!! ATTENTION !!

このシリーズは政宗様が16歳の女子高生になっています。
「……痛いよソレ」とか思っちゃった人は読まないでくださいませ〜。



















Hitmen'n Lolita Spin Out "Your eyes ONLY"










 十二月ももう終わりに近づいている。

 クリスマスの賑わいから一転して正月ムードに染まる街を買い物の袋を抱えた人々が行き交い、誰もが忙しさに追い立てられる年の暮れ。

 この時期に限らず、昼夜問わず人間と彼らの織り成す喧騒の絶えぬこの街にとって、五年前にあった騒動は最早過去のものであった。

 彼らの哀しみも笑いも痛みも恋慕も、喪失ですら飲み込んで日々人は出会い別れ様々な感情と事象がまた生まれてゆく。一切の矛盾も無く、

雑多に過ぎる全てを包含して。

 街はそこに集う人の数だけ別の顔を持っているのだ。

 全ての水と生命を抱く海の如く。



 そんな、どこか潮騒にも似たざわめきの中にその身を預けるようにして政宗と成実は家路へと急いでいた。

 葉の落ちた街路樹の影が細く伸びる冬日の中、向かうのはあの雑居ビル。

 そこで正月を迎えるための荷物を両手いっぱいに抱えて。

「ねえ梵、正月は家に居なくていいの?」

「Yes.ちゃんと許可を貰ってる。総長を襲名していても、大学を出るまでは実質的に組を取り仕切るのは父上だしな」

「ふーん? まあ、おれとしては堅苦しいの嫌だから有難いけどさ」

 その代わり一日の午後は挨拶に行くぞ、と続けて重たそうな買い物袋を持ち直した。

 日本屈指の二大ヤクザが抗争を繰り広げたあの事件から五年。今は大学生となり、高校を出ると同時に伊達組の総長を継いだ彼女だった

が、未だ学生であり若すぎるために組の実務的なことは彼女の父親である輝宗が行っていた。

 ほぼ名目上とはいえ総長が正月に自宅に居ないというのはいかがなものか、と今や若頭の一人である成実が問えば構わないという答。

 昨年まではそんなことはなかったが、今年は違うのだ。

 彼が。あの事件で織田組総長を殺害した罪で服役していた彼が帰ってきたのだから。

 しかし、どこか浮かない顔でそういらえた従姉に成実は内心「?」マークを浮かべていた。


 そういえば最近、二人の間に微妙な空気が流れている……。



「ああ、お帰りなさい。外は寒かったでしょう? 買い物を頼んでしまってすみませんでしたね」

 相変わらず大量の鍵がついたドアを開けると、腕まくりをして雑巾片手の綱元が迎えてくれた。普段は制服の如くスーツしか着ていない彼も今

はジーンズにシャツと大掃除モードだ。

「これでもう買い忘れは無いと思う。んじゃ、最後の仕上げにかかるか」

 数日前から実家とここを往復して掃除やおせち料理の準備に余念が無かった政宗だが、日持ちがしない生ものは前日に作るしかない。

「ほら、成実もさっさとコート脱いで手伝え。遊んでるヒマねえぞ」

「え〜お茶くらい飲んでからにしようよ」

「何言ってんだ、綱元は朝からずっと掃除してるんだぞ? お前はダラダラしてたろ。そういえば自分の部屋の片付けは済んだのか?」

「おれの部屋は精密機械ばっかりだから常にきれいなの!」

 自作PCやサーバーで大半のスペースが占められている成実の部屋は、彼の性格からは想像もつかないほどまめに掃除されている。

 埃やゴミが動作に影響を与えてしまうからだ。

「Good boy. だったらそこの本棚とかTVんとこのゴチャゴチャも片付けろよ」

 とはいえ神経質なまでに掃除するのは自室だけで、共用スペースである居間の本棚やTV下のゲーム類は壊滅的なまでに片付いていないのだが。

「はいはい……」

 何年経ってもかつて四人で暮らした頃と同じ、姉弟のような会話をしている二人の微笑ましい姿に眼鏡の奥で目を細め、綱元はバケツと雑巾を成実

に手渡した。

「そういえば、こじゅは?」

「彼は組のほうへ。広い家ですからね、今朝から掃除の手伝いに行きましたよ。……お嬢は顔をあわせていたんじゃないですか?」

 この家に住む一人である小十郎の姿が無いことに、どうしたのかと訊ねられた綱元は台所へ向かおうとしている政宗に話を振った。

「お嬢なんて言うなって。……まあ、会ってきたけど。夕方には戻るみたいだ」

 何時だかは知らねえよ、と続けてそそくさとドアを閉めてしまった。

「……喧嘩でもしたんですか? あの二人」

「さあ? ちょっと前からあんな感じだよ」

 不貞腐れたような表情の政宗の様子に、珍しいこともあるものだと首を捻る綱元。

 問いかけられた成実も原因はわからない、と肩をそびやかし、豪快な手つきで雑巾を絞った。



 何か、彼の機嫌を損ねるような真似をしてしまったのだろうか?

