!! ATTENTION !!
風をだに待つ程もなき徒花は枝にかかれる春の淡雪 話之参 Memento mori
全身が軋むような痛みで悲鳴を上げている。
死と隣り合わせが常の戦国とはいえ、個人的にあまり「死」という言葉を多用するのは好きではないです。
一部、史実を参照している部分はありますがあくまでも「IF」の歴史であり事実とは大きく異なります。
ご理解の上お読みいただけますようお願い致します。
今まで気付きもしなかったが、黒川城で最初に敵を迎え撃った日から傷を負ってもろくに手当てをせず、食事や睡眠さえ省いてひたすら戦い続け
てきたのだった。気力で立っているのもそろそろ限界といったところだ。
抵抗できぬよう二人がかりで両腕を掴まれた途端、力が抜け崩れた膝。床に頽れそうになる身体を支えた利家は痛ましげに目を伏せた。
「おい、大丈夫かよ」
「Ha! サルの手下如きに心配されるほどヤキ回っちゃいねえ」
部屋の外に出れば敵兵がいる。僅かに残った伊達軍将兵もいる。捕われたりといえども無様な姿など見せられない。
肩を貸すように連れられていたのを、障子を開ける寸前に振り払い己の足で立った政宗は気遣わしげに問いかけた元親を鼻であしらった。
「……」
その言葉に鼻白むでも、怒るでもなく沈黙で返す。
まして、謝罪や言い訳など。
今更、如何なる言葉を尽くしても。
もはや全てが遅すぎるのだと解っていたから。
豊臣勢を中心とした連合軍が奥州侵攻を開始する遥か前、未だ元親が誰にも跪かず『西海の鬼』と名乗っていた頃。政宗と元親は喧嘩仲間のよ
うに互いの実力を認め合い、国同士としての付き合いも良好な関係を築いていた。
女だてらに一国を率い彼女自身優れた武人であることに興味を持ち、実際に刃を交えてその毅さを知り、酌み交す酒と共に知った人となりと目指
すものの高みに、彼は。
うつくしい人だと思った。容姿だけではない、そのすべてが。女性として見る事を彼女は赦さないだろうと悟った上でなお。
故に、伊達家を滅ぼす直接的な原因なった騒動を知ったときも『何がしかの事情があるはず』と……。
「何ぼさっとしてやがる。連れて行くんならさっさとしろよ」
いつの間にか回想に耽っていたらしい。
鬱陶しげに髪をかき上げ、どうにも腑抜けて見える両脇の二人を失望とも呆れともつかぬ溜息と共に促した。
逃げ出さないだろうと分かっていても、ここから出て本陣へ連行するには縄をかけなくてはならない。
余裕さえ垣間見える政宗を拘束し、万が一のために一度は振り払われた手を再び細い肩にかけた元親の方が虜囚であるかのような表情だ。
「よろしいか?」
「訊くまでもねえ」
敗戦の将とはいえ、相手は処遇が決まる瞬間まで一国の主、れっきとした大名の一人だ。利家の丁重な扱いに対してにべもない口調でいらえた
政宗は縛られた両手の代わりに足で障子を開け放つ。
「行こうぜ」
「筆頭!」
「申し訳ねえ……筆頭……」
「殿っ! なんとおいたわしい……」
「おいコラてめぇら、その縄を解きやがれ!!」
廊下に出ると、既に城主捕縛の報がもたらされたためだろう、武器を取り上げられ敵兵に囲まれた伊達軍の面々が一斉に騒ぎ立てた。
それも直ぐに槍を突きつけられ、黙らざるを得なかったがある者は泣き崩れ、またある者は視線で射殺さんばかりに元親たちを睨みつける。
無傷の者など一人としていないというのに、誰もが皆痛みなど忘れたように政宗の名を叫び、心底悔しげに地面を拳で叩いた。
