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風をだに待つ程もなき徒花は枝にかかれる春の淡雪 話之壱 阿修羅姫
口の中が金臭い。戦っているうちに切ってしまったものか。己をとりまく空気と同じそれは彼女にとってはあまりにも慣れた代物であった。
約一年ぶりの連載です。
一部、史実を参照している部分はありますがあくまでも「IF」の歴史であり事実とは大きく異なります。
ご理解の上お読みいただけますようお願い致します。
すでに血は止まっている。慣れているとはいえ快いものではない血の味に唾を吐き捨てようとして――やめた。
今は戦場とはいえ、ここは父祖の霊を祭る場所……仏間なのだから。
戸をしっかりと閉じた室内では、戦いの喧騒も遠い。刃の打ち合う鋭い金属音、傷つき倒れる者の絶叫、雄たけびにも似た気合の声。
先ほど、攻め手が火をかけたらしい。兵士たちの騒ぐ声には火を消し止めるよう叫ぶものもある。
全ては、血臭と同様に耳慣れたもの。
だが。
「政宗様、お逃げください。ここはもう落ちます。奴らに見つかる前に」
抜き身の刀を左手にひっさげたまま、戸を押さえて背にした茶色の陣羽織を羽織る男が声を潜めて言う。
「……No」
こちらも抜き放った刀を右手から放していない。其々精緻な細工を施した六振りの刀は室内という悪条件で今はひと振りしか使えずにいた。
「No way」
小さく、だが断固とした口調で言葉を重ね、かぶりを振る。
「政宗様!」
その言葉に諦めを感じたのか、男の声に咎めるような色が混じった。
「小十郎、お前黒川でも二本松でも同じ事を言ったな。俺はこれ以上、逃げるつもりは無えんだ。ここを……米沢を抜かれたら伊達はおしまいだ。
それとも情けなく落ちて最上や上杉にでも助けを求めろっていうのか?」
「しかしこのままでは……」
「んな事ぁ解ってる。それでも、だ」
兵力に差がありすぎる。かつて人取橋で三万の軍勢をたった七千の寡兵で退けた伊達軍とはいえ、その七倍以上にもおよぶ怒涛の如き攻勢
には耐え切れようはずも無く。
これはもはや戦ではない。最初に迎え撃った黒川城ではなんとか三日、持ちこたえた。しかしそれが限界だったのだ。どれだけ勇猛な武将が
揃っていようと、兵士たちの士気が高かろうと、倒しても倒しても押し寄せる大軍勢の前には蟷螂の斧も同然。
兵員の大半を失い、辛くも退却した二本松城に政宗は留まる事をしなかった。成実が預かっていたこの出城は彼によって堅固な守りが築かれ
ていたが、いかんせん小さかった。ゆえに時間稼ぎをするための捨石として断腸の思いで少数精鋭を残し、米沢まで戻り態勢を立て直そうとした
ものだが。
「さすがは天下を取っただけのことはあるぜあのサル野郎……あれだけの大所帯のくせして足が早ぇときた。もう少し北条の爺さんが頑張ってく
れていたらマシだったんだがな」
戦っても、勝ち目は無い。最上や上杉に助けを求めても望みは無い。むしろ捕らえられて敵方に突き出されるのがオチだ。
それどころか、中立を保っている上杉はともかく、本来なら親戚筋であるはずの最上までもが伊達に弓を引いているのだ。元々関係は良好とは
いえなかったが、この機に乗じて滅ぼしてしまおうという魂胆らしい。
(伯父殿らしいズル賢さだぜ。……だが)
きっと自分が義光の立場にあったとしたら同じ事をしただろう。やらねば、自分の首が危うい。上杉の態度こそ驚嘆すべきだ。
この奥州討伐に加わらない西国大名はいない。伊達と領地を接している上杉ならなおのこと、参陣するよう命令が下っているはずなのだが。