 買い込んで来た材料を、あるものは冷蔵庫へ入れあるものはそのまま調理台の上へ置きながら政宗は深々と溜息をついた。

 出所してから八ヶ月。二人が付き合うことを最初は父親に渋られたものの、何とか許しを貰いようやく穏やかな日々が訪れたはずだった。

 流石に一緒に暮らすことは出来なかったが、ほぼ毎日のように会っていたし、時にはこの家に泊まりに行き二人だけの時間を過ごしていた。

 互いに言い出せずにいたが、いずれは結婚も……と考えていたのに。

 だというのに、何故。

 異変は一週間前から始まった。

 話しかけても、返事もそこそこに立ち去ってしまう。手を繋いだり、キスをするのも避けるようになった。泊まりに行っても一緒に寝ようとはしない。

 しかも、最近妙な行動が――

「梵、お鍋大丈夫?」

「え!?」

 考え事に耽っていて、目の前で火にかけていた黒豆の鍋が今にも噴きこぼれそうになっていたことに気づいていなかった。

 掃除を終えたのか、いい匂いに誘われて台所へ入ってきた成実が心配げに覗き込んでくる。

「どうしたのさ。なんか、最近ぼーっとしてること多いみたいだし」

「あぁ……ちょっと」

 急いで蓋を外し、火を弱めて振り返った政宗は苦悩を浮かべた憂い顔。

「こじゅのこと?」

「……。」

 悩みの原因をずばり言い当てられ、哀しげに頷いた。

「喧嘩したとか?」

「No. そんなんじゃない。だって、会話さえないのに喧嘩なんかできるかよ。……もしかすると、小十郎は他に好きな人が出来たのかもしれない」

「はぁ!?」

「やっぱり俺じゃ駄目なんだ。年も離れてるし、あんなことがあったし……だから、もしそうなら大人しく別れようと思ってる。でも……!」

 どうしたのかと訊かれた途端、目の端に涙を溜めながら今にも泣きそうな声で飛躍しまくった話をまくし立てられて、成実はおろおろしながら

「とりあえず、落ち着いて!」と華奢な肩を抱く。

「こじゅに限ってそれはないから。ていうか、何でそう思ったわけ?」

 捲り上げた袖でごしごしと目元を拭い、台所の隅に置いてあったスツールに腰掛けて顔を覆った。

「最近、小十郎が俺を避けるようになったんだ。顔をあわせても殆ど話さないし、一緒にいようとすると逃げるし、全然触らないし。それだけじゃな

い、コソコソ出掛けることが増えて、夜中にも何かやってるみたいだ」

「あー……」

 確かにそれは、怪しい。

「夜中に何かやってる、っていうのは私も心当たりありますよ」

 片付けを終えて、台所のほうで何やらやっているのに気付いた綱元が会話に加わってきた。

(「何となく異様な雰囲気だったんで、中には入らなかったんですけどね。リビングで、電気もつけずTVをつけて何かを見ているようでした。翌朝、

ゴミ箱にティッシュが山盛りになっていましたから……アレじゃないかと」)

 流石に政宗に言うのは躊躇われるといった風で成実に耳打ちする。

(「なにやってんだよこじゅ……。それ、梵が居る時?」)

(「そういう時もありますね」)

(「じゃあ何、一回だけじゃないの!?」)

(「最近、多いです」)

 うーわー。思わず成実は天を仰いでしまった。

 確かに、恋人がいてもソレとコレは別物。男であれば誰でも経験のあることではあるが、よりによってその恋人が泊まりに来ている時にすること

ではない。

 しかも本人には指一本触れずに、などあり得ない。

(ってことは本当にこじゅ、外に女作りやがったのか!)