足を止め、彼らのほうに身体を向けた政宗を連行する二人は黙って見つめている。
「皆……すまない。許してもらえるとは思っちゃいねえが、今の俺にはこうすることしかできねぇ」
一人一人の顔を目に焼き付けるように全員と視線を結び、深々と頭を下げた。
「そんな!」
「謝らないで下せぇ! 俺たちは、筆頭と戦えて……幸せだったッス!」
伏せられた顔は表情が見えなかったが、身体の後ろで縛られた両手は微かに震え、爪が食い込み血が滲むほどきつく握り締められていた。
「この後、俺はこの戦の責任をとることになる。今日を限りに伊達軍は解散だ。テメェら、生き延びた命を無駄にするんじゃねえぞ」
「筆頭……っ!」
「これは『命令』だ。犬死だけは、するな」
「……」
辺りにすすり泣きが広がって行く中、顔を上げた政宗は背筋を伸ばし、きりと表情を引き締め怒鳴る。
「返事は!?」
「「了解ッス!!」」
涙声ではあったがはっきりと、いつもの口調で応えた将兵に向かい艶やかに微笑んで見せて。
「OK. Good boys.」
普段と変わらぬ言葉と共に、肯いた。
「待たせたな」
「政宗殿……良い、臣下をもたれたな」
一連のやり取りを見ていた利家の言葉にほんの少しだけ口許を緩めて。
「あぁ。最高にCoolなやつらだった」
真っ直ぐに前を見すえる独つ目は、迷うことなく。
直ぐに秀吉の前に引き出されるのかという予想を裏切って、二人は本陣近くの寺へ政宗を連れて行くとそのまま立ち去り、後には監視の兵のみ
が残された。
一体どうするつもりだ?
板張りの小さな講堂に軟禁状態となった政宗は些か拍子抜けしてしまったように柳眉を顰める。
自分を生かしておいて得るものなど何もない。首の挙がらぬ将――小十郎ら三傑を始めとする主だった重臣たち――の行方を吐かせるためか。
そのようなこと、いかなる拷問を受けようとも口を割るつもりはない。そもそも、杢兵衛ら黒臑巾組の者どもには「生き残った家臣を逃がせ」としか
命じていない。彼らがどこへ逃がすかなど知るはずもない。知らないものは、喋れない。
今頃は残党狩りが始まっているはず。捕らえた将兵の前で見せしめに処刑でもするつもりなのかもしれない。
趣味の悪いことだ。だが、滅ぼした国の残党に精神的な決定打を与えるには有効か。
だが自分自身が侵略者であったなら、決して斯様なことはしないと考えていた。
半端な博愛主義などからそう考えるのではない。遺恨が生ずるからだ。特に、滅ぼされた側の主君と臣下の結束が固かった場合は。
とかく侵略した土地の民衆の心を掴み新たな為政者に懐かせるのは難しいことだ。その上に遺臣たちに恨みを持たせるのは後々まで争いの火種
を残すことになりかねない。過去にもそうやって残虐な手段を採ったがために一揆を起こされて対処に苦労した例は枚挙に遑が無いというのに。
(そんな愚をあの仮面野郎が冒すだろうか?)
奇妙なまでに冷静な気持ちでふと疑問が浮かび上がる。今となっては己の身がどうなろうと構いはしなかったが、それでも為政者としての性が
豊臣陣営の頭脳であるあの仮面の男――竹中半兵衛のとるだろう行動から離れているのではないかと思わせるのだ。
彼は時として冷酷なことを何のためらいも無く行う人物だが、かの明智光秀のように非道を好む性質は持ち合わせていないはず。
まして、本拠地から遠く離れたこの奥州を治めるのはそれだけで困難であるはずなのに。
(では何故すぐに殺さない?)