「まぁ今それを言っても仕方ねえな。……小十郎、あと生き残っているのは誰だ」
「私の知る限りですが、成実殿と綱元、それに元信殿と政景殿はさきほど見かけました。二本松の状況は分かりません。配下の兵もおそらくは
ほぼ……」
「二本松には信康と左馬之助がいる。あいつらはそう簡単にやられるようなタマじゃねえ。後は、死んだか捕らわれたか……だな」
後藤信康は『黄の後藤』と呼ばれ恐れられる猛将であり、左馬之助……原田宗時は政宗の初陣の時から共に戦ってきたこれまた戦上手の猛
者だ。彼らが無事であることを信じて米沢に残る戦力を頭の中で計算する。
(全員は難しいか)
二本松へ退却した時点で米沢に残っていた女性たちは逃げるよう早馬を飛ばして知らせている。その点は心配なかったが……。
「小十郎」
下唇を噛んで考えをめぐらせていたのはほんの一瞬。
荒々しい足音が近づく。
叫び交わす声から、味方ではないことが知れる複数人の。
もう迷っている暇はなかった。
「ハラ括れ」
「……はっ」
女性の身でありながら勇猛果敢な武将として戦場では常に先頭に立って駆け抜け、また六振りの刀を自在に操るその姿から竜との呼び名の
ほかに『阿修羅姫』と綽名された彼女。
十五で初陣を飾ってからほぼ全戦全勝の伊達軍ももはやこれまでと、城を枕に斬死の覚悟を決めたその顔は壮絶なまでに美しい。
コソコソと逃げ隠れるのではなく、打って出るのだと合点した小十郎は愛刀・黒龍の柄をきつく握りなおし政宗に肯きかけた。
彼女が童女の頃から側近くその成長を見守ってきた傅役として。
伊達家による天下統一を夢見て全身全霊をもって主君を支えてきた家臣として。
そして。
(ここでこのまま終わって良かったのかも知れねえな)
決して告げられることの無い想いを捧げる、武人でも軍師でもない、ただの男として。
この麗しき戦姫と共に最後の戦いへ、いざ。
黙したまま力強くいらえを返した小十郎に政宗は嫣然と笑いかけた。
「Come on」
血に濡れた手を躊躇うことなく差し伸べて。
すぱん!
戸から背を離し、主へ歩み寄ったところで、木製の引き戸が荒々しく開け放たれた刹那。
「!?」
雪崩れ込もうとする敵兵を前に刀を構えるのではなく、唐突に華奢な肢体が小十郎に抱きついた。
「見つけたぞ! 伊達政宗、覚悟!」
狙う大将首を前にそう叫んだものの、目の前で行われている、戦場にはあまりに不似合いな行為に槍の穂先が揺れ、足が止まる。
「まっ、政宗様!?」
こんな時に何をしているのだ! 慌ててもぎ離そうとするが細くしなやかな腕は見た目に反して強靭な力で小十郎の体をきつく抱きしめる。
「……無粋なやつらだな。どうせ死ぬんだ、男と最後の別れくらいさせやがれ」
誰もが硬直してしまい、奇妙な間ができた沈黙に一言、政宗の不機嫌そうな声が響く。
「はぁ?」
身長差がある小十郎に身を預け、少し背伸びをして唇を寄せながらあまりのことに素っ頓狂な声を上げた兵士へ凄みのある一瞥を寄越し、なお
も言葉を重ねる。
「これだけの人数で囲まれてるのに逃げると思うのか。戸を閉めろ。それともてめぇらは人の情事を見物するような下衆な趣味の持ち主か?」
「な……なん……!?」
唐突過ぎて意味不明。小十郎を含めたその場の全員が固まってしまった。
「いつでも首は取れるだろうが。ちぃっと待てと言ってるんだ、You see?」
誰一人動かない中、いちど腕を解いた政宗は口をぱくぱくさせて呆気にとられる兵士たちの目前で引き戸をピシャリと閉じてしまった。
「政宗様! こ、これはどういうことですか!?」
先程の『Come on』は出来うる限りの敵を切り伏せ最後まで戦おうという意味ではなかったのか。一体、何を……?