 若しくは飽きて触れるのも嫌になったのか。

「赦せねぇ……! あ、いや、まだ分からないし!」

「しげ?」

「本人に訊ければいいのでしょうが」

「それは駄目だ!」

「ですよねぇ……」

 さほど広くない台所に集まった三人の間に重たい空気が流れる。

 丁度その時、玄関のほうから大量の鍵を開ける音が聞こえてきた。

「あ、帰ってきたようです」

「しげ、綱元。今の話、小十郎には……」

「分かってるよ。まあほら、まだ浮気してると決まったわけじゃないし。大丈夫だって」

「浮気……」

 ふぇっ。

 再び涙が滲んだ隻眼に慌てる成実に「あなたはいつも一言多いんですよ」と呆れた一瞥を寄越した綱元は、台所に集まってるのは不自然だか

らとリビングへ戻っていった。



「ごくろうさまでした。あちらは大変だったでしょう」

「そうでもなかった。若い連中が大挙して手伝いに来たからな」

 美人の女総長をひと目見ようとやって来た若衆たちの、本人が不在と知って落ち込む様を思い出して小さく笑みを零す。

「こっちはもう済んだのか」

「ええ、先ほど。成実も帰ってきましたし、お嬢……いや、政宗が来てくれましたから」

 すっかり綺麗になったリビングで満足そうに寛ぐ綱元と対照的に、コートを着込んだまま落ち着きのない様子で小十郎は奥の部屋へと続くドア

を眺めている。

「来てるのか」

「どうか、しましたか?」

 先程の話を耳にして、今までの二人を見る限りそんなはずはないと思いつつも小さな疑惑を覚えずにいられない綱元は眼鏡の奥から鋭い眼光

を覗かせて問う。

 少し前までなら、顕著に表情を変えたりはしないものの政宗が居ると知れば嬉しそうにしていたはずだ。

 しかし、今の小十郎はというと困惑すら滲ませて小さく溜息など漏らしている。

「いや、何でもねぇ。ちょっと、出かけてくる」

「帰ってきたばかりなのに? これからコーヒーでも淹れようと思っていたんですが。久しぶりに四人揃ったんですから、飲んで行っては」

「……。あぁ、そうだな」

 微妙な間が怪しいと思うのは、既に疑ってかかっているからだろうか。

 去り際、ドアを開けながらちらりと背後を振り返れば、漸く脱いだコートをソファの背にかけて腰を下ろしながら残念そうに首を振るところであった。



 その後。

 綱元が淹れたコーヒーと政宗が実家で作ってきた菓子で優雅にティータイム、のはずが政宗と小十郎は不自然なまでに離れて座り、会話もな

いまま重い沈黙の中ひたすらコーヒーを飲むという異様な光景となってしまった。

 力なくうなだれてカップを両手で持つ政宗と、そんな彼女から視線を外し煙草をふかす小十郎。雰囲気を変えるべく面白い話をしようとしては滑

る成実に、一人冷静なツッコミを入れている綱元。

「ちょっと、鍋の様子を見てくる」

 そんな空気にいたたまれなくなったか、殆ど中身の減っていないカップをテーブルに置き政宗は席を立った。

 エプロンをつけたままの後姿がドアの向こうに消えるやいなや、コートを手に小十郎も立ち上がる。

「どちらへ?」

「直ぐに戻る」

 全く答えになっていない。だがそこでしつこく訊くのも変だ。一層疑いの色を濃くした二人に見送られ、小十郎はいそいそと部屋を出て行ってし

まった。

「やっぱ怪しい」

「怪しいですね」

「小十郎、また出かけたのか……」

 入れ違いにリビングへ戻ってきた政宗は、つい今まで彼が座っていたソファに目をやり表情を曇らせた。

 味見をしてもらおうと小皿に乗せて持ってきた黒豆と煮物をテーブルに置いて唇を噛む。

「どこへ?」

「それが、訊いても言わないんだ」

 困り顔で答える成実に返す言葉もなく、エプロンを外しておもむろに玄関へ向かう政宗。

「ちょっ、まさか追いかけるつもり!?」

 慌てて追いすがるのにも振り返りもせず。

「確かめないと」

 独り言のように呟いて、玄関脇にかけてあったコートを手に取った。

「梵、待って! おれも行くから」

 ばたばたと成実がその後を追い、リビングに一人残った綱元は深々と溜息をついて冷め始めたコーヒーをすすった。

「全く、何を考えているのやら……」

 五年前の事件から、二人は強い絆で結ばれていたはずだ。それまでの小十郎が頻繁に付き合う女性を変えていたことは事実だが、今更その

悪癖が顔を出すとは思えない。いや、思いたくない。

 万が一、別れるにせよこんな風に何も言わずに避けるような男ではないのだ。



 元・米軍特殊部隊員の綱元から直々に始末屋としての訓練を受けている小十郎を尾行するのは困難を極める。

 ど素人の政宗と、それに毛が生えた程度の成実では見つかるのは時間の問題だ。

(見つかったらさらにややこしくなるんだろうなー……)

