態から立ち直ってきたのか、恐る恐る視線を上げる。

「青い……お侍さん?」

「あぁ。もう大丈夫だ。立てるか?」

 頬に付いた血を拭ってやり、再び手を差し伸べると少女――いつきはその手にしがみついて大声で泣き出した。



「落ち着いたか?」

 その後。

 怯えて腰をぬかしたいつきを城に連れ帰り、温かい茶を飲ませて落ち着くのを待ってどうしてあんな時間に出歩いていたのかを訊ねた。

「門番の人に来るなって言われて……おら、もうお城さ行くの止めようと思ったけんど、村の桃がきれいに咲いたもんだから」

 一枝、持って行って政宗に渡してもらおうとしたのだと言う。

「こんな時間に一人で出歩いたら危ねえだろうが」

「わるいやつがいたら、ぶっとばす!」

「……人攫いに襲われていたのは誰だ?」

「ハンマー、持ってくるの忘れただ……」

 はーっ。

 ちょっとむくれて下を向くいつきに盛大な溜息をつき、ゆるく首を振った。

 花を届けてくれようとした気持ちは確かに嬉しい。純朴な心優しさも好感が持てる。

 しかし。

「だからテメェはガキなんだ」

 がしっと頭を押さえ、やや不機嫌な声音で言い聞かせた。

「分かってるのか? あそこで俺が来なかったらどうなっていたか」

「……」

「確かにお前は強い。それは俺も認める。だが、お前は女の子だ。もう危ないことはするんじゃねえ」

「んだども」

「来るんなら昼間に来いと言っているんだ」

 そう言うと、自分の後ろに置いていた小箱を差し出した。

「これをやる。……ちょっとは女の子らしくしろ」

「え?」

「開けてみな」

 有無を言わさず箱を指され、両手で包むように持っていた湯飲みを置くとそっと箱の蓋を開けた。

「! こ、これは……」

 密偵に持ち帰らせた小箱。その中身を目にするやいつきは信じられないとでも言うように呆然とそれを手に取った。

 それは。

 目にも鮮やかな着物を纏った、一対の立ち雛であった。

「これを、おらに?」

「そうだ」

 掌ほどの大きさの雛人形は決して華美ではないが、この辺りでは見かけないような優雅な拵えであった。

 嬉しいよりも先に驚きが強いのか、返す言葉もなく眺めている。

「こんなきれいなもん、おら見たことねえだ……」

 でも、どうして?

 触っているのも勿体無いとばかりに箱へ戻し、疑問に満ちた視線を向けた。

 暫く城へ来るのも拒んでいたのに、いきなりこんなものをくれようとはどういうことなのだろう、と。

「……ここへ来るたびに、うちの野郎どもと試合ってはぶちのめしていただろう?」

 紛れも無い事実に否定のしようもなく、素直に頷く。

「口で言っても聞かねえだろうからな。これが届くまで、城へ入れなかったのはそのせいだ」

 意味が分からない。首を傾げ、口を開こうとしたいつきを制してぽん、と頭に手を置いた政宗はさらに言葉を継ぐ。

「お前はそんなに強くならなくたっていいんだ。いいか、女の子ってのは誰かに守ってもらってこそ美しくも優しくもなれるんだからな。

You see?」

 わかったか。

 置いた手でわしゃっと頭を撫でると、「今日はもう遅いからここに泊まっていけ。明日、朝になったら送ってやる」とそれだけ言い残し

て部屋を去ってしまった。



「守ってもらってこそ、美しく、優しく……? おらが?」

 一人残されたいつきは政宗の言葉を繰り返すと、再び雛人形を抱き上げた。

「……あ」



 そうだ。今日は雛祭りであったのだ。

 農民の娘である彼女には、人形で遊ぶ習慣など無い。

 桃の節句といえば、せいぜい草木で作られたヒトカタを川に流すくらいのものだ。

 政宗から贈られた人形と、言葉の意味。

 今日の祭祀のもつ意味。

 それは、女性らしく美しく成長せよという願い。

 荒ぶって強がるなとの。



「お礼、言いそびれちまったでねえか……」

 並べて置いた雛人形を眺めてぽつりと呟いた。



 今度からは兵士をボコ殴りにするのは控えようと心の中で反省しながら。












The END














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5日にUPしたんじゃ意味ねえよー! の雛祭りSS。もはや何も言うまい……_| ̄|○
いつき初書きです。方言がよく分からない。ゲーム中の喋り方聴いてると津軽弁ではないし
どうにも色んなところの訛りが混じっているような。
政宗の「女の子ってのは〜」のセリフ、実は由貴香織里の漫画からの引用だったりします。
個人的にすごく「それっぽい」と思ったので……。