よもや情けをかけられたということはあるまい。女子であるからなどという理由を今更持ち出されても片腹痛いだけだ。
何がしかの思惑がある。
あるとすれば。
(……小十郎や成実をおびき出すためのエサ、ってところだな)
自分が生きていると知れば彼らのことだ、助け出そうと動くかもしれない。そうさせない為にあの場で家督を放棄したが、そのようなことで納得する
ような男たちではないことは政宗自身が一番良く知っていた。
他人から見れば大した己惚れだと鼻で笑われよう。
それでも彼女は信じている。そして事実そうだった。
助けになど来ないことを祈りながらも。
求めてはならない。期待してはいけない。罰を受けるときがきたのだ、己が冒してきた全ての罪業の清算を。
生きて、目的を達することが犠牲にしてきたものたちへの詫びだと思ってきた。今でもその考えは間違っていないと確信している。
しかし現実は甘くない。信念を貫き通すには強い力が要る。いつでも『正しい』のは、最後まで闘いの場に立ち続けた者であり、所詮敗者のそれは
一笑に付されるものなのだ。
自分は戦に負けた。認めねばならない。負けたのだ。
天下統一という形で詫びを入れることが不可能になった今、持たざる者となった自分に出来ることといえば、勝者の裁きに従い最後の持ち物――
命を差し出すことだけ。
だというのに、それさえも許してくれない処遇に政宗は(これこそが罰だというのか)とひとりごちた。
死は、謝罪であると同時に逃れる術だ。ある見方をすれば、最も安楽な選択とも言えた。
腹を切らされるよりもなお厳しい刑罰を与えられるというならそれは自分以外に危害が及ぶものである確率が高い。
静かに座して黙考するうち、徐々に恐怖が全身を支配し始める。
そんな怖ろしいことになる前に、いっそのこと自ら――。
(「なりません! ここには誰も入れるなと前田様が」)
(「犬千代さま……殿にはお許しを得ています。ここを通しなさい」)
(「ですが……」)
「……?」
それまでの静寂を破って、突如聞こえてきた会話に顔を上げた。見張りの兵士と、女の声だ。
話している内容から察するに、身分の高い者のようだが……。
「お待ち下さい、お方様!」
必死に追いすがる兵士をあっさり無視して戸が引き開けられた。暗い講堂内に傾きかけた西日が差し込み、眩しさに目を細める。
「誰だ」
「あなた方は入ってはなりませぬ。敵将とはいえ、女性の部屋ですよ」
呟くように発した政宗の言葉に被って、部屋に入ろうとする兵士を押し留める声音には聞き覚えがあった。
戸惑う見張りの鼻先で戸をしっかりと閉じ、振り向いた女は。
「……お久しゅう」
勇ましい戦装束に身を包みながらも、しとやかな所作でその場に三つ指をつき一礼をした。
「アンタは……前田の」
「はい。前田利家が妻、まつにございまする」
夕暮れが近いのか、遠くで蜩が啼きはじめた。
カナカナカナ……とどこか哀感を漂わせる声が向かい合って座る二人の間に横たわる沈黙を際立てる。
「何か、用か?」
真っ直ぐな瞳で自分を見据えるまつの姿は、彼女の夫や元親と違って後ろめたさや憐憫を含むものではなく、些か興味をそそられる。
尋問しに来た、という風ではない。しかるべき手順と人員をもって行うそれに、一介の大名婦人では過ぎた役目だ。
敗戦の将の顔とはいかなるものか、などという下賤な真似をするようには思えないから、何がしかの目的があるのだろうが。
「……あのな、」
「僧房の湯殿を借りました。まずはその血と泥を落として、傷の手当てをなさいませ」