 とても止められそうにない従姉の後を追いながら、聞こえないようにこっそり嘆息する。

 人ごみに紛れて茶色のコートがビルを出て、迷うことなく通りを歩いて行く。

 冬の夕暮れは早い。既に陽はビルの間に沈み、煌びやかなイルミネーションが年末商戦たけなわの街を彩っていた。

「こじゅ、全然気付かないね」

「その方がいいじゃねえか」

「いや、そういう意味じゃなくて。こじゅ程の人間が、おれたちみたいな素人にあっさり尾行されるのはおかしいんだよ。なんか、上の空っぽい?」

 買い物客でごった返す街路。見失わないように、かといって見つかってしまわないように追いかけるのは骨が折れたが、何やら小十郎の様子

が普段と違うように思えて成実は首を捻った。

「言われてみれば。やっぱり、誰かと会うのか……」

 周りが見えなくなるほど夢中になる女性でも現れたというのだろうか。

 信じたい。五年間、二人が育んできた想いに嘘はないのだと。けれど……。

「いや、違うっぽいよ。ほら、あの店」

「レンタルビデオ店?」

 寒風に身を震わせながら小十郎を追っていた二人の視線の先で、彼はDVDとCDレンタルの店へと足を踏み入れていった。

「何か借りるのか?」

 きっと正月休みの間に見るのだろう。普段見るものの傾向から、この時期特有のバラエティ番組をあまり好まないことを知っている政宗は「一

緒に行きたかったのに」と呟く。

「……おれたちも入ろうか」

 先ほど綱元から聞かされた話から、DVDを借りるといってもロクなものではないだろうと予想がつく。正直、その場を政宗に見せたくはない。

(そういうものが見たいんなら、おれに言えばよかったのにさ。ばかこじゅ)

 わざわざ借りに行かずとも、成実のPCにはそのテの動画も収集されている。声をかけてくれればコッソリ見せてあげたのに、と心の中でひとり

ごちた。

 店内は、休み期間を映画を見ながら過ごそうという人々で混んでいた。沢山ある棚に身を隠しながら大柄な後姿を捜す。

(「あ、いた!」)

 店の奥へ入って行く小十郎を見つけて、ダウンを着た成実の袖を引いた政宗だが。

 次の瞬間、柳眉を思いっきり顰めた。

(「しげ。あのコーナーって……」)

(「……あー。うん、まあ、こじゅも男だし……」)

 微妙に挙動不審な動作で、周囲に気を使いながら歩いて行く先は。

(「そりゃ分かるけど、俺が居るのに!?」)

(「それとこれは別っていうか、うーん……」)

 ごめん、こじゅ。弁護できない。

 『18歳以下立ち入り禁止』と大書されたカーテンの奥。

 それは、言うまでもないが成人男子向けDVDの棚であった。

(「Shit!! ありえねぇ! 一緒に居られない時ならともかく、泊まりに来てるのにあんなものを見るなんて。俺が居るのに!」)

(「梵! お、落ち着いて!」)

(「最低だ……!」)

 政宗の言うことは至極正論なのだが、一男子として小十郎に同意できる部分も無きにしもあらずな成実は困り果ててしまった。

 かたや政宗はすっかり憤慨して、今にも追いかけていって掴みかかりそうな勢いだ。

(「ほら、これで浮気疑惑は薄くなったわけだし……」)

 外に女を作ったならAVなど見ずその女と会うだろう。最悪の事態ではなかったのだと宥めるものの、これは帰ってから修羅場かもしれない。

(「このままじゃ見つかっちゃうから。ね、帰ろう?」)

 むくれた頬が紅潮しているのは怒りのためだけではなかろうが、固めた拳が僅かに震えている辺り相当腹が立っているらしい。

 その手を掴んで彼女を引きずるように店を出た成実は、何度目か分からなくなった溜息をついた。

 今年は和やかに年越し、というのも無理っぽい。

 このあと、政宗は自分を避けている理由と合わせて小十郎を問い詰めるだろう。場合によっては血を見るかもしれない。

(組のほうに避難しようかな)

 これは、早々にケツをまくったほうが良さそうだ。

 正月早々痴話喧嘩に巻き込まれるなんて真っ平御免である。

(馬鹿だ。馬鹿すぎるよこじゅ……)



