!! ATTENTION !!

一部、史実を参照している部分はありますがあくまでも「IF」の歴史であり事実とは大きく異なります。
ご理解の上お読みいただけますようお願い致します。


















風をだに待つ程もなき徒花は枝にかかれる春の淡雪  話之弐 Underdog












 埃っぽい天井裏の隙間は立って歩くことが出来ない。匍匐前進のような格好で極力音を立てぬよう進む二人――小十郎と杢兵衛は一言も発する

ことなく。

 きつく噛み締めた唇はとっくに噛み破っていて一筋の血が頤を伝って細く滴り落ちていた。

 本当なら、今すぐにでも引き返して政宗の側へ行きたい。命令に叛くことになったとしても。

 しかし何があろうとも違えてはならない約束なのだ。命令の形をとって託されたそれは、彼女の命を代価としているのだから。

 きつく握り締めた両の拳には深く爪が食い込んでいる。硬い皮革の手袋すら破りそうな力が篭って、ぎりりと音を立てた。



 どこへ続いているのかも分からない道行きをふいに止めて、杢兵衛が天井板をほんの少しだけずらした。

 板一枚を隔ててやや間遠いものの戦いの喧騒は未だ止んでいない。が、声の感じからしていよいよ城が陥ちる時が近いようだ。

 隙間から零れる光で薄ぼんやりと見える前方にいる細身の男が無言のまま顎をしゃくって隣へ来るよう促す。下を見ろというのだ。

 誰かがいるのだろう。物音を立ててしまいそうな金属製の鎧に苦労しつつ、ゆっくりと這って隙間のところまでやってくると、指一本ほどの幅にずら

された天井板から室内が覗き見える。

(あれは……成実殿!)

 眼下では今まさに多数の兵士が一人の若武者に向かって槍や刀を手に突撃するところ。

 目にも鮮やかな蒼色の――政宗が最も好み、それに倣って伊達軍の人間の殆どが身につける色――陣羽織を翻し、半ばから折れた槍を投げ

捨てて刀を抜き放つ丈高い偉丈夫。

 戦っているうちにあの印象深い兜は脱いだのか跳ね飛ばされたのか、意志の強そうな目元や彼女によく似て整った顔立ちが露になっている。

 政宗の従弟にして伊達三傑がひとり、藤五郎成実だ。

 今しがた、探すよう命ぜられた彼が。

「ぅおおおおおおおーっ!!」

 ただひとり、敵に囲まれてなお失われない戦意を雄叫びに代えて殺到する切っ先を打ち払い、猛然と並み居る兵士を切り伏せて行く。

 その様、まさに『武勇無双』の名に相応しい凄まじさ。

「オラオラオラオラァ! かかってこいやーッ!!」

 槍術を得意とする彼の太刀筋は、鋭く変幻自在な政宗や小十郎と異なり力任せに振るっているようにも見えるがその実、怖ろしく正確に相手の

急所を狙ってくる。確実に敵を倒すための技だ。

 稽古の相手をするたびにその剛剣ぶりに手こずらされた小十郎の目から見ても、未だその冴えは衰えていない。精神的に余裕を残しているという

ことか。

(だがそれも何時まで保つものか)

 伊達軍で最も武勇に優れると(政宗を除いては)内外に名を知られた成実といえども、いつ終わるとも知れぬ戦いの中、圧倒的多数に一人で切り

抜けられるはずがない。

 彼が刀を手に通り過ぎた後には死屍累々と敵兵の亡骸が転がり、道が出来て行く。しかし……。

(彼以外誰もいない……部下を逃がしたのか、それとも全員死んだのか)

 いずれにせよ、成実を助け出さなくては。

「!」

 とはいえ、たった二人で助太刀したところで結果など見えている。どうしたものかと高速で頭を働かせる小十郎の視線の先で、倒れた敵兵に足を

掴まれた成実がよろめいた。

 その隙を突いて繰り出される、無数の切っ先。

 驚異的な反射神経を見せて避けた成実の右腕を僅かに避けそこなった刃先が掠め、真っ赤な血がしぶく。

(いけない!)

 それまで考えていたことも忘れ、思わず天井板にかけた手を横から杢兵衛が素早く掴んだ。

 無言のまま、首を振って制止する。

「(だがこのままでは成実殿が)」

 ごく低く抑えられてはいたが、口をついて出てしまった言葉に今度は逆の手が小十郎の口許を塞ぐ。

 喋るな、というのだ。

 では彼を見捨てるのか? 成実は伊達家再興のためには必ず生き延びなければならない。

 政宗との約束を、彼女の願いを裏切るわけにはいかない……!