「What?」
言うやおもむろに立ち上がり、戸惑う政宗の手をとって立ち上がらせた。
「ちょっと待て。俺は」
「お話はそれからでも宜しゅうございましょう」
「アンタ分かってるのか? 死に損ないの捕虜に情けはいらねぇ」
放っておいてくれ。今更、傷の治療など行ったところで意味など無い。
それでも存外強い力で手を握るまつに引っ張られ、部屋の入り口まで来ると廊下で様子を伺っていたらしい兵士が声をかけてきた。
「まつ殿、捕虜をここより出すことは罷りならぬと申し渡されております。どうか、お戻りを」
「逃がそうというのではありませぬ。……仮にも一国の姫君に対して身を清めることも傷の手当てもさせず押し篭めとは。
全く、殿方のなさりようというものは乱暴に過ぎまする。さ、政宗殿、参りますよ」
最重要捕虜の見張りをしているとはいえ、下っ端の一兵卒でしかない彼らに力ずくでまつを止める権限はない。そんなことをすれば無礼討ちにあっ
ても仕方ないのだ。どうしたものかとおろおろする彼らを尻目に、あっけにとられたままの政宗を連れてさっさと講堂を出て行ってしまった。
この寺にいた僧たちは戦いが始まる前にいずこかへ逃げてしまったらしく、僧房にも人の気配が無かった。よほど慌てて出て行ったのだろう、様々
な日用品が乱雑に転がる廊下を通り抜けて風呂場のある一角へ向かう。
面会に現れる前に準備をしていたのか、きちんと整えられた風呂場には温かな湯気が満ちていた。
ふと鼻腔を掠める香りは消毒効果をもつ薬草か。
「お手伝いいたします」
「いや……そこまでしなくても」
「一人にはさせられませぬゆえ」
流石にそこは抜かり無いというわけだ。
変に逆らっても、強制的に湯の中へ叩き込まれそうなので大人しく帯に手をかけた。
丈夫だが動きやすさを最優先にした軽い布地で作られた戦装束は元の色が分からないほど汚れ、あちこち裂けてボロ布に近い。
脱ぎ置かれた服だけでも戦いの凄まじさを雄弁に語っていたが、鎧下の薄物も取り、雪を欺く白い肌が晒されるとまつは口許を押さえて柳眉を
顰めた。
酷い。右目と呼ばれる武将が守り抜いたであろう背中を除いてほぼ全身に傷口が開き、ろくに手当てもしなかったと見えて炎症を起こしかけてい
る部分もある。
流石に『独眼竜』『阿修羅』の名を頂くだけあってそれぞれの傷は深いものではないが、数が多ければ同じことだ。失血した量も相当だろう。
こともなげに六振りもの刀を操るとは到底思えぬ細身の身体は疲労と傷による消耗でより一層痛々しい。
ほぼ気力だけで立っているのは明白だった。
「痛むでしょうが、しっかり洗わねば傷口から病を呼びまする。我慢なさいませ」
腕まくりをして手桶と石鹸――その方面に詳しいある大名が南蛮の品物を元に作ったものだ――を手に幾分優しい口調で言った。
「……」
先の無い捕虜相手に何をするのかと思いはするが、暫く身体を洗うこともできなかったために気持ち悪さは感じていたし、殊更断る理由も無い。
そもそも、身の回りのことのような瑣末事を考えることさえ今はできなかった。
されるがままに頭から湯を被り、石鹸をつけた手ぬぐいで丁寧に擦ってゆく。泡が傷口に沁みて顔をしかめたが、政宗は始終黙ったままであった。
血と泥を綺麗に落とし、ヨモギか何かの入っていると思しき布袋が浮いた湯船に入るよう言われ、ゆっくりと湯へ身を沈めると思わず小さく息をつい
てしまった。
「今のような状況で、かようなことを申し上げるのも無理なこととは思いますが」