 先回りして帰っていた政宗達のすぐ後、どことなく疲れた様子で帰ってきた小十郎をリビングで夕飯の支度をしていた三人は冷たい視線で出

迎えた。

「いい匂いだな」

 その視線にビクリとしながらも、微妙な愛想笑いで返す。

 年越し蕎麦は輝宗が趣味で打ったもの。てんぷらは『賎ヶ岳』のおかみ、まつ直伝の作り方で買ったものに遜色ないサクサクの仕上がり。

 これは美味しいから、と薦められたモロッコインゲンの巨大なサヤが珍しい。

「さっさと手を洗って来い。冷めるぞ」

 エプロン姿でちらりとも見ず小十郎に言う政宗の声が尖っていた。

「……あぁ」

 何やら非常に機嫌が悪いらしい様子に、それ以上何も言えない小十郎は素直に頷き洗面所へと歩いてゆく。

「梵、もうちょっとオブラートに包んだほうが」

「何を!?」

「いや……ナンデモナイデス」

 黙々と支度を続ける政宗に成実がおずおず声をかけるものの、向けられた隻眼が怖い。怖すぎる。

 引きつった笑みで激しく首を振った彼だが、今更ながら夕飯食べたさに居残った事を後悔していた。



「それでは、温かいうちに頂きましょう」

 こんな事態であっても、完璧なポーカーフェイスの綱元は笑顔で正月準備に忙殺された政宗をねぎらい、箸を取り上げた。

 どんっ。

「どうぞ。」

「……あ、ありがとう」

 かけそばの入った丼を大きな音をさせながら小十郎の前に置いて、エプロンを取った政宗も席につく。

「じ、じゃあ、いただきまーす!」

 成実もいつもの調子で両手を合わせるが、綱元ほどに人間ができていない彼は声が震えてしまう。

 普段は穏やかな従姉は本気で怒らせると伯父より恐ろしいと思い知った。

 その様子に強面が青ざめているが、小十郎自身は(何で怒っているんだ!?)と言わんばかりの顔をしている。

(白々しいな、オッサン)

(とぼけてますねぇ)

 奇妙に静まり返った中、蕎麦をすする音だけが響く。二人は、政宗を怒らせるような事をしながらも自覚がないのかとぼけているのか、そんな

顔の小十郎を半眼でチラ見。

「さすが大親分、見事な腕前ですね」

「うん。梵の作ったてんぷらも美味いよ。いやぁ、大晦日はやっぱりこれだね」

「Thanks. よかったな、二人とも」



「「「「……。」」」」



(重いっ! 空気が重いっ!!)

 これでは味を感じるどころか飲み込むのもやっとだ。

 なんとも重苦しい雰囲気で夕飯を終え、お茶で一服するや成実はたまりかねたように席を立った。

「おれ、これから友達と年越しチャットだから。んじゃ、おやすみ」

 習慣で、ネットに『ダイヴ』している間は誰も部屋に立ち入らない。政宗のことは心配だがこれ以上一緒に居てはいつとばっちりを食うか。

「……あ、お皿洗いますよ。私も一日掃除して疲れましたから、今日は早く休みます」

 そこは綱元も同じだったようで、手早くテーブルの上を片付けると、よっこらしょっと声をかけて立ち上がる。

「そうか。折角だから酒でも付き合ってもらおうと思ったけど、仕方ねえな」

「私は下戸ですから。小十郎と飲んだらいかがですか」

 甘口のワインを持ってきて、残念そうにしている政宗。いまだソファに座ったまま煙草を吸っている小十郎を指して綱元もそそくさと立ち去ってし

まった。

 その小十郎はというと、組から帰ってきて以来漂っている異様な空気に戸惑いつつも「どうしたのか」と声をかけられずにいた。

 どうやら政宗の不機嫌の原因は自分にあるらしい。何か、あっただろうか?

 成実や綱元のように逃げるわけにも行かず、どうしたものかと忙しく視線を宙に泳がせるばかり。

「……飲むか?」

「それじゃあ、貰おうか」

 明らかに、他の二人に対する時と違う声音。いつもは美しいと感じる笑みも、今は凶悪なものに思える。

 二つ並んだグラスに深い紅玉色の酒が注がれ、つまみにと出されたドライフルーツ入りのチーズと共に勧められた。

「卒論もあるだろうに、いろいろやってもらって悪いな。助かった」

「別に。毎年やってることだし」

 謝るのはそんなことじゃないだろ! と内心怒りながらも中々口に出せない。

 甘口であるはずのワインが、妙に苦く感じた。

 ちっとも酔えない。

 ぷっ、と僅かに頬を膨らませた政宗はテーブルに置かれていた小十郎の煙草を一本取るとおもむろに吸い始める。

「キツいぞ、それ。やめておけ」

 彼女が成人を過ぎた頃から煙草を嗜むようになったのは知っていたが、それはごく軽い女性向けのメンソール。

 小十郎が愛飲する銘柄は慣れていないとむせてしまうほど重たい代物だ。

 その言葉にもいらえはなく、顔をしかめながらふかす。

 ベタな昔の恋愛ソングのようだが、キツい煙草でも吸っていなければやりきれなかった。

 このまま、怒りをぶつけて実家へ帰ってしまおうか。それとも別れ話を切り出すべきか。

 けれど、何も話し合わずそんな行動に出たくはない。

 小十郎の怪しい行動には何か、事情があるのかもしれないのだから。

(何て言い出せばいいんだろう)

 まさか女が出来たのか、とか自分に飽いたのか、など訊けない。

 今だって、以前なら並んで座って身を預けていたものを、斜め向かいに座っている二人だ。

(どうして?)