 悲壮な表情で睨むように視線を向けられた杢兵衛は手を離すと、懐から小さな球体と細い針のような短い投げ矢を取り出した。矢羽の近くに細く

畳んだ紙が結び付けてある。

 それをどうするのだ? と眉根を寄せた小十郎に、自分の唇に指を当てて(何も言うな)と念を押すとおもむろに天井板の隙間から球体と投げ矢を

殆ど見えないほどの速度で投げ下ろしたのだ。

 ぱん! と軽い破裂音がするや否や、細く開けていた天井板を閉じた杢兵衛はこの場から立ち去るよう促して再び匍匐前進を始めた。

 下からは兵士達のどよめきと「動くな! 同士討ちになるぞ!」と叫ぶ上官と思しき者の声。どうやら杢兵衛が投げ下ろしたのは煙玉か何かだった

らしい。

 ではあの投げ矢は……?

 あくまでも無言で進む杢兵衛に従い、後ろ髪引かれながらも小十郎もまたその場を後にした。

 今の煙幕で成実が無事逃げおおせる事を祈りながら。



 唐突に掴まれた足に驚き振り向くよりも早く、成実は身体を捻り手にした刀で襲い掛かる刃を払っていた。

 体勢が崩れきる前に足を掴んだ手を振り解き、身体が傾いた勢いを敢えて殺さず距離をとろうとした瞬間、右腕に熱い衝撃が走る。

(チッ、避け損なったか)

 敵兵の中にも使える者がいるらしい。一人だけわざと攻撃を遅らせて僅かに出来た隙を突いたのだ。

 衣服を染めた血の量から、さほど傷は深くないと判断して傷口を押さえることもなく刀を構えた。

 決して怖れず、諦めず、敵から逃げるを良しとせず。

 敵の槍に弾き飛ばされて外れてしまった兜を飾る前立ての意匠は、そんな彼の信念を表す『百足』である。

 百足は退くことがない。そして、彼もまた。

 所詮ひとり取り残された若武者とたかをくくり、彼が何者であるかを身を以って知ることになった兵士達は腰が引けた様子。

 成実は周りを取り巻きながらも躊躇いを見せる彼らを睥睨し、フンと鼻を鳴らした。

「へっ、でかいサルの手下どももやっぱりサルってわけかよ。一丁前に威嚇するくせにとんと弱ぇときた。

竜に喧嘩売ったこと、後悔させてやるぜ。来いよ」

 正直なところ、体力は限界に近い。この状況から逆転できると考えるほど御目出度い思考をするような人間ではない。超タカ派の猪武者と見られ

がちだが、戦況を読む目は軍師である小十郎にひけをとらぬ、れっきとした指揮者の器でもある。

 彼の普段の物言いで言うなれば『っていうか、もう無理じゃね?』なのだ。

 戦術的転進、という考えが頭をよぎる。徒に突き進むは匹夫の勇、時に退却するも選択肢の一つであり機を読むが肝要であると。

 敵前逃亡は己の信念に反するが、死んでしまっては信念も何もない。

『死ぬ覚悟はできている。だが、死のうと思ったことはねぇ』

 いつだったか耳にした、自分と共に三傑の一人と数えられる男の言葉が脳裏に蘇った。

(あぁ。おれもまだ、『ぎぶあっぷ』する気はねぇよ。この命はあいつに……梵に渡したんだからな)

 とはいえ、周囲を十重二十重に敵兵で固められ、搦め捕られたも同然のこの状態でどうすればよいものか。

 挑発する言葉を吐きつつも、逃げ道を探して少しでも包囲網が薄いところをと視線をめぐらせた、その瞬間。

 ぱん! と何かが弾けるような音と共にもうもうとした煙が辺りに立ち込めた。

 と同時に、左肩に軽い衝撃。

(これは煙玉? よし、今だ!)

 誰の仕業かは分からないが、今が絶好の機会だということは確かだ。衝撃を感じたものの痛みはない左肩を気にしつつ、煙が目に入り涙を流し

ながら咳き込む兵士を突き飛ばし、人気の少ないほうへ走り出した。

(陳腐な悪役みたいでダセェけど……覚えてやがれサル野郎。このオトシマエはきっちりつけてやる……!)