「……Han?」
「ご自分の身体をぞんざいに扱ってはなりませぬ。詮議は後日との由、今日はきちんとお休みに――」
「できるわけねぇだろ。国は滅ぼされ、沢山の人間が死んだ。おめおめ生き残った俺は即刻腹を切らされると思えばこの始末。……どのツラ下げて
休めるかってんだ」
静かに、というよりも魂が抜けてしまったような声音で力なく呟き、ざばりと音を立てて湯から出た。
「ここまでしてくれたことには礼を言う。だが、もう放っておいてくれ。アンタもこんなことしたと知れれば立場が悪くなるだろうが。この先、死ぬだけの
人間に養生なんざ意味ねえよ」
濡れた身体を拭い、新たに用意されていた着物――普段から彼女が着ていた男物のそれではなく、飾り気のない藍染の小袖だ――に袖を通そう
としたとき、後ろからぐいと肩を掴んで振り向かされ、
「しっかりなさい!」
ぱん! と音がして左の頬に衝撃が走った。
平手打ちされたのだと直ぐには気付けず、呆然と立ち尽くす彼女に強い表情で眦を上げたまつはなおも言葉を続ける。
「一国の主たるものがなんと気弱な。まだ、何も終わってはいないのですよ。残される者の事をお考えになって。……これは前田家の人間として申し
上げていることではございませぬ」
彼女の夫たちが伊達家に対してしたことを思えば、そして自分の立場上、とてもではないが言えないことだ。だが。
「まだ、全てを諦めてしまうには早すぎるのではないかと、わたくしは思うのです。お辛いでしょうが……」
元親たちに拿捕されたあの場で斬られなかった事には、何かしらの思惑がある。と暗に伝えたまつの言葉尻、辛いという部分に微妙な揺れが
混ざりこんだことの真の意味を、この時点での政宗は解る筈もなく、単純に罪悪感や後ろめたさだとしか思えない。
講堂へ戻り、傷の手当てをされながら先ほど『話は後で』と言われた事を思い出して風呂場で頬を張られて以来閉ざしていた口を開いた。
「……で、話って何だ?」
薬液を染み込ませた綿花で消毒をし、器用に包帯を巻きつけて行く手は止めぬまま、部屋の外にいる兵士を憚ってか小声で応える。
「ご家中の皆様のお話です」
「!」
そうだ。唯一、自らの手で逃がすことが出来た小十郎はまだ多少安心できていたが、そのほかの人間はどうなったのか。最前までの力なくうなだ
れた態度がひるがえり、真剣な表情で先を促す。
「足軽頭以下の身分の低い者達は、罪を問わないとのことにございます。もとの通り、農民として暮らしても良いと。重臣の方々は殆ど見つかってお
りませぬ。討ち取られた方は……」
数人の名前を挙げられ、奥歯を強く噛み締めた。討死するは戦場の常であり、皆それを覚悟の上で戦っている。しかたのないことだ。だが……。
「二本松城にいた孫兵衛と左馬之助は」
「後藤殿は討死、原田殿は行方知れずとか。ただ、城兵たちは最後まで激しい抵抗を続けたと」
「そうか……孫兵衛は死んだか……」
俯けた顔は髪で隠れて見えることは無かったが、声音に滲む深い悲しみがどのような表情をしているかを如実に伝えていた。
対するまつは痛ましげに目を伏せることしか出来ない。
「……それと、成実殿が」
最後に付け加えるように、一層声を潜めて続ける。
「捕らえられました」
「……!!! 籐五郎が!?」
「はい。竹中殿のお指図で、私ども前田家の預かりとなりまする」
家臣たちの辿った結末に唇を噛み締めていた政宗の顔が蒼白になった。
まさか彼が捕まってしまうなんて!