 事情があるにせよ、自分を避けているのは何故?

 週に三度はあったアレも全くないどころか手を繋ぐこともキスすることもなくなった理由は?

 夜中に隠れてやっているのは何?

 訊きたいことはそれこそ山ほどあったが、いざ二人だけになると言い出せなかった。

 答えを聞くのが恐ろしい。訊いたことがきっかけで、別れを告げられたら……。

 悶々と考えをめぐらせながら、気がつくと一人で瓶を半分以上空けていた。

「政宗、ちょっと飲みすぎじゃないか」

 さほど酒に弱いわけではないが、甘さの割にワインはアルコールが高い。ほんのり血色が良くなった頬に小十郎が眉を顰める。

(なんだよこいつ。超わかんねぇ……)

 避けるくせに心配するとか、意味が分からない。

 何なんだ。離れていた時間を埋めるように互いの事を知ろうとしてきたこの八ヶ月は一体何だったんだ。



 殆ど会話もないまま、時間だけが過ぎていつの間にか時計の針が十時を指している。

「そろそろ、風呂入らないと」

 今日はもう寝る、と告げてグラスを片付け始める政宗に小十郎は声をかけようとしたが、小さな背中は何故か彼を拒絶していて。

「……そうだな。ゆっくり休めよ」

 そう、言うしかなかった。



「こじゅのアレさぁ、やっぱ女だと思う?」

 一方、そそくさと自室へ退避した二人はというと、秘蔵の酒を持って綱元の部屋へ押しかけた成実によって俄に酒盛りと化していた。

「どうでしょうね。彼女のために命も賭けたんですよ、考えにくいと思いませんか」

 あの麻薬絡みの抗争に巻き込まれた政宗を助けるために、そしてその復讐のために、自分の犠牲を厭わず危険に身を晒した男だ。

「まーね。けど恋愛なんてどうなるか分からないものだし」

 心のどこかで未だ諦め切っていない部分がある成実は、また梵を泣かせたら絶対に赦さない、と続けるとカップに注いだ酒を呷った。

 どれだけ愛し合っている二人でも、亀裂が入ることがある。些細なきっかけでも。

「まあ浮気していると確定したわけではありませんから。ただ、あれはねぇ……」

 下戸であると言ったが、単に好きではないだけの綱元も今はちびちびと飲んでいる。やや酔っ払い気味の成実と比べてこちらは顔色一つ変え

ていない。

「彼女が来てるのにAVで抜くとかねーよ。梵じゃ満足してないってことだろそれ」

 うわー、こじゅサイテー。

「その手の問題は二人の間で解決することですから、何も言えませんが。常識的に考えて、やりませんよ普通」

「馬鹿すぎる……」

「馬鹿な人だ……」

 長い付き合いで、マンネリ化することはあってもそこは最低限の礼儀だろうと。

「梵が可哀相だ」

 酔いが回った顔でぽつりと漏らす。

 今までの人生で散々傷ついてきた彼女が、ようやく心安らげるようになったのは一年にも満たない前のこと。

「まじで梵に飽きたとか言い出したら、おれ……奪るよ」

「成実。あなた酔ってますね?」

 怖い目になって、小十郎から政宗を奪って自分のものにすると言い出した成実を諌めてペットボトルのお茶を差し出す。

「いずれにせよ、私達が手出しできることではありません。無意味ですしね。……もう部屋に戻ったらどうですか」

 明日は結構忙しいですよ、と続けて部屋の外へ送り出そうとした、その時。

「二人とも、そこにいるのか?」

 躊躇いがちなノックと共に、政宗の声が外から二人を呼ばわった。



(「本気で見に行くつもり?」)

(「Of curse. この際だからハッキリさせたいんだ」)

(「あまりお薦めできませんが……」)

 風呂に入り寝ようとした政宗だったが、自分が寝泊りしている小十郎の部屋に寝具を持ち出した形跡がなかったため、まだリビングに残ってい

るらしい彼にせめてお休みの挨拶だけでも、と戻ろうとしたのだが。

『リビングが真っ暗で、なんだか中から変な声がするんだ』

 だから一緒に見に行ってくれ、と政宗は二人に頼んだのであった。

 そうして廊下に集まった三人は息を潜めてドアの向こうを伺っているのだが。

(「最中……だったらヤバイよね」)

(「音で分かりませんか」)

(「音って。リアルな言い方だなそれ」)

 政宗には聞こえぬよう互いに耳打ちしあう二人の前で、不安げにテディベアを抱えた彼女はまるであの頃のようにほんの僅か震えている。

(「とりあえず、ちょっと聞き耳を立ててみましょう」)