 いつの間にか火がかけられていたのか、時折襲ってくる雑魚を蹴散らしながら人の気配がない方角へ向かううち熱と煙が押し寄せてきた。

「あいつら、ちゃんと逃げたかな」

 物陰に身を隠し、近くに伊達軍兵士や武将が残ってはいないか見渡すが、全員倒されたか捕らえられたか、人っ子一人いない。火を避けて敵兵

すらいないのは幸いだ。

 徐々に回り始めた炎が荒く息をつく精悍な顔の陰影を濃くしていた。

 最前、単独で並み居る兵士に立ち向かうことになった原因は最後まで付き従うと言ってきた家来達――成実は子分と呼んでいた――を殴って逃

がしたからだったのだが、無事に城外まで脱出できたのは何人だろうかと眉を顰めた。

(おれの、せいなのか)

 かような仕儀となってしまったのは。

 最早自分の血なのか返り血なのかすら分からないほど赤々と濡れた両手をきつく握り締め、唇を強く噛む。

 それを今悔いたところでそれこそ『是非に及ばぬ』ことは解っていたが。

「これは……?」

 煙玉が炸裂したとき、左肩に感じた衝撃は何だったのだろうとふいに思い出し、首を曲げて見てみると細い針のような投げ矢が突き立っていた。

 鎧を貫通することなく、かといって容易に抜けたりせぬよう上手い具合に刺さっているそれは、細く折りたたんだ紙が結ばれている。

 その様子から、敵が放ったものではない。恐らくは、煙玉を投げた者が寄越した物だろう。

 水に濡れても破けることがないよう加工を施していながら薄くしなやかな紙は、忍が使う特殊なものだ。紙の生産地を擁する伊達領独自のもので、

他国では使われない。

 何処でも字を書くことができる、炭と粘土を練り合わせて固めた筆記具による筆跡が綴った文字は今までに見た斥候たちの誰とも違う、見覚えの

ないものだが……。

(抜け道……ガキの頃、梵と遊んで叱られたあの場所か……)

 家中でもごく一部の者しか知らない、非常時に備えた脱出路。そこで生き残った武将たちと合流せよとだけ走り書きされているのを読み終えると、

成実は矢文を炎の中へ投げ込み、完全に燃え尽きるのを待って再び足を踏み出した。

 まだ、死ぬわけにはいかない。



「奥州筆頭伊達政宗、推して参る!」

 勢いよく開かれた戸口から雪崩れ込んだ兵士達のうち、命知らずにも真っ先に突進してきた者を六爪の一振りで屠ると激しく散った返り血が白皙

の美貌に赤い彩を添える。

 一瞥で心臓まで射抜かれるかと思うほどの強い光を放つ隻眼。優美な弧を描く唇がにい、と端を上げて。



 追い詰めたはずの竜が、阿修羅姫と怖れられた姫大将が、嗤った。



「……!」

 ――まるで鬼神。見た目が何か変わったわけでもないというのに、ただ唇の端を上げて見せただけだというのに、この威圧感はどうだ。

 なぜ彼女が阿修羅と呼ばれているのかを思い出した兵士達は中々攻撃に出られない。怖れ……いや、畏れのために。

「かかってこねぇなら、こっちから行くぜ?」

 同じ部屋にいたはずの小十郎がいないことにさえ気付かず、蛇に睨まれた蛙のようになっている兵士達に呆れ交じりの苦笑を言葉に乗せて歩を踏

み出せば、それにあわせて兵の足も退く。

 しかし後ろからやってくる人員のために押し出され、怯えた表情を浮かべた哀れな兵士は次々と斬り倒されていった。

「うわぁぁ!」

「た、助けてくれ〜っ!」

「嫌だっ、おらぁ死にたくねえよ!!」

「鬼じゃ……鬼がおる……」

 徐々に入口周辺に死体の山が築かれ、それを踏み越えて戸口に立った政宗の耳にすっかり怯えきった兵士達の悲鳴が聞こえてきた。

「そうか、死にたくねぇか」

 刃についた血を振り落とし、呟くように怨嗟の声にいらえる。

「そうだよなぁ、誰だって死にたかねぇよな」

 下げていた刀を再び構えて。

「奇遇だな、ウチの連中もそうだったんだ」

 方々に転がる、蒼を基調とした武具を身につけた――もはやピクリとも動かぬ――男たちを見遣って、ついに咆哮した。

「It’s a traveling companion to the hell…GO TO HELL!!!