これで、小十郎に託した願いが――伊達家再興の望みが断ち切られてしまった。肝心の成実が敵の手に落ちてしまった今、もはや何もかも。
「終わった、な……」
全ての感覚が麻痺して、涙すらも出ない。
殆ど耳に聞こえないほどの声で呟いて、ちいさく笑みを漏らした。
まったく、見事なものだ。豊臣秀吉とその片腕は完膚なきまでに己を叩き潰したというわけだ。
笑えるじゃないか、独眼竜と呼ばれた奥州王の成れの果てがこのザマとは。
「悪ぃ。もう、一人にしてくれねえか……?」
無感情に投げ寄越された台詞。それで、まつは言葉の先を続けられなくなってしまう。
来た時同様、丁寧な所作で一礼をすると今度は音もなく講堂を出て行った。
(伝えなくてよかったのかもしれない……)
廊下を歩きながら見張りの兵士へ政宗にちゃんと食事をさせること、夜には寝具を差し入れてやることを指示しながら考えていた。
彼女は知る由もなかったが、本来ならば確実に米沢城から逃れられるはずだった成実。その彼が捕まった理由。
それは、あの三人に政宗が捕らえられる瞬間を目にしてしまったからだったのだ。
場所が離れていたために政宗自身は気付かなかったが、激昂して隠れていた物陰から飛び出し彼女の元へ行こうと無理に敵兵の中を突っ切ろう
としての結末である。伊達軍きっての猛将捕縛の功をあげたのは、豊臣軍軍師の竹中半兵衛。奇しくも、ついに政宗を捕らえたとの報を受けてその
場に向かう途中であったという。
自分を助けようとして逆に捕まってしまったと知ったならば、この上なく突き落とされるのは分かりきったことだ。
まつ自身、個人的な考えの部分でこのたびの奥州攻めが道義にもとるものであると思っていたがために、これ以上の、止めを刺すようなことはした
くない。
今は豊臣に逆らうことなどできないが。
(このままで良いとは思えませぬ)
外国に対抗できる強い国を、という理想の元に無残に潰されてゆく者達の姿を目にしてきた彼女は、まつろわぬ民であった伊達家を従わせるため
とはいえあまりに残酷な方法をとろうとしている主君――それも強制的なものであったが――のやりかたに強い疑念を抱き始めていた。
そして、二日後。
「残念だったね、政宗君。ここまで僕らを手こずらせたことは評価するけど、正直がっかりしているよ。あの右目ともども愚かな選択をしたものだと」
白い、まるで死装束のような小袖に身を包み、諸侯が居並ぶ中に引き出された政宗は憔悴しきった顔にそれでも強い眼光を湛えて目の前に立つ
男を睨みすえた。
「サル野郎はどうした」
「相変わらず口が悪い人だね。秀吉は忙しい。君みたいな小物の罪人になどかまけている暇はないのさ」
「小物の罪人とやらを相手にする割に、随分と大所帯で攻めてきたじゃねえか。全力でぶっ叩かないと怖くて夜も眠れませんってか。
Ha! とんだChickenだな」
「そのわけのわからない異国語は止めてもらおう」
「テメェの大将は『臆病者だ』つってんだよ」
最後の足掻きか何もかもどうでもよくなったのか、政宗の口調は周りの諸侯が眉を顰めるほど強気だ。秀吉がこの場に現れないことを知り、報復
が恐ろしいかと鼻を鳴らして嘲笑すれば半兵衛の声音に棘が混じる。
「……秀吉を愚弄することは許さない。君は理解しているのかな? 今の君は奥州筆頭でも、独眼竜と恐れられた大名でもない。ただの、敗戦の将
であり」
愛用の刀を抜き、ぴたりと突きつける。
「ただの、罪人だ」
目の前で鋭い光を放つ刃に動じることもなく半兵衛にいらえようと口を開きかけた政宗の言葉はだが、ひとりの女の声にかき消された。
「アンタら、本物とニセモノの区別もつかねえのか。そこに座ってる奴は俺の影武者だ。捕まえるのはこっちだろうが」
皆が驚き振り向いた先に、政宗と全く同じ姿かたちをした女性が立っていた。
いつもの戦装束姿で、その腰に得物はなく。
本物を名乗った女は大またで二人に近づくと、「ご苦労だったな」と白い小袖の政宗に屈みこみ、肩を掴んだ。
顔を覗き込むように近づき、そっと耳元に囁いた声は。
(「殿、お逃げ下さい。この猫めが身代わりを務めますれば」)
(「猫! お前、逃げろって早馬で報せてただろうが!」)
普段は侍女という立場で政宗の側近くに仕え、その実態は顔かたちがそっくりなために政宗の影武者として働いていた者である。