 大丈夫ですよ、と微笑んで見せてドアに耳をつける綱元。

 眼鏡の奥で目がすうっと細くなり、次第に表情が険しいものへと変わっていった。

(「……今は、開けないほうがいいです」)

 中から聞こえてきた音は、女の声のようなものと荒い息遣いにも似た音、それに時折混じる呻き声。

 これは、間違いない。「アレ」だ。

(「What? 綱元、何が聞こえたんだよ」)

(「いえ、それは……」)

 何をやっているのかと詰め寄る政宗に答えることが出来ず、珍しく言葉を詰まらせた。

 流石に、セルフプレイの真っ最中ですとは言えない。とてもではないが、言えない。

(「こじゅのことは放って置いて、もう寝ようよ。DVDとか見てるだけだろ」)

(「いかがわしいやつを、だろ!?」)

 夕方小十郎がレンタル店で借りていたのは、そういうものであった。

(「もう許さない! はり倒してやる!」)

(「ああっ待って! 駄目だって!」)

 ドアノブに手を掛けた政宗に慌てて成実が止めようとするが、既に時遅く。



「Hey小十郎! テメェ、人のこと放って置いて……俺じゃ満足できないって言うのかよ!」



(うわぁ……言っちゃったよこの人)

 バンッ、と激しい音を立ててドアが開き、地の底から這い上がるような、背筋も凍る恐ろしい声が小十郎を罵倒した。

「あー……。成実、退避しましょう」

「そ、そうだね……」

 彼女の声の感じから、暴力沙汰になるのは必至だ。格闘技の達人たる彼女を止めるなど自殺行為に近い。まして、怒髪天を衝く勢いの今は。

 政宗の背中で暗い室内がよく見えない中、二人は顔を見合わせてそっとその場から逃げようと後ずさる。

(自業自得ってやつだよ、こじゅ。ご愁傷様……)



 大きな音をさせてドアが開き、同時に聞いたこともない程怖ろしげな怒声が己の名を呼ばわったことで小十郎は驚愕の表情で振り返った。

「ま、政宗……!」

 まずい! という顔が更に彼女の怒りを増長する。

 つかつかと歩み寄り、小十郎の襟元を掴んで持ち上げた。

 あの細腕からは想像も出来ない握力と腕力だ。

「この一週間、ずっとコソコソしやがって。話しかけても逃げるし一緒に居てくれないし……なんでだよ! 俺が嫌いになったのか? 他に好きな

女が出来たのかよ!」

「え……ちょ、政宗……? 何、言って」

「とぼけるな!」

 小十郎にとっては寝耳に水の話で、凄まじい剣幕に顔を引きつらせながらもどういうことかと問いかけるものの、政宗の勢いは止まらない。

「今日だって! 朝、声をかけても無視したじゃねえか。しかもレンタル店であんな……あんなDVDを……!」

「ち、ちょっと待て。それは誤解d」

「DIE USOB!!!」

 バシン!