 兵士達には到底解せぬ異国語ではあったが。

 捨て身の覚悟と凄まじい殺意を爆発させたのだということだけは理解できた。

 もっとも、解った瞬間に己の首と胴が離れていたのだが。

「何をしている! 相手はたった一人の女だぞ! ええい、かかれぃ!!」

 後ろに控える足軽頭が怒鳴り、やけくそで切りかかってくる乱れた剣筋など最早政宗の敵ではない。

「Year――ha!」

 ひとり。ふたり。時に数人を一度になぎ倒し、凄まじさの中にも舞のような優雅ささえ滲ませて群れなす雑兵を血祭りに上げてゆく。

 凶暴な悦びに笑みを零しながら。

「ちったぁ楽しめる奴はいねぇのか! ザコに用はねえ!」

 主だった家臣の殆どが脱落した今、敵方の将が己の首を狙いに来ないのはおかしい。なぜ、数だけで政宗にとっては敵にすらならない雑兵ばかり

を繰り出してくるのか。

「臆したか? こんな女一人にビビるたぁ、サルの手下はやっぱりサルってことか!」

 こうなったら、秀吉に従う大名の一人でも引きずり出すまで兵卒を皆殺しにし続けてやる。

 最早疲れなど感じない。この命、最後の一片にいたるまで戦う力に変える覚悟だ。

 危険極まりない暴風と化した六爪が易々と兵士を捉え、引き裂いた。

 思考が飛びかける。何人斬ったのか、もう覚えていない。ただ目の前に立ちふさがる者を薙ぎ払い、切り刻むだけだ。

 蒼い陣羽織が赤黒く染まり、先ほどから喚いていた足軽頭ごと数人を切り捨てた時。

「――!」

 振り上げた六爪に、何かとんでもない重量をもつ物が背後から投げつけられ、思わぬ方向からの力に片方を取り落としてしまった。

「誰だ……ッ!」

 どすっ。

 突然のことに振り返った政宗の陣羽織を、巨大な槍が鎧の一部ごと壁に縫い留めた。

「Shit!」

「そこまでだな、伊達政宗」

 ちゃきっ。

 動くに動けなくなり、ぎりりと前方を睨み付けた彼女の喉に、薄い刃を持つ輪刀が突きつけられる。

「毛利。テメェまでサルの手下に成り下がったのかよ」

「何とでも言うがいい」

 ちらと下を見遣れば、己の刀を弾き飛ばしたのはこれまた巨大な碇にも似た槍であることが知れた。

「長曾我部。海賊がサルの使い走りたぁ見下げたモンだな」

「――悪く、思うなよ」

 そして、身の動きを封じた槍の使い手は。

「前田か……主君の仇に従うとは、魔王のオッサンもあの世で呆れてるだろうぜ」

「……。まつと御家の為には仕方なかったのだ……」

 三人がかりかよ、ご大層なことだ。と知らず苦笑が漏れる。

 雑兵の群れを切りまくった末の彼女を捕らえたのは、奥州よりもずっと前に豊臣に武力で捻じ伏せられ属国化していた毛利、長曾我部、前田の

諸大名たちであった。

(これで、The ENDってやつだな)

 叩き落されなかった方の刀も床に落とし。

「殺るならさっさと殺れ、カシラやってる奴が倒れりゃ戦は終わりだ。……図々しいかもしれねぇが、兵士達の命は助けてやってくれ。あいつらには

何の責もない」

 憑きものが落ちたようにすっきりした表情で三人へ語りかけたとき、頭の後ろで結んでいた髪紐が切れて長い髪がさらりと解けた。

 最後のひと暴れも出来た。再興のための布石も打った。これ以上望むことがあるとすれば、いまだ城内で抵抗をつづける兵卒たちの命。

 己自身の夢も想いもなにもかも、全部抱えて逝くだけ。

 さあ、殺ってくれ。

「潔いな。貴様がもっと賢しければこうはならなかったものを……哀れよな」

「弄ってんじゃねえ。それとも女の首は斬れないとでも言うのかよ」

 その言葉に、元親と並んで後ろに立っていた利家が顔を背けた。

「…Chicken」

 臆病者、と罵る言葉にも顔色ひとつ変えず、元就は輪刀を退くと後ろの二人に政宗を連行するよう命じた。

「連れて行け」



 ――伊達軍本拠地米沢城、今ここに落城す――












続く









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1話から放置されること数ヶ月……もはや記憶の彼方に等しい徒花2話目です。
ついに落城した米沢城。絶望感いっぱいの嫌なところで続く(−−;
途中の、伊達の忍が使う紙とか筆記具(もろ鉛筆w)はウソですよー。
実は髪が長かったにょたむね様。長いのには理由があるのですが、原作からまたも逸脱してて微妙な気持ち;

3話目はそうお待たせすることなくUPできるかと……。
サブタイトルの「Underdog」は「負け犬・敗者」といった意味です。何を指しているかは解釈次第で(笑)