よほど近しい者でもない限り、二人を見分けるのは難しい。同じ顔で政宗を名乗る女が現れたために居並ぶ諸侯はどよめき、動揺を見せる中落ち
着いたそぶりを見せながら半兵衛も見分けがつかず眉を顰めた。
ただ、実際に凄まじい戦いを目にし政宗を捕らえた三人だけが、白い小袖のほうこそが本物だと分かっていたが一様に沈黙を保っている。
「この女は戦とは関係ない。解放してやってくれ」
猫はその場に膝をついたまま、何か言おうとする政宗を抑えて言う。しかし。
「Hey, 騙されてんじゃねえよ。テメェらならわかるだろ、毛利、長曾我部、それに前田。本物は俺だ。こいつは影武者として使っていたただの侍女で
しかねぇ。逃げろって言っても聞かない不忠者でな。さっさと連れてって放り出してくれ。不愉快だ」
黙ったままの三人に顔を向けて、同意を求める。
「待てよ。竹中、コイツはちぃっとばかり頭がイカれてる。つまみ出すのはこの女のほうだ」
互いに本物であると言い合う、どうにも奇妙な状況になってしまった。名前を挙げられた三人に視線が集中するが……。
「まだるっこしい。これで分かるだろう……これが、証拠だ」
あくまでも政宗を庇おうとする猫に業を煮やして、おもむろに猫の眼帯を引っつかんだ。
「Hey! 何しやがる――っ!」
強い力で引っ張られ、紐が千切れた眼帯が外れて地面に落ちる。
その下にあったのは無残な傷跡ではなく――
「……確かに、彼女が偽者のようだ。誰か、そいつを城に残っていた女たちのところへ連れて行け」
美しいだけの、傷一つない右目であった。
「殿! 貴様ら放せっ、放して! 政宗様!! いやああぁっ!!」
両脇を兵士に抱えられ、引きずられるように連れ去られながら絶叫する猫に目もくれず、何もなかったかのように半兵衛に向き直ると居ずまいを正
した。
「どんな処分でも受ける覚悟はできている。ただ、将兵たちの命だけは勘弁してくれ。今回の騒動の責任は全部俺にあるはずだ」
頼む、と続けて彼女は十九年の人生で初めて、敵将に向かって深々と頭を下げた。
「潔いね。ついに竜の爪も折れたり……といったところかい?」
「何とでも言え。見苦しく足掻くつもりはねえよ」
「いいだろう。だけど、ひとつ聞かせてもらおうか。さっきの女、あれは僕でも見分けがつかなかった。あのまま彼女に身代わりをさせれば君は逃げる
ことも出来たはずだ。なぜそうしなかった」
「それをアンタが言っていいのか?」
ふっと笑みを零して、口許が不敵に釣りあがる。
「ナメてんじゃねぇ。家来を犠牲にしてまで助かろうとするほど俺は堕ちてないんだよ」
「成程。流石は誇り高き阿修羅姫だ。ならば、処分を言い渡そう」
抜き放っていた刀を納め、真っ直ぐ向けられた隻眼を見据える。
「伊達政宗。此度の騒乱は惣無事令を無視し多くの血を流し周辺諸国を脅かした。また小田原への参陣命令への離反、家中における騒動。
不届き千万にしてその罪は重篤。しかし、女に腹を切らせることは罷りならんというのが秀吉の意見でね」
命奪われるよりもなお、重く非情なる刑罰を。
生きながらえた身を抱えてこの世の地獄を見るがいい。
「身柄引受人は、元就君、きみに頼もう。どのような処分を下すかは任せる」
「謹んで、お受けする」
「……なんだと」
女だから? そんな理由で?
あまりにもあまりではないか。
腹を切らないのであれば何なんだ。成実や小十郎たちに何かをするつもりか?
やめてくれ。頼む、やめてくれ。
何だってする。それだけは、どうか。
「政宗君。死で償えるなどと思わないほうがいい」
冷たい視線をねめつけたまま、ついに気力の尽きた政宗は意識を失いその場に倒れこんだ。
続く
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物語とはいえ、そう簡単に賭けたり捨てたりできるような軽さは持たせたくなかったので……。
ただ、敗戦の将へ下される処分が切腹というのはこの時代のセオリーゆえに。
※『Memento mori』……ラテン語で、『死を想え』『(必ず訪れる)死を忘れるな』という意味。
この三話でようやく序章終了です。次回以降、なぜこのようなことになったのか……という回想編に入ります。