 どこで知ったのか、とても聞くに堪えない罵声と共に強烈な平手打ちが小十郎の左頬に炸裂。

 そのまま掴みあげた体を床に引き摺り下ろし、馬乗りになって更に殴ろうとするが……。

「梵! 待って、スゲェ誤解だ!!」

 あまりの勢いに逃げそびれ、リビングの入り口で固まっていた成実が悲鳴じみた声で凶行を止める。

「止めるな!」

「いや、そうじゃなくて。梵、TV見なよ……」

「は?」

 何でAVが流れてるTVなど見なければいけないのだ、と言わんばかりに鬼の形相で成実を振り返るが、気が抜けた呆れ顔で指をさす様子に

何事かと視線を向ける。

 そこには。



『それでは次のコーナーです〜。今日はプン君の森に巣村園長が……』



 デニムのツナギを着た大御所コメディアンが、服を着たチンパンジーと戯れている映像が流れていたのであった……。



「な……え? だって借りてたの……18禁コーナー入っていって……」

「きちんと説明してくれますよね、小十郎?」

 あまりのことに硬直してしまった政宗の手から小十郎を引き離しながら、綱元が穏やかな笑みを浮かべて問う。

 目が、全く笑っていなかったが。

「……わかった」



 小十郎の曰く。

 皆は知らないことだったが、自分は動物ドキュメンタリー系の番組が大好きで昔からよく見ていたという。

 但し、どうにも感動する話に弱くボロボロに泣いてしまうことから、恥ずかしさのあまりDVDを借りてきて夜中に見ていた。

 政宗と出会う前からそれは行われていたが、今までは同居人二人に気付かれていなかっただけで。

 こんな強面のヤクザが、レンタル店で思いっきりファミリー向けの可愛らしい番組のDVDを借りるのはいたたまれない。だから、丁度その棚の

裏にあった成人向けの棚からコッソリ取っていたのだという。

 政宗たちが見てしまったのは、まさにその瞬間。

 DVDを見た翌朝、ゴミ箱にティッシュが山盛りになっていたのは涙と鼻水を拭いたから。

 ドアの向こうから聞こえていたのは、動物の鳴き声と小十郎の嗚咽。

 実際、そう語る小十郎の目は泣いた後で充血していた。

「じ、じゃあ……俺を避けていたのは何なんだよ」

 あまりといえばあまりのことに、開いた口が塞がらない政宗が引きつった顔で問いかけた。AV疑惑は解けたとしても、それは解せない。

「いや……風邪をひいていたから、感染させたらマズいなと……」

「全然そう見えないぞ」

「熱が……」

 ぶたれた頬を撫でながら答える声が、段々小さくなる。

 つまり、避けていたのも触れようとしなかったのも、風邪のせい。具合が悪く、ぼうっとした頭では遠くから声をかけられても気がつかなかった

かもしれない。

「そんな……」

「く、くだらない……!」

「やっぱり馬鹿ですね」

「アホすぎてムカついてきたわ。おれ、寝る」

「後は二人で話し合ってください」

 あー心配して損した! と吐き捨てながら二人が自室に消え、後にはぷるぷる震えている政宗と情けない半笑い状態の小十郎だけが残った。

「なんか、誤解を与えちまったらしいな。その……すまん」

「……い……」

「ん?」

 俯き、拳を固めて何事か呟いた政宗に「何か言ったか?」と聞き返す。



「紛らわしいんだよテメェは!!」



 ビシィッ!

 大きな怒声と共に、再び飛んでくる裏拳。

「ぐぁっ」

 盛大なツッコミに、半回転しながら床に倒れた小十郎だったが。

「全く、あんな番組見るくらい何だよ。一緒に見ればよかったじゃねえか。それに風邪だからって……って、小十郎?」

 倒れたまま、起き上がる気配のない彼に眉を顰め。

「! 凄い熱!!」

 何をやっているのかと触れた手に伝わってきたのは、熱ささえ感じるほどの高熱。

 咳やくしゃみなどの分かりやすい症状が出ていなかっただけで、実は相当酷い風邪を引いていたようだ。

「成実、綱元! 手伝って!」

 苦しそうに肩で息をしている小十郎を寝室へ連れて行くのは一人では無理だ。

 両頬に殴打痕を作った彼を見られるのはばつが悪かったが、彼らに手伝ってもらうより他ない。



「こんなになるまで放って置いて……ちゃんと言えよ」

 三人がかりでベッドへ寝かされ、かいがいしく看護する政宗の手によって額の上へ解熱シートを貼られた小十郎は心底申し訳なさそうに謝った。

「もう、いい。……嫌われたのかと思った。殴ったのは、悪かったけど」

 湯冷めして冷たくなってしまった手を、腫れた頬に当てて冷やしてやる。

「嫌いになる? そりゃないな」

 確かに紛らわしい真似はしちまったがな、と続けてベッド脇に座った政宗の髪を撫でる。

「風邪、うつるからって政宗に触れないようにするのも辛いんだぜ?」

「うつっても構わない」

 苦笑している彼の唇に己のそれを重ねて。

「大親分に申し訳ないだろ」

「風邪くらい、大したことない」

 腕を伸ばして抱きつき、ぎゅっと力を込めた。

「そんなことより、一緒に居られない方が辛いから」

 そのまま瞼を下ろした政宗の肩の冷たさに顔をしかめた小十郎は「ちゃんと上着を着ないと駄目じゃないか」と両手で包む。

「じゃあ、一緒に寝てもいいか?」

「駄目だと言っても聞かないだろう?」

「分かってるじゃねえか」

 一度言い出したら聞かない、ちょっと我侭な恋人に諦めの溜息をついて布団へ招き入れた。

「しょうがない総長だな」

「若頭のくせにあっさり風邪ひくほうが悪いんだ」

「……負けた」

 ぴったりとくっついた華奢な身体を抱き寄せ、今度は自ら唇を重ねる。

「明日も早いだろ。もう寝よう」

「Yeah」



 ごろごろ喉を鳴らして甘える猫のように、胸に頬を寄せて目を閉じた政宗が何かを思い出したように顔を上げた。

「どうした?」

「日付、変わってた」

「あぁ。もう二時近いな」

「だから、寝る前に言わないと」

「何を?」

 にこりと笑みを見せ、横になったまま器用にお辞儀のような動きをする。



「A HAPPY NEW YEAR!」











The END








2009.1.3 Words by High







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出所後初めてのお正月の話です。本編よりも政宗様がバイオレンスな気がする……。
巣村園長にプン君。元ネタは勿論あの番組(笑)