「黙れ、時間がねえ。質問はナシだ」
再び――しかし、今度はやや躊躇うようにそうっと――小十郎に腕を回した政宗は恋人同士がそうするように彼の耳元に唇をつけて囁いた。だ
がその声音は甘い睦言とは程遠く、強く押し込められたものであったが。
「聞け。俺はこの後、一人で出る。お前は逃げて成実を探すんだ。今ここで、成実に家督を譲る。辛かろうが、何とか逃れて伊達家再興の機会を
待て」
「そ、それでは政宗様は」
「時間を稼ぐ。どちらにしろ、俺はこの騒動の責任をとらなきゃならねえ。これにお前を巻き込むわけにはいかないんだ。生き延びろ」
「お待ちください、承服できかねます! そんな、ここへきて小十郎を不要と仰るか」
「No! 必要だからこそだ!」
「しかし」
「俺個人の問題じゃねえ。御家が残ることこそ重要なんだよ。解ってるだろう」
「ですが……!」
「成実だけでは頭が足りねえ。お前が知恵を貸して助けてやれ。いいな?」
そうだ。政宗の言うことは正しい。
正しい、けれど……。
「この刀にかけて、私は貴方様に生涯仕えると誓ったのです。どうか、最後までお側に」
竜の右目と呼ばれ、いついかなる時も政宗の背後を守ってきた彼の愛刀にはその誓いを現した『六爪独眼竜右目生涯』と刻まれている。政宗
自身も知っている。その誓いを反故にせよと言うのはあまりに……残酷だ。
家臣としての関係より先、彼女の心に踏み込むことができなかった小十郎の、女々しいとは思いつつも唯一の繋がりであると密かに己の想い
の全てをそこに封じ込めてきたのに。
縋るように見つめ返され、強い決意をこめた独つ目を僅かに揺らがせる。だが。
「……片倉小十郎景綱、これは命令だ。背くことは赦さねえ」
決然とした語調でそう、言い切った。
「命を無駄にするな。どんなことがあろうとも切り抜けて見せろ。お前なら、できる」
哀しげに表情を歪めた小十郎へ呆れたような笑顔を見せて、戦いの中で乱れて落ちかかった小十郎の前髪を優しい手つきで撫で付けてやる。
「今までよく仕えてくれた。お前は俺の誇りだ。必ず……やり遂げろよ」
そうして、ふわりと瞼を閉じて――
柔らかな唇が小十郎の唇に重ねられた。
触れるだけの、ほんの瞬きほどの間だけの、けれど万感の想いを託した、くちづけ。
力なく下げられていた小十郎の手が政宗を抱き寄せるように上がり、しかしその背に触れることなく掌がきつく握り締められる。
俯き加減に表情を隠して身を離した政宗は誰に言うともなしにぽつりと呟いた。
「杢兵衛」
「!?」
その呟きに応えて、驚き天井を振り仰ぐ小十郎の視線の先でかたりと小さな音を立てて天井の板が人ひとりがやっと通れるかという大きさに除
けられた。天井裏の闇の向こうに、微かな気配。
「わかっているな?」
「――承知」
黒臑巾組。先代の輝宗が『草』とだけ呼び使っていた忍び衆だ。政宗が家督を継いでからは黒臑巾組と名を改め、安部安定を首領として陰から
伊達家を支える者達。杢兵衛はその実戦隊長ともいうべき男である。
ごく短いいらえと共に一本の細い縄が垂らされ、小十郎の目の前で揺れた。
「行け」
「政宗様……」
「さっさとしねえと外の連中が踏み込んでくる。俺に逆らうなと言ったはずだ」
厳しい表情で睨みつけるかのごとく真っ向から小十郎の目を射る視線。その独つ目の奥が一瞬だけ切なげな色を湛えたように見えたのは気の
せいだったのか。
躊躇う手に縄を握らせ、騒がしい外を気にして天井を見上げた。
「杢兵衛、頼んだぞ」
言葉が終わるよりも前に縄が引かれ、音も無く小十郎の体が引き上げられる。
天井裏へその姿が消える瞬間。
「政宗様!」
低く抑えられながらも、血を吐くかの声が微かな震えを帯びて生涯ただ独りと定めた主君を――最愛の女性の名を――呼ばわった。
「必ず……!」
「あぁ」
にこ、と透明な微笑を浮かべ天井板が元通りになるのを見届けた。
約束は、きっと果たされる。何も疑うことはない。彼ならば。
外では遅れてやってきたらしい上官が兵士たちを怒鳴りつけ、扉を開けようとしている。
まだだ。まだ、全てが終わったわけじゃない。感傷に浸る間などなく、阿修羅と呼ばれた姫大将は本物の戦鬼となるべく六爪を抜き放った。鋭
い刃の輝きは豪も鈍っていない。
(……あぁ、悪くねえな。全く、悪くねえ)
高揚感。如何なく己の力を振るうことが出来ることへの凶暴な悦び。戦う者として歩み始めた時から魂に刻まれ続けた、戦いの中で散ることへ
の憧れが、いま。
「これで、敗戦の将として潔く死ねるってものさ」
後顧の憂いも無く、ただの戦姫として。
引き戸が半ば破壊しながら蹴り開けられ、今度こそ部屋の中へ殺到した兵士たちへ凄絶な笑みを向けながら政宗は高らかに最後の戦いの始
まりを告げた。
「奥州筆頭伊達政宗、推して参る!」
続く
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しょっぱなからなんか大変な展開になってますがー(笑)
ちょっと情けない男の小十郎と勇ましいにょたむね様、という組み合わせはやっぱり好きだなぁ……。
阿修羅とは三面六臂(すみません、間違えてました。八面六臂じゃないですね;)の戦いの神。
六爪を揮う政宗様に非常に似つかわしいと思うのですがいかがでしょう?